僕は物書きだ。

 僕は物書きだ──そう自覚していたのは、祖母の死を前に涙ひとつ流さず、小説のネタに使えないだろうかと思案していた時の話だ。



「キトクだそうで……」


 体育の授業中、副担任からそんなことを言われたが、当時の僕はその意味が全く分からなかった。やがて「危篤」という漢字に結びついたのは十秒も頭を捻った後の話だ。


 すごく正直な話をすると、あまりこの下りは覚えていない。ただ何かに駆り立てられるような想いで荷物をまとめ、足早に校門を潜った。十二時過ぎの今、制服で外を出歩くのも何だか気恥ずかしい話なので、駅に着くまで一層早歩きになっていたと思う。


 そうして乗った電車は驚くほど閑散としていた。忙しない朝とは打って変わって座席に腰を落ち着けた僕は、とりあえずスマホを取り出した。『とても素敵な六月でした』を聴いてみたけれど感傷的な自分に酔っているだけのように思えて、シークバーが半分もいかないうちにくだらない動画に画面を切り替えた。



 帰宅すると、仕事の都合で別居している父がいた。僕たちは支度も程々に車に乗ると、祖母が入院しているという病院へと向かった。


 そこは僕が生まれた場所でもあるらしい。



 エレベーターに乗って四階へ。一人用の病室が横並びになっている中、祖母の部屋は一番奥にあった。母がその扉に手をかけた。祖母はほぼ亡くなっていた。


 ──過剰に静けさを孕んだ部屋の中。覗くまでもなく何となく察しはついていたのだが。


 そこから先の数時間、僕は二度、人生初の体験をした。


 まず身内の死。ドラマで見るような心拍数を測定する装置? のようなものが傍にあって、僕たちが来るまでの間、祖母は機械で生かされていたようだった。どんな形であれ辛うじて生きながらえていた祖母だったが、その在り方はあまりにも痛ましく感じた。字面とか様子とかが、それこそ尊厳を踏みにじっているように思えて。そこまでして生を押し付けるくらいだったら、いっそ──


 口を閉じた。人としてはきっと正しかった。僕は罰当たりな孫だったのだろうか。


 せめて祖母の顔でも見ておけば、そこに本人の意思の残滓でも発見できたのだろう。しかしあの人のベットの傍にいたのは、より身内らしい母、叔母、祖父たちで、僕や妹は部屋の入り口近くでぼんやりと眺めていた。


 そうしている間続いていた呼びかけはやはり徒労に終わって、機械が止まる。「ほぼ」が「ちゃんと」亡くなった。


 ――二つ目の経験は、母の泣く姿だった。僕の母は偉大な人だ。日々の家事はもちろん、塾に部活に自主練に、送迎の手間や経済負担を厭わず僕をサポートしてくれている。弱った姿などただの一度も見たことはなく、頼もしいことこの上ない人だった。そんな母や妹の叔母が泣くのを我慢しているのを見て、僕は抱く感情を決めかねた。というより、その二人が嗚咽を押し殺していた時点から。


 やがて祖母の遺体が運び出されると、僕たちは病室外の長椅子に腰を落ち着けた。


 その時僕は何をしていたかと言うと、ただ、ついさっき起きた出来事の言語化にばかり努めていた。人生で初めて体験した身内の死。仮にも文字で身を立てようとする僕にとって、さぞかし良質な糧となるだろうと。


 別に祖母との関係が険悪だった、とかではない。普通に好きなおばあちゃんだった。年末にあの人が作るおせちが好きだった。近々大学進学を自慢する予定だった。だと言うのに、あの人の死が突き動かしたのは、素人小説家としての僕でしかなかった。月並みに悲しいとか思うことも特になく、「僕ならこう演出する」、「僕ならこう描写する」と。


 昔、夏目漱石の『草枕』を読んだことがある。内容はよく覚えていないが、主人公が幽霊らしきものを目にした時、俳句を詠んで平静さを保っていたことはなぜか印象深い。多分、僕はそれと同じようなことをしていた。


 病的な白さの肌、骨が浮き出たような腕、「顔が見えない」という不気味さを演出する状況、かろうじての生を証明するただ一つの機械。そこに生まれた感情の機微を殺風景な文字の羅列で表すのは難しく、僕は頭を抱えた。


 それが「身内の死にショックを受けている」と捉えられたのだろう。僕の背中をさする手があった。母だった。実際の大きさより二回り大きく思える手のひらの感触。いつも通り頼もしく、僕はむしろそちらが悲しかった。


 こうされるべきなのは、貴方だったのに。



 葬儀が終わった。

 次は火葬だと。


 咄嗟に棺桶の方を見た。そこには綺麗に着飾った祖母がいる。もはや遺体そのものの存在に必要性はないのだと。


 その潔さは好ましかった。土に埋めて得体の知れない細菌や微生物にこの人の身柄を引き渡すより、塵ひとつ残さず焼き払った方がこの人の為になると思った。


 いや、嘘だ。祖母のことを意識してはいない。単にその方が僕の感性に沿っているだけ。


 そんな風に所感を纏めているうちに、火葬場にやってきた。祖母の入った容器を持ち上げて、やけにゴツゴツした鉄の部屋に滑り込ませる。鉄の棺桶。マトリョーシカめいていた。



 塵ひとつ残さず、と言ったが、よくよく考えてみれば骨が残る手筈だったことを思い出した。祖母を投入した所から、壁ひとつ向こうの部屋の前に来た僕たち。案内のままに中に入ると、台の上に砂が敷き詰められていて、そこに骨が点在していた。


 食事中、母から箸と箸とで食べ物を行き来させることを咎められたことがあった。それくらい何だ、と思っていたが、いざ体験してみると、それがいかに不快な行為なのか実感した。


 箸で骨をすくい、渡す。骨をすくい、渡す。すくい、渡す。


 挟んでいたのが途中でボロボロと崩れ落ちる。これが元はヒトだったのだと思うと惨めな気持ちになった。これでは土に埋めるのと対して変わらない。


 葬儀屋の方が「ここはドコソコ骨で」「それはアーダコーダ骨で」と生物学的な解説を入れてくるのも気に食わなかった。せめて葬儀の風習だとか、火葬された魂はどこに行くのかだとか、葬儀屋らしい話をして欲しかった。仏教か神道か知らないが、祖母は死後穏やかでいられるのかは知りたかった。


 ちらりと母の方を見た。涙ひとつ流さず、無感動な風に骨を拾い上げていた。ただ、それすらも僕の気に触った。母は強い人だから、そうした素振りを立派に隠しおおせたのだろう。隠しおおせる程度だったのだろうか。


 聞くもの見るもの感じるもの全てが神経を逆撫でしている気がして、そんな自分を分析して、僕はやはり、祖母の死を悲しんでいるような気がした。その日の夜のことだ。


 胸を撫で下ろす。自分に正常な感性が芽生えつつあることに安堵した。


 

 僕は、僕の異常な感性が薄らいでいく感覚をひどく恐れた。祖母が危篤だと言われた時よりも、余程。詰まるところ僕は酔っていた。祖母の死から即座にネタ探しに移行できる、冒涜的にストイックな姿勢。最高にイカれた感性があった自分に酔いたくて仕方がなかった。


 ──もう、無理だ。


 アルコールが抜けた。

 堰を切ったように涙が溢れ出したような気がした。表現がひどく曖昧なのは、感情の振れ幅があまりに大きく、当時の記憶を上手く引っ張り出すことができなかったからだ。

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