時を紡ぐドラコーネス

十余一

時を紡ぐドラコーネス

 まどろみから覚め、まず目に入ったのは朝日に照らされる山肌。葉が赤く染まっているのは朝焼けのせいばかりではないだろう。

 今回はずいぶんと長く眠っていたようだ。日増しに覚醒する時間が減っていく。最近は体も重くままならない。オレはこのまま、静かに死んでゆくのだろうな。


「おっはよぉございまぁーす! 偉大なドラコーネスよ! ご機嫌麗しゅうぅー!」


 そんなしんみりとした空気をブチ壊した人間ノースが一匹。小さな体に似合わぬ大きな声が、朝の爽やかな空気を震わせる。


「あれ? 起きてる? 寝てる? 起きてますよね! だって目開けてますし。あっ閉じた! これ絶対俺の言葉聞こえてるやつじゃん!」


 誰だコイツは。ふもとには集落があるが、交流が途絶えて久しい。今更になって、いったい何の用事があるというのか。そしてオレには、コイツの相手をしてやる義理などない。


「初めまして! 俺は学者のテルティウスと申します! この度、お師匠さまが博物誌をまとめることになったんですよ。それで俺みたいな弟子が各地に派遣されることになったんスけど、誰がどこに行こうかーって話になって。ほら、この辺りの地域って結構怖めの伝承があったりするじゃないスか。だからみんな行きたがらなくて。でっけ~竜に会うとか普通にヤバいし。でも俺は、えー? 話してみたら以外とイイヤツかもよ? とか言っちゃって。そもそも言葉が通じるかどうかもわからないのに! ウケる! そんなかんじで、言い出しっぺの俺が来たというわけです」


 聞いてもないのにベラベラと喋る人間の、なんと鬱陶しいことか。


「さすがに手ぶらで来たわけじゃないですよ。手土産は大事ッスからね! でも何を好むかわからなかったから、もう手当たり次第的な?」


 そう言うと人間は荷車から次々と品物を取りだして、オレの前に並べ始める。


「まずはこれ! カクタケア! 新大陸で見つかった植物なんスけどね、棘ごと炙って塩振って食うと最高に美味いんですよ。酒も進む!」


「……」


「それから宝石! 深い海のようなサップヒールス、燃える炎のグラナートゥム、とろける蜂蜜を思わせるトパージオン。どうです? より取り見取りでしょう」


「……」


「これでどうだ! 職人が魂を込めて作ったアルゲン細工! 見てくださいこの銀に輝くケラシーの花! 繊細かつ可憐で見る者をとりこに――」


 すらすらと流れ出る言葉と同じく、次から次へと出てくる品物。返事もしないオレのことなどお構いなしに続いてゆく。狂ったユバ鳥でもこんなにポンポン卵産まないぞ。いつになったら止まるのだ。この丘を埋め尽くされてはかなわん。


「オレは何もいらぬ。話なら聞いてやるから、もうこれ以上この丘の景色を変えるな」


 ほんの気まぐれだ。放っておけばすぐに死ぬ短命の生き物の、その熱意に少しだけつきあってやることにした。



 人間はまず、オレの体を観察し始めた。羽のつくり、尾の長さ、足の形、鱗の色、あらゆることが記録されていく。体によじ登られるのは少しくすぐったい。小鳥以外の生き物がオレに乗るのは久しぶりだ。


「ええーっと、一対の翼に二対の足。全長は十九パッスースで、尾は八パッスース四ペデース。翼はサラマンダラのような構造で、長さは十一パッスース。体は青い鱗に覆われ、非常に硬い。爪はエレパースの牙に似ている。よし!」


 人間はひとしきり書き終え、満足した様子だ。そうして次は、オレの顔近くに腰を下ろす。


「次は聞き取り調査っスね! 創世の神話にも竜が登場しますけど、もしかしてお知り合いだったり? 二柱の竜が世界をかき混ぜて、やがて空と海と陸が出来たってやつです」


「知らぬ。人間が勝手に想像したことだ。……だが、かつて同胞と苛烈な闘いを繰り広げたことがある。その流れ弾で世界は一度混沌と化したから、そのことやもしれぬ」


「まさかの本人! いや本竜か。竜って本当に長生きなんスねぇ。ちなみに原因は?」


「血気盛んな若い竜にとって理由は何でもよかったのだ。その時は確か、目つきが悪いとか睨んでいるとかいう因縁をつけられたことから始まった」


「竜の世界の治安やばぁ~。人間めっちゃとばっちり~」


 気安く軽い態度。いいのかそれで、と思わなくもないが、すらすらと動く手元を見るに記入はしっかりと真面目にやっているのだろう。この人間の師匠とやらは苦労していそうだ。


「東のウルアトリ山を真っ二つにした竜の伝承がありますけど、これはどうスか。やっぱりヤンチャしてた頃の話なんスか」


「それは心当たりがない」


「人違いならぬ竜違いかぁ」


「時代も種族も違うのだから仕方のないことだ。仮に顔見知りだったとしても、互いに相当な興味や好意がなければ見分けることは無理だろうよ」


「ちなみに俺のことは見分けつきます?」


「無理だ」


「ウッス。じゃあ次。西方のミルシル湖周辺にある、人々を干ばつから救った竜の伝説はどうスか。七日七晩の雨乞いの末、湖から竜が現れて雨を降らせたと」


「それはオレだ。暑かったから水浴びがしたかったのだ」


「豪快な納涼~。竜の暑気払いハンパねぇ~」



 人間の好奇心とは尽きぬもので、根掘り葉掘り聞かれ続けた。オレも答えられるものは素直に答え続けた。そうして日が傾きかけた頃、人間が今までとは少し雰囲気を変えて話を切り出す。視線は、オレが寄り添う墓石にある。


「じゃあ最後に、ずっと気になってたこと聞いていいスか。その大事そうに守ってるお墓は誰のものなんです?」


「さぁ、誰だろうな」


「えー、はぐらかすとか逆に気になる! まあ、いいや。俺も花を手向けようかな。丁度アルゲン細工の花があるし」


 呑気に花を手向け、祈りを捧げる人間を見て、何度目かもわからぬ懐かしさがこみ上げてくる。砂城が崩れるように失われようとしていた記憶が繋ぎとめられた。か弱く儚い生き物は、弱いからこそ身も心も寄せ合って生きていく。そして弱いくせに、その優しさを惜しげもなく他者に向ける。


「オレの体は、解剖するも標本にするも好きにするといい。だが、この墓だけはあばいてくれるな」


「さすがに墓を掘り起こしたりはしませんけど、わざわざ言うってことはよっぽど大切な人が眠ってるんスね。えっ? もしかして恋人? 伴侶だったり? えっ、やばぁ……俄然がぜん興味が湧いてきちゃった」


 キラキラと目を輝かせる人間の姿に、かすかに口角を上げてしまう。似ても似つかぬこの人間にかつての記憶を重ねてしまうとは、オレも焼きが回ったか。


「じゃあ、墓を荒らすと竜の呪いが降りかかる! とか喧伝しちゃおうかな」

 という人間の言葉に「死してなお続く呪いなどあるものか」と、言いかけたところで飲み込む。遥か昔の、最期の思い出が蘇る。「あなたは長生きしてね」という呪いによって、俺は今も生きながらえている。歴史に名を残す大魔道士よりも、よっぽど強力じゃないか。しわくちゃで細い体の、どこにそんな力があったのだろう。


「オレはそろそろ眠る。最期に会ったのがオマエで良かったよ、テルティウス」


「それは光栄です! それでは、おやすみなさい偉大な竜よ」


 アイツと見た雄大な景色の中で、アイツの好きな花が手向けられた墓の元で、オレも静かに眠りにつく。

 オレの体は解剖され言葉は分析され、学者たちに解き明かされ尽くすのだろう。そうして博物誌に収められたとしても、愛した人はオレしか知らない。



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