第2話

「ここが今日から俺が住む街……」


 ナツメユウは本年度から、ここ「つきはなニュータウン」にある月華学園へと通う事になっていた。月華という名の通り、ここら一帯は月華グループが支配している。


 元々、月光島は多数の企業が参加して開発されたという経緯があるため、ヤクザの縄張り争いのようなものが頻繁に起こっていた。月華ほど大きな企業が支配しているこの地区は安全だが、少し中心から離れると小規模企業が合同で開発したスラム街のような地区も存在する。それこそ、そうした地区ではヤクザが肩で風を切って歩いていたりする。


 とはいえ、ここ月華ニュータウンはそうしたスラムに関連するものは徹底的に排除されている。ユウはここに新居を構え、夢の一人暮らしをするのだ。


 新居である橘マンションは駅から10分程度の場所にあった。10階建ての2LDKマンションという、およそ学生が一人暮らしする場所としては分不相応なものではあったが、その分セキュリティ面はしっかりしている。防犯カメラや二重ロックを始めとし、警備ロボット付きである。


 ユウは安い寮のようなものがあればそこでいいと言ったのだが、月華ニュータウンに住むのならここがよいと両親が言ったので橘マンションに住む事になった。


 ユウが知っている限りでは両親は月華ニュータウンを訪れた事はない。橘マンションをあそこまで推す理由はわからなかったが、大方一人息子を見知らぬ地に送り出すのなら安全な場所に住んでほしいという親心だろう。


 そんな事を考えながら新居を訪れると、ちょうどマンションの入り口前で何かの作業をしていたらしい女性の姿が見えた。なんとなく何をしているのか気になって見ていたら、こちらの視線に気付いたらしい女性が声をかけてきた。


「あら? ひょっとして今日からここに住む方かしら?」


 妙齢の女性だった。長めの髪をポニーテールに結ってキリっとした切れ長の目、出るところの出ているプロポーション。出来るキャリアウーマンという印象を抱かせると同時に、ぴよぴよと書かれた小鳥のエプロンをつけているせいで、どことなく未亡人感をも醸し出している。総評して、不思議な魅力のある女性だった。


「あ、はい。ナツメユウです。あなたは?」

「私はここのマンションの管理人をしているコバヤシです。ちょうどよかったわあ。さっき引っ越しのトラックが来たのだけれど、本人がいないものだから困っていたの」


「え、本当ですか。参ったな、ひょっとして引っ越し屋さん帰っちゃいました?」

「ううん、荷物が少なかったから私の方で預かってあるわ」

「そうですか、よかった」


「ごめんなさいね。本当は連絡を入れて確認するべきだったんでしょうけど、連絡先を知らなかったものだから……」

「いえいえ、むしろ助かりました! それで、荷物は今どこに?」


「あなたの部屋に運んでもらってあるわ。それにしても、その歳で一人暮らしだなんて羨ましいわあ。私だったらお友達をいっぱい呼んで毎日のようにパーティーしちゃうかも」

「ははっ、そうなるといいんですけどね。なにぶん転学ですから、友達作りには苦労するかも……」

「そうなの? ユウ君は今何年生なの?」

「今年で2年生です」

「あらあら、一番楽しい時期じゃない。今の内に学生生活を満喫するのよ。後悔しても学生生活は帰ってこないのよ?」


 頬に手を当ててそう言うコバヤシの姿からは、やはり隠しきれない未亡人感があった。彼女の過去に何があったのかは知らないが、ユウは「わかりました」と言って荷物の整理に向かった。


 そう数は無いダンボールの中身を空け、備え付けの家具に適当に並べ終えると、気が付けば夕飯時に近くなっていた。


「腹減ったな……」


 とは言っても、移り住んだばかりなので冷蔵庫の中身は空だ。かといって今からスーパーに行って食材を買って料理をするという気にもなれなかった。そこでユウは、周囲の散策も兼ねて外食をする事にした。


(どうせなら隠れた名店みたいなところがいいな。どっかにいい店ないかな)


 そんな事を考えながら歩いていると、気が付けば大通りに出ていた。大型の街頭テレビで、ニュースキャスターが月華グループの慈善活動について読み上げていた。


 街を歩く人は色とりどりの個性的なファッションをしている人も多く、都会に来てしまったのだという認識を強くさせた。


「なんだか俺お上りさんだな……」


 見るもの全てが新鮮な感じがして、どうしてもキョロキョロしてしまう。街中の要所要所にアンドロイドが起用されている。


 元いた地域もそれなりにアンドロイドが人に代わって活躍していたが、仕入れから接客まで全てをアンドロイドがこなしているような事はなかった。


 とはいえ、何もかもが見慣れないものという訳でもなかった。コンビニやファミレスはどこにでもあるものだったし、パチンコ屋や古本屋なども全国どこでも見れる景色だ。


 そうしてひとしきり自分の活動範囲となるだろう場所の散策を終えたユウは、いよいよ空腹を訴え始めた自身の胃を満たすため、目に入った喫茶店へと入った。アイスティーとナポリタンを注文すると、スマホを開いて両親にさしあたっての現状を報告した。


『荷物も全部届いて、今喫茶店で飯食ってる。なんとかなりそうだよ』


 この時間両親はまだ仕事中のはずだ。返事は見込めない。だが、連絡を入れた事でなんとなくひと仕事終えた気がして思わずため息がこぼれた。


 チュルチュルとナポリタンをすすり、読みかけの小説を読み終わる頃には、気が付けば外はすっかりと暗くなっていた。


「ちょっと一休みのつもりだったんだけどな……」


 不思議な居心地の良さに、自然と時間を忘れて過ごしていたようだ。初老のマスターに料金を支払い、ベルの付いた扉を開けて外に一歩を踏み出した。その時だった。


 ――世界から音が消えた。


 先程まであれほど感じられた街の喧騒は欠片も感じられなかった。それどころか、今の今まで入っていた喫茶店を見やると、自身の他にも客はいたはずなのにマスター含めて全員が姿を消していた。


 世界に取り残された。そんな言葉が脳裏をよぎった。


「なんだってんだ……」


 慌ててスマホを確認すると、圏外になっていた。見慣れない土地であり得ない現象に遭遇してしまった。


 募る一方の焦燥感から逃れるようにユウは歩き始めた。目的地などはない。だが、じっとしているとおかしくなってしまいそうだった。


 だが、じっとしているとおかしくなってしまいそうだった。


 歩いてわかった。世界から音が消えたように感じたのは間違いではなかったのだ。どれだけ歩いても人の姿は見えないし、公共交通機関も停止していた。


 ナツメユウは今、月光島という無人島に一人だった。

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