Chapter4. Unlock

 外出先での一件があった週の金曜、お礼も兼ねて美良を夕食に誘った。彼が適切な対応をしてくれたおかげで事なきを得て、さらに業務分担を見直したことで俺の体力も十分回復できた。


「いやあダメ元でリクエストしたんですけど、まさか焼肉を了承してもらえるとは! さすが輝台さん、太っ腹!」

「大袈裟だよ」

 席に着くなり、彼は嬉しそうに顔を綻ばせた。とは言えここは高級料亭ではなくチェーン店。これが今の俺の精一杯。いつか最高級の肉を好きなだけ御馳走できる日を目指して仕事に励もうと誓った。

「お礼ってことなんで、好きなだけ頼めよ」

「はいっ。あの、上タン塩三人前いってもいいですか?」

「ハハハッ、お好きにどうぞ。ホント遠慮しないな」

 そのまま和やかな雰囲気で夕食がスタート。焼き上がったものからどんどん美良の胃袋に吸い込まれていき、ホクホクの笑顔に昇華されていく。

 相当よもやま話が溜まっていたと見え、仕事以外で久しぶりに二人きりになったこの機会に仕事の話からアパートのお隣さんの話まで、ざっくばらんに共有してくれた。ニコニコと幸せそうに話す姿に癒されて、心も満腹になった。


「素朴な疑問なんですけど、輝台さんてどんな人がタイプですか? いま好きな人いたりしますか?」

「全然素朴じゃねえし。ジムの話からなんで急にそっち行ったんだよ」

 苦し紛れにビールで喉を潤すが、彼も彼で好奇心が止まらないらしい。

「思いついちゃったんで聞いてみました。えへへ。で、どうですか?」

「黙秘権の行使だな。はい、次の話題どうぞ」

「えと、ちなみに恋人ほしいですか?」

「だからその話」

「どうですか?」

 さながら記者の質問責めのごとくエアマイクを向けられ、勢いに負け答えることにした。

「いなくても、俺は別に……」

 しりすぼみになり最後まで言葉を紡げなかった。

 愛しい人が隣にいなくても、俺は別に寂しくない。

 それは自分で自分にかけた呪いのようであり、希望の言葉。



 俺はある年齢まで、異性とのお付き合いを楽しんでいた。その人数は多くないが、一人一人を心から愛していたし俺なりに大切に想っていたけれど、いつも同じ言葉で終わりを迎えた。


『誠君て、本当は私のこと好きじゃないんでしょ』


 どんなに弁明しても一度心が閉ざされたら最後、さよならの道を進むしかない。彼女たちの気持ちを尊重し引き止めることはしなかった。

 何がダメなのだろう、どうして伝わらないんだろう。そんなふうに悩んでいるとき、たまたま入ったカフェで店員さんの唇に目が止まった。同性だったけれど、とても魅力的だと思った。

 そこからは試行錯誤の連続だった。気になる人が現れても、九割方どうしていいかわからずに終わった。勇気を持って踏み出しても違和感を持たれることがほとんどで、スタートラインにすら立てない。

 想いばかりが空回りし拒まれ続けた結果、きっと俺の人生には「大切な人と仲睦まじく暮らす」というチャプターがそもそも用意されていないのだと諦めた。


 そう諦めたことも忘れた頃、美良がパンドラの箱を開封した。期待してはいけない、何も望んではいけないと言い聞かせるのに、心が聞く耳を持たず喜びの記憶を蓄積し始める。冷静な理性が警告しても想いは止まらない。

 こうして反省を省みず自分に課した約束を破った俺には、また「愛しい人が隣にいなくても、俺は別に寂しくない」が必要になる日が近づいているようだ。



「あの、今の聞いて思ったんですけど、輝台さんてたぶん自分からは行かないタイプですよね」

「暑苦しいのは柄じゃないんでね」

「仕事ではあんなに積極的なのに?」

「仕事とプライベートじゃわけが違うんだよ。あ、美良のグラス空だな。飲み物追加すれば」

 メニューを向けても受け取られることはなく、宙に浮いたままの姿が俺の気持ちと重なり無性にやるせなくなる。

「輝台さんは優しすぎるんですね」

「え……?」

「輝台さんのことだから、暑苦しいのが嫌というより、大事な相手を傷つけないよう距離を置きたがるんだと思います。だけど、相手がどの程度の距離感を望んでいるかは、実際に踏み込んでみないとわからない気がして。近すぎたら離れ、離れすぎたら近寄り、そうして互いに程よい場所を探し当てたときに絆が深まる気がしませんか」

「どうだろうな」

「そうは言っても自分の場合、恋愛に限らず距離が近すぎて煙たがられることがあるので説得力ゼロかもです。えへへ。輝台さんも近すぎって思ったら遠慮なく言ってくださいね」

「……いいや。ちょうどいいよ」


 あの日求めた答えが、やっとわかった。美良が開けたのはパンドラの箱ではなく、欲しくてたまらなかったチャプターへの鍵かもしれない。

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