第31話 仕事

(このままでは倒れてしまうかもしれない)

 本気で感じていた。体は重く心が痛む。


 車での通勤はいつものように音楽をかけていても家族の想い出と重なり聞けなくなった。いつものメロディーが私の心をぎゅーっと握り潰すように聞こえてくる。

 泣きたくもないのに涙は当たり前のように流れてくる。

 仕事に向かう時も、帰る時も………。

 ゴミ箱は涙や鼻水を拭いたティッシュですぐにいっぱいになるくらい泣いた。


 これから先の事を考えると、職場には報告しておいた方がいいかもしれない。

 上司にだけ、打ち明けた。

「ちょっと、お話しておいた方がいいかもと思いまして………」

 男性だったが、仕方ない。

 この数日、我が家で起きている事件の話を聞いて貰った。


「えっ?!」

 と、さすがに青ざめた表情になった。

 今も仕事に来る前に、手続きや娘の事で色々とバタバタとしている事。

 これから私の弁護士を探す事。

 休みの希望をこの事件に必要な日に合わせて出させてほしい事。

 私は被害者の母親であり、犯罪者の妻である事。

 全てを隠さずに話をした。

「わかりました。何かできる事があったら遠慮せずに言ってください」

 優しい言葉だった。



 事件があってから、僅かな期間で私は少しずつ痩せてしまっていた。睡眠時間も減っている。

 まともな食事はほとんど取れなかった。

 運転中に連絡がくることもあり、コンビニに止まって話をした。

 そんな時はコンビニでカツ丼などを買って食べる。


 そんな私を見て、上司は言った。

「とても辛いだろうに。僕の目の前でカツ丼を食べているのが凄いと思います。僕が同じ事になったら、仕事なんてまともに出来ないだろうし。もう全部どうでもいいや!って投げやりになるかもしれないのに。凄いですね。ホントに信じられない………」

となんとも言えない褒め言葉をくれた。私だってできる事なら仕事なんてしていたくはない。


 けれど、仕事はキチンと休むことなく続けた。

 研修なども参加させてもらった。

 私はとにかく、これから先の人生を娘への償いとして捧げなければならないとさえ考えていた。


 そして、遠くで暮らす父親に仕方なく連絡を入れた。

 涙が溢れてまともに話も出来なかったが、今、自分達の身に起きている全てを話した。

 とても怒っていたであろう。

「とにかく落ち着いて、結の事を1番に考えよう。お前の弁護士は、俺が探すから」


 それから1週間ほどで、私の弁護士さんは見つかった。昔はあんなに憎んでいた父親は、別人のように行動が早かった。



 休みの日は娘と一緒に、娘の弁護士さんの所へ行って相談をする。

 警察署での供述を纏めた資料、娘の話を纏めた資料に目を通させて貰う。

 そこで、また知らなかった事実などを目にすることもあった。

(えっ?どーゆー考え方?)

(なんて事をしてくれてんだ!!!)

 私の知らなかった、娘の経験した話が文章として並んでいる。

 そして目に止まった一行の文章。


(結ちゃんなら、笑って許してくれると思っていた。)


 はぁーーーーーーー?!?!?!

 怒りが溢れてくる。もう何もかもぐちゃぐちゃにしてぶっ壊してやろうか!!


 娘は裁判に出ない事にした。

 配慮はして貰えるが、同じ空気を吸うのも嫌だと言った。

(無理はさせたくない)

 娘の裁判は、弁護士さんにお任せした。


 ただ、(これから先のこともあるので)と。

 私の弁護士さんが一緒に裁判を傍聴してくれる事になった。

 背が高くすらりとした優しそうな男性の弁護士さんと、娘と同じくらいの年齢の若い女性の弁護士さんの二人が私の弁護人となってくれた。何をどうすればいいのかもわからなかった私にとっては、とても力強い味方となるのだろう。



 まずは娘の裁判だ。

 娘の弁護士と私の弁護士と連絡を取り合って貰い、できる限りの情報を集めて貰った。

 弁護士さんがついた事で、私は少し時間に余裕ができた。



 それでも私達の傷は癒える事はない。

 私はひとり、事件現場となってしまった家で生活をしながら仕事に行く。


 主を失ったキャットタワーは淋しそうにポツンと窓際に置かれたままだ。

 鈴の入ったオモチャは最後にオッドが床で遊んでいた場所に残されている。

 オッドは居なくなったのにどこからともなく現れてくる白い毛。

 娘が捨てた想い出はそこらじゅうに転がっている。


 家族全員のスケジュールが書かれていたカレンダーは捲られる事もなく、あの日のまま時が止まっている。楽しみだったイベントには大きく✕印をつけた。

 私だけの予定が書き込まれていくカレンダーには、赤く丸い印が付けられている。

――私の誕生日――。


 犯罪者が予約をしていた私の誕生日ケーキを娘は口にすることができなかった。

 (食べ物に罪はない)と、母親は食べてくれた。私も少しだけ食べた。



 それ以降は、私達は3人揃う事がほとんどなくなってしまった。

 母親と娘はこまめに連絡をとり、娘の家で一緒に食事をしているようだ。


 私は犯罪者の妻として、娘に会うのが怖かった。オッドには会いたくてたまらなかったが、娘の顔を見るのが辛くてたまらなかった。


 それと同時に、仕事以外の日は弁護士さんのやり取りなどもあり、私は疲れていた。

 辛くて辛くて毎日毎日泣いた。

 通勤の車の中でも。

 家に帰ってからも。

 お風呂の中でも。

 涙はこぼれ、渇れる事もない。



 カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、

 時間は進み続ける。

 目を覚まして、顔を洗う。

 朝食だか昼食だかわからない食事をして、着替えて仕事に向かう。


 そして、何事もなかったかのように笑ったふりをして仕事をして帰ってくる。

 ただ生きているだけの私になった。


(明日は休みだ)

 目覚ましをセットする。

 いつもの休みの日はセットはしない。


 カレンダーを見る。楽しい予定などはない。

 赤いペンで書いた文字。

 裁判。13時15分から 5階 518号法廷。


 明日は娘の裁判だ。

 私はいつもより少しだけ早く布団に入った。

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