第30話 娘の引っ越し

 まだ私は、床の汚れをぼーっと見ていた。

 暗闇に突き落とされた私の足元は、窓から差し込んでくる朝日に照らされる。前日から地球を一周してきたであろう太陽は、表情を変えずにやってきた。

 世の中を平等に照らし、温もりを運んでくる。

 少しずつ差し込んでくる光は長く伸びてきて、窓の方に目を向けた私の顔を照らす。

 眩しさに思わず目を細めた。

 長い長い夜の終わり。


 まだ、娘は警察で事情聴取を受けている。

 娘の夜はまだ続いている。私は何も出来ないまま朝日に照らされていた。



 暫くすると、疲れた顔をした娘が警察官と一緒に出てきた。

 指紋などを採取する為に家から持ってきたパジャマは警察に預けたまま帰宅する事になった。


 自宅で顔を合わせた警察官だ。

「長いお時間すみませんでした。また何か確認事項などがあればご連絡します。それと、またご自宅の方に一度伺って現場の写真なども撮らせて頂きたいので、その時はご協力をお願いいたします」

 と言われ、とりあえず自宅へ帰れる事になった。


「疲れたね、帰ろう」

 と娘に声をかけて警察署を後にした。

「オッドのご飯、あげなくちゃね」

「うん」

 帰りの車の中でも会話はない。

 何をどう話をしていいのかもわからずに、特に意味の無い会話をする。

「仕事行けそう?」

「仮眠して、昼から出勤にしてもらう」

 娘は窓の外を見ながらポツリと答えた。



 自宅へ戻るとオッドを撫でながら母親が待っていてくれた。

「二人とも大丈夫?」

 心配していた母親もまた、眠れない夜を過ごしたようだ。



 そして、これが崩壊の始まりだった。

 大きな山から小さな石ころがひとつ。

 そして、またひとつ………。

 見えない所で転がっていた石ころは、音を立てて一気に崩れ落ちた。



 少しは眠れたのだろうか。

 軽食をとった後、娘は『いってきます』と静かに出かけて行った。

 そして、私は勇二の会社からの電話に対応しなければならなかった。

 顔見知りの社長と直接話をする。

「勇二はどうした?」

「しばらく仕事には行けないと思います。今警察に捕まっています。今後は細田のお義母さんと連絡をとっていただけますか?」

 私はなるべく落ち着いて答えた。

「あいつは何をしたんや?薬か?、事故か?何をしたんや?」

 社長も慌てている。

「私の娘を傷つけました。私の娘の体を触っていました」

 社長は言葉を失い、私も仕事の用意がありますので、と電話を切った。



 細田のお義母さんにも電話をかけた。

 警察からも連絡が入って知らされていた。

『息子さんを逮捕しました。』と。

「あ、瑠璃さん。今支度してるところ。何とかして今日中にそっちへ向かう予定にしてるから」

 島からこちらに来るそうだ。

 けれど、その時のお義母さんの口から謝罪の言葉は一言もかった。

(自分の息子が何をしたのかわかっているのか?)と聞きたくなるくらいに以前と変わらない。




 これが、本当の意味での地獄の始まりだったのだろう。

 この勇二が侵した罪と、このお義母さんのせいで、私はあり得ない経験をしていく事にったのだ。

 (優しいお義母さん)はもう居なかった。

 (お義母さん)はもう要らない。

 (優しい勇二)も、もう居ない。

 その日から勇二ではなく、犯罪者と呼ぶようになった。




 まずは娘と犯罪者の養子縁組を解消させる事から始めた。

 法律は不思議だ。

 被害者には、すぐに弁護士がつく事もなく。被害者である私たちは何をどうすればいいのかさっぱりわからなかった。


 なのに犯罪者には、すぐに国選弁護人がつき、すぐに私に連絡がきた。

 引き出しのどこどこに通帳とお金があるので、お金を通帳に入れて欲しいとか。

 生活費はそこから使っておいてくれだとか。

 本来は拒否をする事もできたのだが、無知な私は犯罪者やその弁護人の言う通りに動いてしまった。


 もちろん仕事を休むわけにもいかず、無理を言ってシフトの変更をしてもらう。

 仕事の前に頼まれた雑用をこなして仕事に向かう日々が始まった。


 それと同時に、どうしたらよいのかわからない私は性被害者のサポートをしてくれるところに電話をかけて色々と教えて貰う。




 そして、バタバタと騒がしいスケジュールの中、犯罪者は48時間という拘留期間を終えて釈放されたと連絡が入った。

 きっと島から出てきたお義母さんがお金を用意したのだろう。


 そして、弁護士を通して娘の養子縁組の離縁届けは私の手元に届き、急いで役所に提出して受理された。

 それ以外は、まだ何も進められない。


 とりあえず、犯罪者には接近禁止命令が出され、私達親子と近づく事を禁止された。



 そして、しばらく娘は母親の家で生活をさせて貰った。

 事件現場で生活するのは辛いだろう。

 私は、犯罪者の妻でありながら、被害者の母親という、ふたつの十字架を背負う事になった。



(娘には本当に申し訳ない事をした。)

 私はまた選択を間違えたのだ。

 私があんな奴を選ばなければ、こんな事にはならなかった。

 父親を知らないままの方がずっとましだったかもしれない。

 私はどうやって娘に償えばいいのだろうか。

 だが、考える時間も余裕も私にはなかった。



 仕事に向かう途中の車の中で携帯電話にいろんな連絡が入る。

 携帯をスピーカーにして、話をしながら仕事に向かう。

 時にはコンビニに停めて怒りを露にして電話の相手である弁護士に怒鳴った。




 サポートしてくれる所に何度も電話をして相談すると、面談の予約を早めて貰えた。

 相手に弁護人が付いたのならば、こちらも早く弁護士をつけた方がいいとの事だった。そして、性犯罪の被害者を支援をするグループの紹介で娘にも弁護士が付いた。

 スッキリとしたショートカットで口数の少ない方だが、とてもハッキリと言ってくれる女性の弁護士だ。

とても美しい文字を書く方だった。




 本当に毎日がバタバタと忙しかった。

 約束通りに警察は家にやって来た。

 今回は4人で、何か大きな黒い荷物を抱えてやって来た。

「ごめんね、また想い出させてしまうけど」

 と黒い大きな袋から、白い人形を娘に見立ててベッドに寝かせた。

 そして、どんな風にされたのかを聞いて、女性警察官が再現をする。

 それを警察は写真に納めた。

 ドラマで見たことがある景色だ。

 もちろん私も、(ここが現場です)と指を指して写真を撮られた。

 ただ、島で起こった事件は現場で再現するのが難しい為、絵に描いて記録した。



 まだまだやることはたくさんあったが。

 娘は母親の家の近所に部屋を借りて引っ越しをする事になった。

 嫌な思いをした家で、私といるのも辛かったのだろう。

 家で使っていた物は嫌だからと、荷物は最小限に纏められた。

 必要な家具や電化製品は購入して新しい部屋に運び込まれた。

 そして、娘はオッドを連れて家を出ていった。


 新しい部屋は窓が大きくて陽当たりがとても良かった。

 白いカーテンに白いベッド。部屋はモノトーンで綺麗に統一してある。

 オッドのキャットタワーも新しくなった。


 オッドは新しいキャットタワーに登ってみたり、ベッドの匂いを嗅いでみたりと、少し落ち着かない様子だった。

(オッドも被害者だね、ごめんね。。。)

 私は自分を責めるしかなかった。



 片付けを終えて、母親と一緒に娘の部屋を出た。

 オッドと離れてしまうのはとても悲しかったが、娘の傍にいるのが1番だ。

 そして、母親を送り届けて帰宅した私は1人になった。


 娘の部屋には嫌な想い出が残されていた。

 そして、さっきまでオッドが遊んでいたおもちゃが床に転がっている。

 私は初めて声をあげて泣いた。

(ごめんね、本当にごめんなさい………)


 娘にはメールを送った。

(島に引っ越しをさせたり、ひどい目にあって引っ越しをさせたりして、本当に申し訳ない。オッドをよろしくね。)


 すぐに娘から返事がきた。

(悪いのはお母さんじゃないから、謝ることはないよ。近いから、いつでもオッドに会いに来てね。)


 私の涙は止まらなかった。

 せめて、これからの娘が、少しでも楽しい人生を送れるように支えていくしかない。

 傷つけられた娘の心を守らなければならない。


 その事で頭はいっぱいいっぱいだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る