第1話 何事も始まりはその一歩から

 革靴が床とぶつかり、大きくかつ短い音をたてる。廊下に響くその音は、俺の他にも、もう一つ。

 俺の前を歩く背広を見ながら、灰色の壁が覆う廊下を歩く。がっしりした体格は、理系と文系が混ざり合うこの『研究所』に似つかわしくない。それを言ったら俺の制服姿もこの場には似合わないんだろうけどさ。

 片やこの春に入学する高校のブレザーの制服、片や社会人の背広姿。

 後者と白衣を着た人達とはこの施設では半々の割合だ。

 相変わらず靴音ばかりが響く。会話をしようにも、前を歩く人は俺とは初対面な上に、案内を務めているだけの人だ。俺を呼び出した当人ではないから、呼ばれた理由を聞いても分からないだろう。

 歩くのに合わせて、胸元でネームプレートが揺れる。金属のクリップで胸ポケットを挟み、柔らかいプラのプレートが前後に揺れて小さな音を立てていた。受付で渡されたそれは入館証で、他に視線のやり場も無かった俺はもう一度そのネームプレートを確認するべく見下ろした。


Brideブライド 日本支部 入所許可証

 名前:福津ふくつ せい


 それだけ書かれたプレートを見て溜息を零す。


 『Bride』――正確には、トイフェル討伐組織『Bride』。なんでも、人類の『Blood』と『Pride誇り』を掛け合わせたらしい。確かに、トイフェル――――あの化け物どもと戦う時は命を懸けて戦う必要があるから間違ってはいないな。といっても、俺の場合は前線に立ちつつもサポートといった役回りなんだが、命を懸けて戦う事には違いない。

 一定した形の無い、様々な形を持つ怪物。共通しているのは平均して体長が三~四メートル以上はある事。それがトイフェル。いつどこで奴が現れるのか、どうして人を襲うのか、その理由は初めて出現して三十年以上経つ現在まで判明されていない。早く判明してくれねぇと、またどこかで犠牲者が出るっていうのにな。

 これまでの人生に出会ったトイフェル達の姿を思い出して、自然と唇を噛む。最初に出会ったトイフェルの姿は今でも忘れられない。細い三日月をバックに立つ巨躯。筋肉が盛り上がったとしか思えない体に対して顔は牛に近かった。牛の角と鼻輪の輪郭に加えて、ぎらついた赤い目が光っている。記憶の中のトイフェルが破壊と殺人を繰り返す。でかい身体に合ったその太い腕を振り下ろし、対象としていたのは…………


「福津君、到着しましたよ」

「……あ、はい!」


 突然呼ばれて現実に意識を引き戻される。立ち止まっていた案内の人とぶつからないように足を止め、視線を奥へと向けた。振り返ったその人の体越しに見えるドアには、「人事管理長室」というプレートが取り付けられていた。今までにも何度か来た事がある部屋なので、今更緊張はしないが、なんとなく制服の襟を正す。

 案内の人がドアを数回ノックすると、すぐに「どうぞ」という低い声が聞こえた。


「失礼します」

「……失礼します」


 ワンテンポ遅れて挨拶をしてから、案内人の背中を追うように中へ入る。久しぶりに訪れる部屋はレモンのような爽やかさを醸し出す芳香剤の香りで満ちており、変わらぬ懐かしさにどこかホッとした。

 相変わらず広いが事務的な部屋だなぁと思う。仕事関係だろう分厚い本が所狭しと並べられた本棚は二台だけ。奥に見える部屋の主用の机、それから中央にあるテーブルと一対の黒張りソファー。細長い観葉植物が一つ窓の近くにあり、それ以外は大きな家具も無い。だからなのか、広く感じる。

 俺を呼び出した部屋の主が机に座っているのも変わらない。

 変わっている点は、ソファーに客人が座っている事だけだ。


 客人だと分かったのは、目を引く存在感だったからだ。

 まず、小柄であり俺よりも遥かに小さい身長であった事。幼い顔立ちの両サイドには一体何年伸ばしてきたのか、とても長い茶色のツインテールが垂れていて、ソファの上にまでその先端を二十センチ近くは乗せている。

 服はフリルがふんだんについた……えぇと、ロリータ、だっけ? 実物をよくは知らないが、そういう白っぽい服に身を包んでいた。胸元に、細長い六角形をしたクリスタルのような形の青い石のネックレスがぶら下がっている。昔連れられていったパワーストーンの店とかで見た奴みたいだな。

 コップに注がれたオレンジジュースをストロー使って飲んでいるそいつは、肌も白くて、まるで人形みたいに見えた。無表情なのが余計にそう思わせる。

 年齢はよく分からないが、小学生ぐらいの印象を受けた。今の平均身長をよく知らないから詳しくはわからんが、十歳前後……だろうか?

 一度だけそいつはこっちに視線だけ移したが、それだけ。再びオレンジジュースを飲みだした。……おいおい、失礼じゃねぇの? っていうか、なんでこんな子供の、しかも女の子がここに居るんだ?


 あまりにもこの部屋には似つかわしくない存在に意識を奪われていたが、耳に入った言葉で現実に引き戻された。


「ご苦労。彼だけ残して君は仕事に戻ってくれ」

「はい。では、失礼いたします、福津管理長」


 案内人が頭を下げて部屋を出る。俺とすれ違う時に小さく微笑まれて、こちらは頭を軽く下げて返すしか出来なかった。笑えば良かったか?

 ドアを閉めて数秒も経たない内に、さっき管理長と呼ばれた人――義父さんが立ち上がって歩いてきた。スーツの胸元には「福津 蒼樹あおき」の名前が刻まれた金属のプレートが鈍く光っている。仕事用にワックスで軽く固めた短い髪が照明に当てられて少しだけ光る。皺が数本刻まれてきた目元が柔らかく笑いかけてくる。眼鏡ではなくコンタクトレンズを使用している細い目から伝わる雰囲気は好意的だった。もうすぐ四十になるような年齢だというのに、若々しく見えるのは毎日を一生懸命生きているからか。家でも変わらないその笑顔に、ここが仕事場だという事を忘れそうになるが、忘れちゃダメだと意識し直す。


「わざわざ呼んですまなかったね。しかも、高校の制服に着替えさせてまで……」

「いや、でも、どうせ明日から学校だし着慣れるのにちょうどいいかなと思ってたから別に気にしてない。それに、スーツなんて子供の俺にゃ持ってねぇから、制服これぐらいしかここ来る時に着る物無いし」

「そうだな。今回は弁当を届けてくる時のような気軽さとは違うから、仕方ないか。それにしても、お前も明日から高校生か……」

「感慨にふけるのは家に帰ってからにしてくれよ。で、俺を呼び出した用事って?」


 放っとくと何か色々と思い出を話しだしそうだったので遮って本来の用件を伝える。客人も居るんだし、早く終わらせておくに越した事はないだろう。

 義父さんはすぐに目の焦点を現実に戻して、「そうだったな」と呟いた。


「お前の役割はサポートだったな?」

「あぁ。相変わらず結界魔法と魔力札ぐらいしかまともに扱えねぇけど」


 俺の答えに義父さんは一つ頷く。


 魔法――――原理はよく分からないが、なんでも魔力なるものは大気中に溢れており、資質がある者は体内にも有している。それを扱うには過酷な訓練が必要とされる。資質を持った奴が発見されるのは、色んな事情で組織に関わった際に調査して判明する事が多い。それ以外の手段で一般人から見つけるのが難しかったりする。

 そして魔法にも大雑把に分けて種類がある。攻撃魔法、結界魔法、補助魔法。攻撃魔法や結界魔法はよくラノベとかアニメとかで見るようなやつを想像して貰えればわかりやすい。補助魔法は……これは色々な種類があるので一概には言えないのが困った。まぁ、人や物を強化バフするとか、弱体化デバフを与えるとか、そういったのを想像してもらった方が良いかもしれない。本当はもっと色々あるけど。

 魔力を媒体にする物にも色々あるが、魔力札という、名前の通り魔力を込めた札を使用する人も割と多い。予め魔力を込めておけば実践で無駄に魔力を使わずに済むのだからこれほど効率の良い物はないという奴だ。

 俺にも魔法の資質は有るが、とある事情により、能力は低い。現在は結界を張れるのと魔力を込めた札を使役するのが関の山だ。だからサポートに回されてるわけだ。


 そして、この組織では大体が二人一組ツーマンセルだ。……なのだが、俺は今のところは共に行動するパートナーが居ない。理由は色々あるが、単純に答えるなら「相手が居ない」といったものになるのか。


 話を戻そう。つまるところ、魔法というのは一般人には知られていない、裏の世界と同義でひっそりと使われているものだ。

 そして、魔法と同時にトイフェルの存在が世に知らされていないのは、組織が秘密裏に処理している事に加えて、ありとあらゆる手段とネットワークを駆使して情報を保護しているからだ。俺のような犠牲者も各地に存在しているが、その事件の詳細も俺の時同様に闇の中にされている。


 ……思い出しそうになった記憶を閉じる。今は、それを思い返す時じゃない。

 義父さんの続ける言葉に意識を集中する。


「それだけ出来れば十分だ。それでだな、今回お前にサポートしてもらいたい奴が居る」

「誰?」


 別の場所に居るのなら早く教えてもらって会いに行った方がいいだろう。そう思っていた俺に、義父さんは言葉ではなく視線で答えた。視線を向けた先は、ソファに座った少女だった。

 ……おいおい、ちょっとまて。いくらなんでも、その流れでそんな事になるか? いや、もしかしたらこの子の親という可能性もあるよな。……子持ちの戦闘員か。さぞかし戦闘経験豊富な女性だと期待したい。男性だったらどうしよう。


「霧崎くん、こちらへ」

「…………はい、福津さん」


 小さくも、よく透き通る声だった。彼女は空になったコップをテーブルに置くと、ソファから降りて立ち上がり、急ぐでもなく普通の速さでこちらに歩いてきた。義父さんの横に立ち、俺へと身体を向けて見上げる。さっきは遠かったからよく見えなかったが、栗色の大きな目をしていた。先程の観察でも感じたが、やはり人形みたいな可愛さだった。無表情なのがそう見えさせるんだろうな。しかし、俺にロリコンの趣味はねぇ。


「この子が、君をサポートする事になった、私の息子だ」


 義父さんが俺を手のひらで指して紹介した。……ん? 今、何つった?

 俺が、誰をサポートする事になったって?


「待ってくれ、義父さん。まさか、その子が戦闘員だとか言うんじゃないだろうな?」

「その通りだが」

「いや、おかしいだろ。なんでそいつが戦闘員なんだ。しかもまだそんな小さい子に、あんな酷な仕事させるのかよ?」


 眩暈がしてきた。

 実際の戦闘がどんなものか分かっている。俺だって、今までにも何度か戦った事はあるんだ。だからこそ、この少女がそんな戦いに身を投じるなんて事が信じられなかったし、酷だとも思った。

 俺の言葉に義父は少しだけ眉を寄せた。


「……この子は、少々特殊な事情があってな」

「特殊な事情?」

「詳しい事は今は言えん。それと、彼女は六年ほど海外に住んでいたから日本の事はあまり知らないんだそうだ。仲良くしてやってくれ」


 言葉を濁す義父さんが気になったが、おそらくこれ以上詮索しても無駄だろう。それに、決定事項らしいし。


「……しょうがねぇな。わかったよ、組織が決定したんなら、従う他ねぇだろ」


 肩をすくめて承諾すると、安堵したのか、小さな溜息を零すのが見えた。

 本当は、こんな小さな子を戦闘に出すのは気が引けるが、いざとなりゃぁ助ければいいだろ。何はともあれ、遅くなった挨拶をするか。

 霧崎、と呼ばれていた女の子に右手を差し出した。

 微塵も臆した様子もなく、彼女も俺の手を握り返す。無表情のままだったし、おとなしそうに見えたが、人見知りしないタイプらしい。小さな手が、彼女の幼さを強く感じさせた。


「俺は福津 誠。よろしくな」

「…………ユイ キリサキです。……よろしく」

「ん? おいおい、ここは日本だぞ」

「ぁ……すみません。

 ……霧崎きりさき ゆいです。名前の漢字は、『唯一』の『唯』、です……」

「難しい漢字知ってるな」

「…………教えてもらいましたから。

 それに、

「?」


 何か、年齢に似合わない印象を受けた気がして、首を傾げる。

 その疑問に答えたのは義父さんだった。


「あ、

 十歳だが、飛び級なんだ」

「…………そうです」

「…………」

「誠?」

「……………………」

「…………誠さん?」


 沈黙の、後。信じられない事実に、ようやく脳の処理が追いついてきた。


「な、んだってぇーーーーーーっ?!」

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