第十話 「倉橋」

 その日の朝、由忠の機嫌は最悪だった。


 由忠が撃破した黒装束の男達が倉橋の勢力ではなく、イーリス達メトセラ教団の勢力だったことが判明したから。

 つまり、由忠の誤認が、綾乃の誘拐を成功させる決定打となっていたことを、由忠自身が認めざるを得なかったということになる。


 「やむを得ないことです」


 綾乃誘拐の報に接した由里香は、青くなったものの、気丈にもそう言ってのけた。

 いっそのこと、怒鳴られた方が、由忠は気が楽だった。

 それがなかったことが由忠の機嫌をさらに悪くさせていた。


 「―――で、どうするんですか?」

 同様に怒り狂っている息子が苛立った顔を由忠に向けてきた。

 怒り心頭という息子の顔を見たのは、由忠にとっても久しぶりのことだ。

 「水月の儀まで待つ」

 由忠は投げやりに言った。

 「最低でも、儀までは奴らは綾乃ちゃんを殺せない。殺す勢力から死にものぐるいで守ってくれるだろうよ」

 「それまで、指をくわえて見ていろというんですか?」

 いつになく険悪な声色の水瀬。

 「他に何が出来る?」

 「瀬戸さんの拉致されている場所を―――」

 「とうの昔に手配済みだ。魔導師共が血眼になっている。結果はすぐ出る」

 「出たら、僕が行きます。倉橋を根絶やしにするのが一番です。βタイプのメサイア借りて殴り込んでやる」

 「……機動兵器でなにをやらかすつもりだ。お前は」

 「フレイム・ランチャーで家ごと焼き殺します。仮に生き残った奴はML(マジック・レーザー)で蜂の巣にして―――」

 「あれはお前のおもちゃじゃない。絶対ダメだ」

 「でも!」

 「どうにもお前は綾乃ちゃんのことになると理性を失うな……」

 あきれ顔の由忠。

 これが単なる要人警護だったら、悠理はここまで焦ることはない。



 由忠はため息混じりに息子の顔を見つめた。


 やはり、女が絡むと変わる辺り、俺の子か……。

 

 「いいか?今、倉橋から綾乃ちゃんを奪還しても、それだけでは事は終わらない」


 由忠は思う。


 こいつにこんな風にかんで含めるような言い方を最後にしたのは何年前だろう。


 由里香が娘を守る答えとして倉橋行きを決めたなら、俺は父親として息子の未来のために何が出来るか、俺も、俺で答えを出さねばならない。

 綾乃という未来を選択した息子のため、父親として出来ることはしてやりたい。

 

 だから、由忠は言った。

 

 「すぐに、何度でも、あいつらは綾乃ちゃんを奪いに来る。そして、綾乃ちゃんを殺そうとする勢力も、メトセラも、まだ諦めているわけじゃない。綾乃ちゃんを奪還することは、昨日の昼まで時計の針を戻すだけのことだ。それじゃあ意味はない。大体、よく考えてみろ」

 「?」

 「いいか?何が問題なのか。綾乃ちゃん自身というより、倉橋の巫女としての血が問題なんだ。倉橋の巫女の血は綾乃ちゃんの子供にも引き継がれ、いわば水月の儀が行われる度に綾乃ちゃんか綾乃ちゃんの子供が狙われることになる。呪いの連鎖だ」

 「あっ……」

 「わかるな?この連鎖を、今、ここで断ち切らなければならない。それに、アイドルが行方不明では、警察も動くことになる。マスコミもだ。下手に動けば命取りになりかねない。もう、綾乃ちゃんがさらわれたことが公になるのは時間の問題だ。そうなれば今まで通りには決していかない。いいか?これは命令だ。決して独断で動くな。いいな?」

 「……わかりました」

 不承不承という顔で頷く水瀬。

 「新型メサイアの調整、まだしばらくつきあわなくてはならないんだろう?遥香もかなり手こずっているらしいから、しっかり手伝ってやれ」

 「でも、父さんは?」

 「手を打つ。大人でなければ出来ないあたりの、な」

 ポンッと水瀬の頭に手をやってから、由忠は部屋を出て行った。








 ――ここ、どこ?

 綾乃が目を覚ましたのは、見たこともない部屋の中だった。

 畳敷きの広い和室。

 ドラマ撮影で泊まった地方の豪華な旅館を思い出させる太い柱をぼんやり眺めながら、綾乃は、部屋で寝ていたはずの自分が、なぜ、こんな所にいるかを考えた。

 

  

    「誰?お母さん?どうしたの?」


 ドアノブに手を回した所までは覚えているが、後の記憶がない。

 気が付くと、いつの間にかパジャマが着物に替わっている。

 

 どういうこと?


 思い当たるフシは、一つ……。

 

 ガラ

 

 襖が開き、神主の装束に身を固めた男が入ってきた。

 穏和な顔立ちに中肉中背、あまり悪人という顔ではない。

 「お目覚めですか?」

 「は、はい……」

 「そうですか……いや、起きあがらなくて結構。疲れておられるでしょうから、そのままで結構。まずは」

 そう言って、男は綾乃の布団から少し離れた所で正座すると、深々と頭を下げた。

 「不作法をお詫びいたします。私は倉橋に仕える神官の一人、倉橋祐一といいます。あなたの御母堂、瀬戸由里香様とは従兄弟になる者です」

 「そ、その方が、なぜ、私を?」

 「全ては、倉橋の為です」


 は?

 そう言い切られても……。

 それで人が理解できると本気で思ってるんだろうか?この人……。


 「あのですね?話しが大きすぎてわかりません。私をさらったり、殺そうとしたりすることが、なぜ、倉橋のためなのです?」

 「……いずれ、わかります」

 祐一は、そう言って立ち上がった。

 「今は、体を休めていて下さい。何かございましたら、隣部屋に控えている者に」

 二の句を綾乃が口にする前に、襖は閉まった。



 

 襖の向こうは、向かいに襖の代わりに格子がはまった部屋になっていた。

 綾乃のいる部屋と外界を行き来させないようにするための、いわば座敷牢だ。

 その座敷牢をくぐった祐一を待ちかねたように数名の神主姿の男達が近づいてきた。

 「祐一様。いかがです?」

 「申し分あるまい。儀の準備は?」

 「滞りなく。問題は―――」

 「黒達か」

 考え込む祐一。

 黒――。

 倉橋の闇を支え続けた騎士集団、俗に言う忍達。

 何度も自らの敵を排除するために使った経験のある祐一だからこそ、敵とした今、その存在は驚異だった。

 「あまつさえ、今回は水瀬家の介入は必至と」

 「水瀬家が?」

 「綾乃様は水瀬家の嫡男との縁談が決定しております。いわば、自家の嫁がさらわれたことになりますので」

 「私は知らんぞ!そんなことは!本当か!」

 「事実です。黒達と水瀬家が激突し、あまつさえ共倒れならば最善ですが」

 「無理だ。水瀬家が黒達程度で相手になるか。あのバケモノの血を倒すことなぞ人間には不可能だ。東、水瀬家の当主とコンタクトはとれるか?」

 「どうするおつもりで?」

 「和解を図る」

 「は?」

 「水月の儀、終了まで介入を控えてもらう。儀の後、綾乃様が水瀬家に嫁ぐかどうかは、綾乃様ご自身に判断していただけば良い」

 「しかし」

 「巫女として生まれ変わった者が、倉橋を捨てることが出来るものか」

 意地の悪い笑みを浮かべる祐一。

 「巫女は力だ。力を手に入れた人は、それを手放すことなぞ出来はしない。あの力を手にしたら、綾乃様だって倉橋から離れることなんて考えようともしないだろう。有里香様のようにな。

 それに、水瀬家との縁談だってどっちにしても失敗する話さ。

 わかるだろう?どんなに傅かれたとしても、東京生まれのアイドルが、長野の田舎暮らしに耐えられるはずあるまい?元々、その程度の話さ。なら、我らがそれを壊したとして誰が非難できる?結果は同じなのだ。むしろ…そうだな。水瀬家からは感謝してもらってもいいくらいだ。家の不名誉を事前に清算してやったんだからな」

 「では、水瀬家を騙すおつもりで?」

 「今の当主が、それを見抜けなければ騙したことになるまい?見抜けぬ方が悪い。それに、倉橋に残ることは綾乃様ご自身の意志だ。水瀬家としても無碍には出来まいが」

 「では」

 「意地でも我らの儀は成功させる。そして、有里香様にはお休みいただこう。次代の力は我らのものとせねばならない」

 「儀は、我らが命に替えても」

 「頼む」

 

 

 

 どうしろというのだろう。

 途方に暮れた綾乃は、ぼんやりと天井を眺めながら考えた。

 今日、何日?

 今、何時?

 確か、今日はTKV局で2時から撮影で、4時からグラビア撮影があったっけ。

 あ、借りていたCD、今日が期限じゃなかったかな……。

 やるべきこと。

 やらなければならないこと。

 やりたいこと。

 次々と頭にそんなことが浮かんでは消えていく。

 すべて、今の自分には出来ないことだという認識と共に―――。

 


 あの時、イーリスさんは言っていた。

 

 

 「今、お前は人生の岐路に立たされている。今回の件は、そういう意味だ。殺されるか、倉橋の巫女として、あるいは我が教団の依代として自己を消されるか、あるいは、今の生活の延長か」


 「全ては、お前の意志一つだ」

 

 「お前は、運命を決めろ。未来は、自らの意志で勝ち取れ」

 


 私は、そう言われた。

 だから訊ねた。


 「勝ち取れますか?私でも」


 そして、言われた。

 「それはお前次第だ。お前がどうしたいのか、それをまず見定めろ。無闇に神を頼るな。この世界の神は偽りの神。真実の神の力は期待できない。最も期待できるのは己の内面、いわば心だ。心を研ぎ澄まし、その声を聞け。そうすれば道は開く」


 でも、もう、私には選択肢はなさそうだ。

 もしかしたら、これが私の望んだ結果なのかもしれない。

 自分の力で生きるのが怖いから。

 誰かに頼っている方が楽だから。

 だから、私は楽な方へ逃げたのかもしれない。

 よくはわからないけど、巫女として傅かれる生活は、確かに楽なんだろうし……。


 綾乃は痛感した。


 ここから逃げ出すことすら考えられない。

 誰かが助けてくれることしか考えられない。

 それどころか、自分で生きる道を見つけようとすらしない。

 わからないものを、わからないままで放り出している。


 だめだ。

 

 やっぱり、私は、弱い―――。




 ゴトゴトゴト


 不意に室内に響く音によって、綾乃が現実に引き戻されたのはすぐのことだった。


 何だろう。

 部屋に向かって何かが近づいているような音。

 音は―――。

 そう。掛け軸からだ。

 綾乃が音が聞こえてくる方角を見つけたのと同時に、掛け軸がそっと動いた。

 「?」

 綾乃が掛け軸を凝視している中、出てきたものは、瞳だった。

 掛け軸の裏からそっとこちらを見つめる瞳。

 周囲への警戒心と、目の前にいる綾乃への驚き、そして憧憬、感動、そういった様々な感情が読み取れる。

 「あ、あの……」

 声を掛けた途端、

 「うっわ〜っ!ホンモノだぁ!」

 年の頃は12歳位、巫女装束が愛らしいあどけない顔立ちに好奇心一杯の瞳を潤ませている女の子が、掛け軸の裏から出てくると、綾乃をしげしげと見つめてきた。

 「ね、ねねねね!瀬戸綾乃でしょ?本人だよね?」

 「え?ええ」

 「わーっ!感動っ!私、ファンなんだぁ!」

 「あ、ありがとう……」

 「わっ、さわっちゃったぁ!なんかスゴイ!私感動っ!」

 綾乃の周りを飛び跳ねながらそういう女の子に、綾乃は少し引いていた。

 

 「綾乃様?」

 

 襖の向こうから不意に声が聞こえるのと同時に女の子は掛け軸の裏へ走って戻っていく。


 「何かございましたか?」

 

 「あ、ごめんなさい。何でもありません。少し、ドラマの役作りを……」

 「はぁ……」


 掛け軸の裏から、そっと顔を出した女の子を手招きしつつ、綾乃はそう言った。

 きっと、ヘンなコトしてるって思われるんだろうけど、でも、この子、きっとあの人達に出会うことが出来ないんだろうし。

 警戒しながら近づく女の子に、綾乃はそっと言った。

 「もう少し小さい声で。私、瀬戸綾乃です。お名前は?」

 「私?倉橋亜里砂」

 

 次の言葉に、綾乃は息を飲んだ。


 「私ね?水月の儀をやる巫女なの」  





 倉橋亜里砂(くらはし・ありさ)

 倉橋有里香の娘。

 倉橋の巫女。

 しかし、ただの少女に過ぎない存在―――。


 「亜里砂様!」

 綾乃の監禁されている場所から戻った亜里砂の元へ、乳母が血相を変えて飛んでくる。

 「一体どこへ―――」

 「山に遊びに行ってきただけよ」

 「いけません!」

 乳母は声を荒げ、亜里砂は内心で舌打ちする。

 「あちらの山は、今、巫女様と袂を分かった裏切り者達が巣くう処です!そこにお嬢様が行けばどんなメに会うか」

 そんなことはない。

 亜里砂は説教を聞き流しながら思う。

 あの人たちだって、ちょっと前までお小遣いくれる位親しく接してくれたんだ。

 それに、次の巫女は私なんだから、そんなにヒドイことはしないはず。

 大体―――。

 

 「さ!修行の時間です!」

 「みたい番組があるんだけどなぁ……」

 乳母の後ろをトボトボと歩きながら呟く亜里砂だが、乳母の怒りに火を注ぐだけ。

 「巫女の修行にテレビなんて不要だと何度!」

 「はぁい」

 

 乳母について歩きながら、亜里砂は修行への不満を口の中だけで抑えた。


 一番ヒドイのは、私の自由を奪う、乳母や御母様達じゃない。

 

 今度の日曜だって、あかりちゃんが誘ってくれたのに、だめだって言われた。


 また、私一人だけ遊びに行けない。


 いつも、私一人だ。

 いつも、みんなの話題に、私だけがついていけない。

 学校で、私がどれだけ辛い思いしているか、誰もわかってくれない。

 そんなの、ひどすぎるじゃない。


 大体、倉橋の巫女になって、私に何の意味があるって言うんだろう―――。

 巫女は、神に仕える身だという。

 でも―――。


 神って何?


 祈りを捧げ、舞を舞う日々。

 

 それが私にとって、何の意味がある?


 誰かに見せるわけでもない。

 ただ、神という、「何か」に仕える日々。


 望んだことじゃない。


 でも、


 亜里砂は思う。


 じゃあ、巫女を辞めていいっていわれても、

 私、

 何になりたいのだろう。

 何が出来るんだろう。

 

 そうだ。

 こんな時、どうしてきたのか、

 今夜、綾乃ちゃんに聞いてみよう。



 ―――って、言われても……。

 その夜、亜里砂を前に綾乃は途方に暮れていた。

 そんな難しいこと、私に答えられるはずはない。

 そんな質問はもんたさんか和子さんにしてほしい。

 でも、亜里砂の真剣な目を見ると、何か答えなくてはならないという気にはなる。

 「そうね……」

 考え考え綾乃は答えた。

 「何が出来るか、何がやりたいか、それを、亜里砂ちゃんの年で決めるのは、早すぎると思います」

 「綾乃ちゃんがアイドルになりたいって思ったのは?」

 「ほんの最近のことです。亜里砂ちゃんの年で今の自分を想像すらしてなかったです」

 「そうなんだ……」

 「私、亜里砂ちゃん位の時は、お菓子屋さんになりたかったんですよ?」

 「綾乃ちゃんが?」

 「ええ。お菓子、好きだったから」

 バツが悪そうにペロッと舌を出す綾乃の仕草に、亜里砂はようやく安堵のため息をついた。

 「じゃ、まだ、私はどうするかなんて、考えなくていいんだ」

 「ええ。今は、例え与えられたこととはいえ、今、やらなければならないこと、やれることをきちんとやることが大切です」

 「うん……あとね?」

 「?」

 不意に表情が暗くなった亜里砂に、綾乃は気づいた。

 「どうしたんです?」

 「綾乃ちゃん、大切な人を喜ばせるために、ついたウソって、いいことなのかな」

 「え?」

 「あのね?大切な人に、喜んで欲しいって思って、それでウソをつくこと」

 「そう、ですね。ウソは確かに悪いことです。でも、それで誰かが幸せになるなら、それは決して悪いことじゃないと思いますよ?」

 「でもね?それで、みんなが変わっちゃったとしたら、それって、いいことなのかな」

 「亜里砂ちゃんは、何かウソをついたのですか?」

 「うん……」

 亜里砂は、覚悟を決めた。

 「あのね?水月の儀って、神様との結婚の儀式だってこと、綾乃ちゃんは知ってる?」

 「え?ええ。聞きました」

 「結婚するってことは、オンナになってなくちゃいけないってことだよね?」

 「え゛!?」

 突拍子もない発現に、綾乃の思考は一時停止してしまった。


 この子、何がいいたいの?

 オトコとオンナの関係なんて、現実に経験のない私に聞かれても困る。


 「ど、どどどどういう、い、いいい意味でしょうか?」

 「綾乃ちゃん、声が裏返ってる」

 「か、かかかかか関係ありません」

 「あのね?私、ホントはまだなんだ」

 「ま、ままままままだ。とは?」

 「だから……」

 赤面しながら呟くように言ったのは一言。

 「あの日」

 「―――え?」

 「だから、まだ、私、きてないんだ。本当は」







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