生きること、贖うこと

 死が在った。


 一つ、二つではなく。百、二百。塀に干されるように、錆びかけのなたを握りしめながら、崩落した教会の石レンガに押し潰されて。どこかの村のようだが、どうも過剰に赤色を被っているらしかった。


 旅人は偶然その場を通りかかり、鼻が捻れてしまいそうな死臭に顔をしかめる。瞳を向ければ強烈な景色が視界を叩き続けるが、こうまで常軌を逸してくると現実味もひどく薄まるもので、むしろ怖いもの見たさの方が逸った。


「おォい、誰かいるのか?」


 返事はない。フードケープを目深に被った旅人は、十字を切って一歩、二歩とおそるおそる、おっかなびっくり足を踏み入れる。


 間もなくして、彼はいた。体を鎧で固めているが、兜は左脇に抱えて明後日の方向を見つめている──そして何より目立つのは、歩兵が扱うにはやや大振りな騎士用長剣ロングソード


「ええ。まあ、ここに」


 くるりと振り返った男は、筋肉質で重装備にも関わらず、こずえめいたか細さがある。十中八九、正規軍──少なくとも一兵卒の気配ではない──の一人だろう。


「騎士か。旦那は」


「うん。そういう君は旅人かな」


 だからといって話すことは特にない。それから二人は、何を言うでもなく空を眺めていた。茜色の空はさほど眩しくはなかった。


「この時間はお腹が空きますね」


「なら、ここに干し肉が……」


 あるんだが、折角だし旦那もどうだ。旅人は、言葉と右手を同時に引っ込める。冷えた血と肉と、腐臭に釣られた狐狸の類い。こんな絵面では食える肉も食えたものではない。


「遠慮しておこうかな。おれから言ったことで、申し訳ないけど」


「いやいや、俺が不謹慎すぎただけだ」


 そこから再び微妙な沈黙が続くと旅人は思っていたが、存外、それが破られるのは早かった。


「魔女狩りのお達しはご存知ですよね」


「……ああ、魔術行使者ウィッチの処刑だろ」


「ええ」


 悪魔との契約者への物理的制裁──壮大な話に思えるが、その実情は眉唾物の噂などの頼りない土台に基づく私刑リンチに近い。魔術のともがらなんて、そんなものはいない。そう理解しつつあるのに、未だにしぶとく残っている悪習。


「その矛先が、ある日ある村へと向けられました。数日もすれば忘れるような大したことのない理由で、『やれ』と、騎士が派遣されました」


「その村にとって幸運だった──のは、派遣された騎士がさほど魔女狩りに積極的でない点です。もちろん、体裁の為に該当者には罰を課す必要はありましたが、わざわざギロチンを出すまでもないと判断するつもりでした」


 幸運だった。そのような字面の割に、奇妙に置かれた間のせいで、どこかすぼんだ印象がある。


 そうあれかし。

 そんな願いも、内在しているようで。


「騎士がその村を訪れると、妙なくらい快い態度で村長が挨拶をしました。『長旅で疲れも溜まったでしょう。お役目の前に休んではどうです』と──実際、その時は夕日も沈む頃合で、旅の疲れも指摘した通りだったので、騎士はその言葉に従い、宿を取りました」


「そうそう。派遣された騎士は二名いたのですが、その一人は何かの物音で夜更けに目が覚めました。音の出処を探すまでもなく騎士は、彼らが眠っていた方の騎士を殺した様を間近で捉えたのです」


 微かに震えたこの肩は、決して近づきつつある冬のせいではないと、旅人は確かに認識した。人の死。そんなことを、あまりにも何でもない風に語る。大方、仲間が火刑に遭ってしまうならいっそ、ということだったのだろう。彼らに、そんな気はなかったのに。


「しかし彼らに武芸の心得はありません。夜襲を逃れたもう一人の騎士が降りかかる火の粉を払い落とすのに、そう時間は必要ありませんでした。……、二人の騎士は、十年来の友人でもありましたから、生き残った騎士──おれは、激昂に飲まれ、次々と」


 騎士は不意に口を噤んで、三秒ほど間を置き、「おれはどうすべきなんでしょう。断頭台に立つべきは、あるいは──」と、言い方だけなら独り言みたく締めくくる。


「分からないのかい」

「はい。ちっとも」

「なら、死ぬのは止した方が良い」


 目蓋まぶたがパチリと瞬きを三つ。


「そんなもんでしょうか」

「その言い方は少し違うな。旦那は要するに、あがないがしたい訳だ」


 騎士が首を数回頷くのを見ると、旅人は話を続けることにした。


「だったら、だからこそ、自罰的に死ぬのはいけない。それは意味がないんだよ、旦那」

「……それは、死が贖罪として適していないという意味ですか?」


「いいや。死ぬんじゃないってことだ。現世ここで犯した罪なんだから、現世ここでそれを──贖い方を探すべきだと、俺は思う」


 思案顔になって俯いた騎士を見て、「旦那はただ、自分が善いと思う道を歩んでいればいい」と付け加えた。旅人というよりどこか聖職者めいた説教で、その感想を騎士がすると、「宣教師なんだ」とあっさり打ち明けた。


「旅人殿」


 突然、騎士が顔を上げた。


「干し肉をいただけませんか」


「いいのか?」


 憑き物が取れた、とまではいかないが、先刻の梢のような雰囲気がどこかへ霧散していった気配だ。


「はい」


 血に濡れたロングソードを鞘に収め、騎士はそう続けた。


「手始めに、逃げるのはやめようと思って」

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