26 サバロ防衛戦:吾輩はギルバートである

 吾輩はギルバートである。


 吾輩が始めて見た人間は、後に聞くところによると密猟者と呼ばれる連中で、人間の中でも最もどうあくな類であったという。やつばらどもは、幾度思い返しても卑劣と言えよう手段で吾輩の両親を捕らえ殺し、その血も乾かぬうちに皮を剥いでケタケタと笑っておった。


 未だ乳飲み仔であった吾輩は、どうにか密猟者の手を逃れたものの、半日も歩かぬうちに目を回して倒れ、山中にただ一匹死にゆく運命であった。

 草木を踏み分ける人間の不格好な足音が近づいてきた時には、遂に追いつかれたか、己も皮を剥がれて死ぬかと思ったものだ。

 だがそこで吾輩をスーと持ち上げたのは、お父君と共に鹿狩りに出られていたルウィス様であった。


 ルウィス様は吾輩をお助けくださり、立派な名と城住みの身分を下された。それより吾輩はルウィス様一の騎士としてお仕えする身と相成った。

 日頃はのどかに、領城の兵糧を無粋な盗人ネズミどもから守る『ネズミ捕り長』をしておるが、吾輩はいつ何時であれ爪と牙を磨いておる。

 いざ戦いとなれば身を挺してルウィス様をお守りする所存である。


 *


「■■■■■!!」


 簡素な鎧兜を身につけた、人間の成人男性に近い体格の魔物兵が、人とは違う言語で何かを叫ぶ。

 別に重要な情報や、世界滅亡の予言や、フェルマーの最終定理について話しているわけではなさそうだ。アルテミシアは魔物の言語を知らないが、おそらく『死ね!』と言っているのだろう。


 この魔物兵は魔人族ナートゼンという種族らしい。

 人間と同程度の力と知能がある、青い肌をした人型の魔物。『魔族』の一種……即ち、文明を築く魔物のうちだ。

 先程見たギーケアーに比べれば、装備は質素で、カルロスの恰好を思い出す。もしかしたら彼は、魔族の民兵で、普段は畑でも耕して生きているのかも知れない。


 だが、訓練の足りない民兵であったとしても、それが死に物狂いで命を省みず襲ってくるのなら、脅威は数倍に跳ね上がる。

 殺すことだけを考えている様子で、そいつは脇目も振らずに突進し、力任せに剣を振る!


 ルウィスはその一撃を、剣でいなす。相手の剣の側面を擦るようにして逸らし、勢い、石畳を思いっきり打たせた。

 体格と力では負けているが、貴族の子弟たるルウィスは幼小より武芸の鍛練を積んでいるのだ。その技術は確かだった。


 攻撃を逸らした隙を突くのは、ギルバート。

 素早く飛びつき、喉に食いつき、噛み千切りながら両の爪で引き裂く!

 喉を手荒に切開されて、魔物兵は血をぶちまける。もはやギルバートは赤白黒の三毛猫だ。


 だが恐ろしいことに、こんな致命的な一撃を食らっても魔物兵は怯まなかった。

 倒れるまでの数秒間で、己に取り付いたギルバートを鷲づかみにして、引き剥がそうとする。尚もギルバートは、肉に爪を立てて取り付くが、ならばと腕を折りたたんで剣先で一撃!


「ギルバート!」


 魔人族ナートゼンの兵が崩れ落ちるのと同時、血をこぼしながらギルバートが地に落ちた。


「そっちはどうだ!?」


 ルウィスの振り返った先では、両膝と両目に矢を生やした魔物兵が、這いずりながらデタラメに剣を振り回していた。

 挟み撃ちにされてしまったが、片方はアリアンナが一人で止めたのだ。


「おお、よくやった」

「ととと当然よ私天才だもののののの」


 アリアンナは初陣の緊張に震えていたが、チート持ちの彼女はどんな精神状態だろうが精密な狙いで矢を放てるのだ。

 ルウィスは身動きが取れなくなった魔物兵に、さくりとトドメを刺した。


「ナァーオゥ……」

「大丈夫か、ギルバート!」

「治療します!」


 ギルバートは腹部を裂かれていた。

 既に負傷し、一度は治療して包帯を巻いてある場所を、さらに上から切られていた。


 アルテミシアは救急鞄からガーゼを出して、同じく鞄に入れていた治癒ヒーリングポーションを少し含ませて、傷口の血を拭った。

 幸い、致命的深手ではなさそうだ……いずれにせよできることは変わらないが。

 血を拭ってからアルテミシアは、傷に直接ポーションを注いだ。まだ生々しい痕跡となっているが、ひとまずは塞がった傷口に、アルテミシアは新しい包帯を巻き直して縛る。


治癒ヒーリングポーションはこれで最後です」

「まずいな、こっち側に逃げた市民が追いついてきてる。

 つまりそれを追う敵も……」


 治療をしている間にも、すぐ脇を駆け抜けて行く者の姿が、ちらほら見えた。


 接敵は既に四度目。

 『ノームの左手の杖』を使い切ってしまったアルテミシアたちは、路地から路地へ、目立たない道を縫うように進むことになった。

 なるべく目立たないように動いてはいるが、建物の中を一直線に抜けて行くよりも当然時間は掛かるし、魔物兵たちはバラバラに散らばって虐殺を繰り広げている。

 と、なればどうしても魔物に遭遇する事になる。


 幸い、ルウィスとギルバート、そしてアリアンナの連携で多少の敵は排除できた。だが、戦えば時間を使い、治療に時間を使い、それでさらに敵が追いついてくる。逃げてきた市民の姿も増え、身動きが取りにくくなる。悪循環だった。


「さ、ギルバート。これ飲んで」


 鞄に入っていた小皿に、アルテミシアは頑強化ロウバストポーションを注いだ。

 これは肉体の強度を上げる効果がある。先程、ギルバートが致命傷を負わずに済んだのは、このためだ。

 元はレベッカがアルテミシアのために買ってきたものだが、この状況ではギルバートに使うべきだろう。


 ギルバートは、その必要性を心得ている様子で、苦い薬を文句も言わずに舐めた。


「ウルルゥウウ……」

「……行きましょう。急がないと」


 為すべき事を手早く終えて、一行は足早に、しかし前方不注意にならぬよう進み始める。


 その足はすぐに止まった。


「っ……!」


 アルテミシアは始めて、『潰れたトマトのような死体』というのを見た。しかも、沢山。


 辺りは死体だらけだった。

 真上から叩き潰された死体もあれば、壁に叩き付けられた死体もある。

 惨たらしい死に様と、立ち上る血のニオイに、吐き気より先に目眩を覚えるほどだった。


 アルテミシアたちを追い抜いて、逃げて行った市民の、成れの果てだ。


「気をつけろ、死体が多い。

 しかも、この死に様は……」

「ギギイ! グギ、グギギイ!」


 真上からゴブリンの声がした。

 上を向いてみれば、建物の屋根によじ登ったゴブリンが、アルテミシアたちの方を見て指差し、何事か喚き散らしている。


「まずい!」


 ルウィスが言うのとほぼ同時。

 ズンと、石畳が振動した。


 周辺の建物の二階を覗けるくらい身長がある巨体。筋肉ぶくれした身体の上に、更に重厚頑健な鎧兜。

 血みどろの金棒を携えた巨人兵が、姿を現す。


「グ、グブブ……グフゥ……グフゥ……」

「オーガだ!」


 興奮によるものか、限界を超えた継戦によるものか。

 泡混じりの涎を噴きながら、巨人は見下ろし、睨め付けた。

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