第十二話 「年月の居場所」


 東京駅構内


 『さて、次のニュースです。一昨日、東京都内の宗教施設で発生した大規模な爆発は』

 

 駅構内のテレビをちらと見た後、由里香はホームへ向けて歩き出した。



 さっきから由里香の少し後ろを歩く青年は、フリーターらしい。

 ルーズに履いたズボンにあごひげという、今風の、どこにでもいる風体だ。

 「あっ」

 「おっと」

 そのフリーターの目に、由里香が、すれ違おうとしたサラリーマンとぶつかった姿が飛び込んでくる。


 お互いに謝り、そしてすれ違う。

 どこにでもある光景だ。

 フリーターは努めてそれを無視した。

 それが意図的なものだとわかっていたから。


 キオスクで駅弁とお茶を買い、鞄に詰めながら列車を待つ。

 一人旅なんて初めてだ。

 何度も切符を確かめる由里香の口からため息が出た。


 いつも、昭博さんが隣にいてくれた。


 それが、支えだった。

 それが、全てだった。


 今度は違う。

 

 でもそれは、私が決めたことだ。

 

 それでも、不安はかき消すことが出来ない。

 女一人の弱さというべきか。

 切符の買い方から何から、昭博さんのマネをして、なんとかここまでこれたけど、この先のことは何もわからない。

 

 でも、行かなければ。

 その一念を胸に、由里香は列車に乗り込んだ。


 (誰かが、見ているようだけど……ごめんなさいね?)



 その手には、旅行鞄と、針状の発信器が握られていた。


 

 新幹線に揺られること3時間。特急に揺られることさらに2時間。

 東京に来た時は、まる一日かかった旅路が、今は違う。

 違う?

 そう、列車から降りた光景は、何もかもが違っていた。

 約17年ぶりに見た駅は、いつのまにか建て替えられ、駅前の景色も、変わり果てていた。

 クラスのみんなと一緒に食べにいった角のあんみつ屋はコンビニに変わっている。

 東京に出る前、昭博さんと入ったレストランはもうどこにもない。

 「……」

 歩くこと10分

 それは、かつて通い慣れた母校への道。

 倉橋の存在を忘れることが出来た唯一の世界への道……。

 坂を登った先に、由里香の母校があった。

 建物は昔のままなのに、不思議と違和感を感じる。

 それはもう、由里香と学校に何の縁もなくなったということなのかもしれない。


 「あーっ!待ってよぉ!」

 「亜里砂ちゃん遅いよぉ!?」


 道を歩く生徒達の制服も、昔と違っている。

 辺りを見回しても、見知った者などいはしない。

 

 「……」

 しばらく学校を見つめていた由里香は、そのまま踵を返し、坂を下った。

 ここに、自分の居場所がないことを知ったから。



 17年の年月は、倉橋由里香の存在を、この街から消し去っていたのだ。

 

 

 

 

 倉橋家はここから電車で5つ目の駅で下車、バスで25分の距離。

 都市化の波からいつの時代も取り残されてきたような、辺鄙な土地だ。

 当然、宿泊施設など、由里香にも心当たりがなかった。

 由里香は3つ目の駅で下車することにした。

 鄙びた温泉で知られ、旅館や民宿には事欠かない。

 由里香は、かつて倉橋家で使った関係で、唯一知っていた老舗旅館に宿をとった。

 ここは、あの頃と変わっていない。

 それが、安心感と寂しさをない交ぜにした複雑な心境を由里香に抱かせた。

 「はいはい。お客様、ご案内いたしますね?」

 六十の坂をとうに越えたような、人の良さそうな仲居が先に立ち、部屋へ案内してくれた。

 ちなみに一泊2万。1週間の予定、すでに前払いしている。

 昭博が自腹で泊まっていたら、夫婦喧嘩モノの値段だが、やむを得ない。

 内心で夫にわびながら、へそくりで代金を支払った主婦が、ここにいた。

 「あら?東京からですか?」

 「はい。もうしわけございません。飛び込みで」

 「いえいえ。近頃、こんな田舎に来る人も少なくて……」

 仲居がいれてくれたお茶を飲みながら、気がつけば世間話に花が咲いていた。

 「でも、珍しいこともあるものですねぇ。昨日と今日で東京から何人も来るなんて」

 「あ、そうなんですか?」

 「はい。倉橋の神社でお祭りがある関係ですかねぇ。大学の先生と、その助手の方達でしょ?それと、外人の女連れのオトコの人」

 「まぁ」

 「この二組、私のカンですけど、そういう関係みたいですよ?」

 「不倫……ですか?」

 由里香も人並みに興味はある。

 娘に「オバサン」とバカにされても、だ。

 この話題だけで、仲居と由里香は、夕食の時間まで話し込んでいたという。



 夜、由里香は夕食に舌鼓をうち、温泉を堪能した。

 後はお酒。

 何か、目的を忘れそうな勢いで楽しんでいる自分に気づいていたものの、

 (そ、それでも)

 由里香は必死に自己弁護していた。

 (わ、私だって、綾乃を育てるのに一生懸命だったんだから。これくらいのご褒美を自分にあげたっていいですよ……ね?)

 またも夫にわびつつ、湯上がり、浴衣に袖を通した由里香は、珍しく髪を結い上げた。

 腰まである黒髪は、由里香の自慢だ。娘が髪を伸ばしているのも、その影響が強い。

 髪を結うだけで印象は全く違って見える。

 自分の何かを変えることで、非日常の姿をとらねば、何か、誰かに申し訳ない、そんな気がする由里香だった。

 

 湯上がり。

 「あら?」

 先ほどの仲居がカートを押して歩いている。

 カートの上には、湯気を立てる鍋と銚子の山。

 さすがに重いらしく、仲居も苦労しているらしい。

 「仲居さん」

 「あら?お客様」

 「手伝いましょうか?」

 「いえ!とんでもない!仲居生活45年、そんなことをお客様にさせたら」

 カートを押す力を強めた途端、

 グキッ

 いい音がした。

 「い、痛たたたたっ」

 「腰、お悪いんですの?」

 「は、はい。やはり歳ですかねぇ……」

 「ちょっと待ってくださいね?」

 

 ポウッ

 仲居の腰にやった由里香の掌が不意に輝く。

 治癒魔法だ。

 

 「あ、あら?」突然、腰の痛みがなくなったことに、仲居は驚いた。

 「お年なんですから、無理しないでくださいね?」

 いいつつ、カートを押す由里香。

 「は、はぁ……?」

 「これ、どこまで?」

 「あ、土手の間です……お願いできますか?」

 「はい」

 

 途中、二人は話し込んでいた。

 全ては、倉橋家の代が変わってからだ。

 倉橋家が中心になって、バブルに乗りそこない、観光開発に失敗したせいで、観光客が激減、この旅館も左前が続き、30人いた仲居ももう4人しかいないこと。

 それでも、近頃は倉橋も割れていて、分派となった者達が温泉を観光資源として再利用しようと、いろいろ取り組んでいてくれるから、もう少ししたら昔通りの経営が期待できるかもしれない、など。

 

 倉橋の代が変わってから。


 その言葉が、由里香には重かった。


 もし、私が代をとっていたら、この旅館はどうなっていたんだろうか。


 仲居は言った。


 「いえね?別に倉橋様に文句つけるつもりはないんですよ?でも、今の御当主様、ご存じですか?女性の方なんですけどね?あんなり人望がない方で、いい評判がないんですよ。旦那様には早くに死なれて、苦労されているせいかもしれませんけどね」

 「あ、いえ。旦那様が?」

 「ええ。政略結婚だったんですよ。本当に好きだった方とは結ばれることなく、イヤイヤ結婚したそうで、それでも、娘さんが生まれてすぐ、ご主人も事故で亡くなられたんですよ。もう12年位前でしかねぇ」

 「……」

 苦労したのは、私だけじゃなかった。

 でも、私は昭博さんと綾乃という幸せに包まれて日々を送れた。

 それなのに……。

 有里香……。

 由里香は、不意に、目頭が熱くなるのをおさえられなかった。


 でも、母さえいてくれれば。


 「あの、先代の御当主は?」

 「それがですねぇ……」仲居の顔が曇った。

 「?」


 イヤな予感がした。


 「誰も見ていないんですよ。かれこれ10年以上」


 「え!?」

 由里香の両眼が、驚愕に見開かれる。

 「行方不明……らしいんですよ。倉橋で代替わりのお祭りがあった夜から」



 どういう、こと?


 有里香は、母は危篤といってきた。

 10年近く、母はどこにいたというのだ?

 倉橋の先代当主だ。

 それが行方不明で騒ぎにならない?

 そんな、馬鹿なことが……。


 「あの?お客様?」

 「あ、ああ、ごめんなさい」

 立ち止まったままの由里香の顔を、仲居が心配そうに見つめていた。

 「さ、お鍋が冷めてしまいますね。急ぎましょう」

 努めて気丈に振る舞ったが、内心の焦燥感は、どうにもならなかった。



 「ここです。ありがとうございました」

 仲居が由里香に一礼して、カートから鍋を降ろした。

 「土手の間」の表札が掲げられた部屋からは、賑やかな三味線や男女の笑い声が聞こえてくる。

 よく言うどんちゃん騒ぎだ。

 「昔は、こんな賑やかなお部屋ばかりだったんですよ?」

 仲居は残念そうに言った。

 「芸者を上げて大騒ぎ。楽しかったのなんのって……ただ、ですね?」

 「ただ?」

 「……どこから、いつ呼んだかわからないんですよ」

 仲居は不思議そうに言った。

 「え?」

 「誰も見ていないっていうんですよ?この部屋の芸者さん達が入ってきたの。いえね?ここで芸者の置屋やっている所は全部知っているんですけどね?全員、見たことのない芸者さん達ばかりで」

 仲居は首を傾げつつ、扉を開けた。

 「失礼いたします。お待たせいたしました。お鍋とお酒をお持ちいたしました」

 その声に、室内から陽気な男の声がする。

 「あ、はぁい!さ、悠理君、飲むぞ!」

 ピクッ

 その声に聞き覚えがあった。

 

 「土手の間」の中では、金屏風を前に芸者が5人。

 三味線をかき鳴らし、舞い踊っていた。

 式神だということは、由里香にはすぐわかった。

 そして、見慣れた男と、一見、少女と見まごう少年が、酒の満たされた朱色の大杯を飲み干していた。

 

 夫・昭博と娘の婚約者・水瀬悠理……。

 

 「あの……」

 「おや?きれいなお方!どうです?ご一緒に」

 「なっ−!」

 夫がかなり酔っていること、そして、自分が髪を結い上げていること。

 それが夫の判断を狂わせている。

 由里香が、そのまま凶状に及ばなかったのは、そう思いこむことにしたからだ。

 そんな妻の心境に気づかない夫は陽気に言う。

 「旅先で袖すり会うのもなんとやら。ささ。飲みましょう!」

 「うんうん」と水瀬。

 どうやら、水瀬までかなりできあがっているらしい。

 髪を結い上げた由里香が誰か、まるでわかっていない。

 水瀬のことは、綾乃に伝えることにしつつも、由里香は怒りを抑え、

 「わっ。いいんですか?」

 「ええ。ささささ」

 勧められるままに差し出される杯を飲み干し、かに鍋を食べ、そして……。


 そろそろお開きの頃。

 もう床にはお銚子が数十本転がっている中で、由里香が昭博に尋ねた。

 「で、ここの宿代、どうやって工面したんです?」

 「え?ああ。妻に内緒で株取引です。裏口座を妻に知られたら、僕は死にます」

 「そんなこと、していたんですね?」

 「はは。何か、よく聞くと、声が妻に似てますねぇ。あなた」

 「これでも?」

 由里香が髪を解き、昭博と水瀬の酔いは、一瞬で吹き飛んだ。

 「ゆ、由里香さん……どうして」

 「お、おばさん?」

 

 思わず抱き合ってふるえる二人を前に、由里香は怒りの形相で仁王立ちした。

 「悠理君」

 そのドスの聞いた声は、さすがに年季が入っていた。

 「は、はい……」

 思わず正座する水瀬。

 「楓の間に移ってください。ここから先は子供の見ていいものではありません」

 「し、失礼します……」

 「あ、待ってくれ悠理君!僕も!」

 水瀬に続き、土手の間の入り口まで逃げた昭博だったが……。

 ガシッ!

 浴衣の襟首を捕まれた昭博は、そのまま室内に引き戻され……。

 

 逃げつつ、水瀬は何故か、古い川柳を思い出していた。

 「女房に、土手であったが百年目」

 岡場所に行っているわけじゃないのに、おじさんもお気の毒……。

 背後から、すさまじく鈍い音と、昭博の悲鳴が聞こえた気がした。

 水瀬は思う。

 おばさんって、やっぱり、綾乃ちゃんのお母さん、なんだなぁ……。


 

 翌日−

 「楓の間」

 

 「あ、あのぉ……」

 無言で朝食の膳に向かう由里香に、ためらいがちに水瀬は声をかけた。

 「おじさんは?」

 「まだ寝ています。もしかしたら、永久に」

 まだ由里香の機嫌は最悪らしい。

 まるで、同じ状態の綾乃と会話しているような緊迫感が、水瀬を苦しめる。

 「は、ははっ……」愛想笑いは、乾ききっていた。

 「悠理君、覚えておきなさい」

 「は、はい」

 「夫は妻に隠し事してはなりません。こと、お金と女性については」

 「き、肝に銘じておきます」

 おいしそうな朝食が、水瀬にはなぜか、砂をかんでいるようにすら感じられた。

   

 「で、おばさん。これから先は?」

 「昭博さんと話し合って、その後、倉橋に向かいます」

 「じゃ、僕、護衛します」

 「いえ。水瀬君には別件でお願いしたいことがあります」

 「僕に?」

 「はい」

 昭博との『話し合い』の後、返り血を温泉で流す間に、水瀬に、倉橋家周辺の地図や測量図などを、自腹(由里香曰く「綾乃への口止め料の“ごく一部”」)で用意させると、それらを元に、いくつかの指示を水瀬に与え、自らは単身、駅へと向かうべく宿から出た。

 怪しまれないように、登山姿にリュックという出で立ちだ。


 「あら?」

 宿の角から、車が一台出ていった。

 ナンバーは品川。

 仲居の話していた、東京からのお客だろうか。

 (免許、とればよかったかしら)




 

 風が涼しい。

 木々の葉は緑から赤へ変わり、風に誘われるかのように宙を舞う。

 もう、秋だ。

 バス停をかなり前で降り、由里香は徒歩で倉橋を目指すことにした。

 山道を進むことになるが、ここからなら人目に付かずに倉橋の家を見下ろせる高台に出ることが出来る。

 道を歩きながら、由里香は思う。

 


 ここは変わっていない。



 17年前から、ずっと。



 秋の足音を聞きながら、由里香は、木々を、その落ち葉を、全てを愛でるように歩いた。

 自然と会話する。と、よく人は言う。

 それが巫女として、基本的なことだと教えられてきた由里香にとって、自然の中を歩くことは、決して遊びではない。

 それは、自然の声に耳を傾け、自然と全ての歩調を合わせる、いわば会話そのものだ。

 言語化できない、しかし、確実に感じることが出来る。

 そんな会話。

 

 由里香は自然の言葉に耳を傾けつつ、言った。


 ただいま−と。



 目指した高台にたどり着いたのは、登り初めて10分後のことだ。

 眼下に鬱蒼とした森が広がり、その中に倉橋家と神社が見える。

 「……」

 なぜか、その光景を正視したくなかった。

 ただ、高台の一角にある大きな石に、そっと手を触れる由里香。

 悲しいとき、つらいとき、由里香はこの石に座って時を過ごした。

 声を上げて泣いても、誰からもとがめられない唯一の場所。

 石が、昔に比べて小さくなっている、そんな気がした。


 倉橋の巫女として育った日々が走馬燈のように由里香の脳裏をかすめる。

 辛かった。

 悲しかった。

 でも、

 それを押し殺して生きていたあの頃。

 それが、当たり前だったあの頃。

 

 高台を包囲しつつある彼らもそうだ。

 倉橋という呪縛に縛られ生きる。

 それが、生きるといえるのだろうか?

 あの頃、私は本当に、生きていたといえるのか?


 「……全く、本当に来たのか?」

 由里香の感傷を破壊するように、声が高台に響いた。


 由忠だった。

 「由忠さん……?」

 背後にいるのは、見知らぬ金髪の女性。

 「ああ、旅館に泊まっていた二人組って、由忠さん達だったんですか」

 「何の話だかは知らないが、とにかく、だ」

 由忠とその女性は剣を抜いた。

 「死に急ぐな」

「大丈夫です。少しくらい護身の心得はあります」

 「だから……」

 由忠はあきれ顔で由里香に言った。

 「一応は倉橋の出だろうが。本当に相手が誰だかわかってるのか?」

 「当然、存じております。ですが、私だって―――」

 由里香が言い切る前に忍達が藪の中から飛び出してくる。

 「ちっ!」

 とっさに応戦体勢をとる由忠だが、それよりも先に動いたのは、なんと由里香の方だった。

 「由忠さん。見ていてくださいませ」

 そう言う由里香の掌に光が集まる。

 「水龍の剣!」

 由里香が忍達めがけて掌を突き出した途端、由里香の掌から螺旋状の渦が飛び出した。

まるで水にも見えるのは、青い炎。

 由里香の掌から飛び出しているようにも見えるその一撃は、襲い来る忍達を逆襲した。

 「ぐぁぁぁぁぁっ!!」

 渦に触れた忍達が爆発に巻き込まれ、次々と地面に転がる。

 「済みましたわ」

 何でもない。という顔で由忠に、そう告げる由里香。

 地面に転がり、くすぶり続ける忍達は、ピクリとも動かない。

 「呪文……いや、圧縮魔法か」

 その光景に、思わず由忠は独り言のように呟いた。

 「はい。たしなみ程度ですが……」

 (おいおい……)

 圧縮呪文は、長い呪文の詠唱を必要とするよう詠唱魔法を加工し、呪文発動のキーワードを唱えることでいつでも発動できる魔法だ。

 ただし、使用は簡便そうに見えて、実際には呪文の詠唱よりもかなり難しく、高位の魔 導師でもなければ使いこなすことができないことは確かだ。

 それを、こうもあっさりと使いこなす目の前の女性に、由忠はあきれかえる他になかった。

 「と、とにかく、実力の程はわかった。だが、相手は騎士だ。君は――」

 「その時はお守り下さいませ」

 「お守りって……あ、おい!監視を付けていたはずだが!?」

 「あ、あの方々は……」

 由里香は、恥ずかしそうにうつむきながら言った。

 「振り切りました……」

 「振り切ったぁ?」

 「はい……あの、電車の中で発信器を別の方にとりつけまして……多分、あの方々は、その見ず知らずの方を監視しつづけているものと」

 「……」

 あの無能共、絶対クビだ。と由忠は気が遠くなる思いで目の前の女性を見た。

 「あの、由忠さん?」

 「とにかくダメだ!何かあったら俺が昭博に恨まれる!」

 「……どうしても、ダメですか?」

 「当たり前だ!」

 ついつい語気が荒くなる由忠。

 ここはヒロイックファンタジーの世界じゃない。銃弾一発で人が死ぬことはあっても、生き返ることがない現実世界だ。お姫様のような甘ったれた台詞を唱えれば、すべての危険から逃げられるほど、あまいはずがない。

 それが、現実だ。


 「……わかりました」

 目つきが突然、剣呑なそれになる由里香。

 「い、いや、あの……」


 その目つきが、遥香を連想させ、由忠は思わず身構えてしまった。

 いやな予感がする。

 よく考えたら、この女も“人妻”だ。

 しかも、昭博から、夫婦喧嘩で勝ったなどと聞いたこともない。

 夫婦喧嘩の際、“妻”がこういう目になった時が敗北の前兆であることは、さすがに本人だけによくわかっていた。

(こりゃ、まずい……)

 



 その予感は的中した。


 「――では、かつて、あなたが私に迫ってきたことを、遥香さんにバラしてもよろしいのですね?」

 「へっ?」

 「初めてお会いした頃、あなたが私に何と言ってきたか、どんなことをしてきたか、今でも一言一句、一挙手一投足、全て覚えております。それを、遥香さんに告げてもよろしいんですね?」

 「い、いや、それはだな……」


 よく覚えていないが、そんなことをされたら、俺は間違いなく遥香に殺される。


 思わず、後ずさる由忠と、逆に距離を詰める由里香。

 「よろしいんですね!?」

 だめ押しが来た。

 「くっ……」

 ほんの少し、にらみ合いになる二人だが、

 「わかった……」

 肩を落としながら由忠は言った。

 「ただし、俺の指示にしたがうことを条件とする。飲んでくれれば護衛は引き受けよう」

 「はい(^_^)」

 「……」由忠は、ちらりと由里香の清純そうな姿を見つめ、深いため息をついた。

 (まったく、とんだじゃじゃ馬だ……)






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