第15話 自由

 置き手紙も、メモすら残さず家を出てから、私と娘は平和な日々を送った。

 娘を預けていた保育園に電話を入れて、もう通わなくなる事を伝える。

「えっ、お仕事とか行かなくなったのですか?お仕事されてなくても、娘さんを預かる事はできますよ?」

と、保育園の先生には言われたが。

「実家に戻ったので、遠くて行けなくなりました」

と、退園の手続きをして貰った。


(お友達と急に会えなくしちゃってごめんね)

 心の中で、私はたくさんたくさん涙を流し、娘に謝っていた。



 娘は何もわからない。

 夜は親の喧嘩で目が覚めて泣く事はなくなり、質素だったご飯のおかずは一品増えた。


 そして、母親は嬉しそうに娘の服を買って帰ってきた。

 旦那は娘に着せる服を勝手に買われるのを嫌った。

 少し高いブランド物ばかり着せたがる。

(あー、そんな高い服をまたうちの親に買わせて…)

と、心の中で後ろからひっぱたいてやりたかった。

 だいたい、砂場に座って遊んだりしちゃうし、すぐに大きくなっちゃうし。

 手洗い表示の服は子供にはもったいない!


 だから、母親は嬉しかったのだろう。

 私は買って貰えるだけで満足だったし。

 何より娘は嬉しそうににっこりと笑って、よだれやご飯ですぐによごしてしまうのだから。


 とにかく私は心が楽になった。

 暴力に怯える事もなく、臭いお酒の臭いからも解放された。


 当然、こちらから連絡はしない。

 そして、当たり前のように旦那からの連絡も何もなかった。

 1ヶ月後。

 痺れを切らした父親が向こうの親に連絡をして話し合いをすることになった。


 普通は暴力、精神的苦痛などで慰謝料の話などをするのだろうが……。

 細かい事は父親に任せた。


 無知だった私は、

「とにかく縁を切ってください。娘には会わないで欲しいです」

と、それだけを伝えた。


 お金は払いたくない。

 子供は引き取りたいとふざけた事を言う、相手の父親にも腹が立った。

「お義母さんの体調が悪いのにどうやって子供の面倒みれるんですか?」

 私は初めて義理の父親に強い口調で伝えた。


 向こうは言い返せないでいる。

「じゃあ、子供がある程度大きくなって会いたいと言ってきたら、自由に会えるようにと言う事で……」

なんとふざけた親だろう。

 養育費も払わずに会わせろという事だ。


「養育費も慰謝料も貰わないので、全てお断りします!子供が会いたいと言ってきても会わせません!とにかく縁を切ってください!今後一切連絡もしないで下さい」

 もう娘の名前を呼ばれるのも嫌だ!

 そして、あっさりと私の願いは通じた。



 私は娘に頂いたお祝いやお年玉を使わずに娘の名前で通帳を作り、そこに貯金をしておいた。

 偏屈親子はそのお金も、財産として半分にすると平気で発言した。

 養育費も暴力に対する慰謝料も払わないのに、どの口が言ってるのだろう!と腹立たしかった。


 それを聞いた私の父親は、もうまともな話はできないと判断したようだ。その時手元にあった旦那の給料と私が必死で貯めた小さな娘の為の貯金を足して半分ずつにした。

 なので、私は2万ほど相手に払ったような気がする。

とてもおかしな結末だが。


 それでも、旦那と縁を切りたかった。


 そこからは私の反撃だ!

 結婚した時に、両親から買って貰った家具は使える物は全て引っ越しで持ち出した。

 それ以外は、すごく安くなってしまったが、全部買い取りをして貰った。冷蔵庫も、洗濯機も、家から持ち出して、実家に持ち帰った。



 立派なベッドはご近所のお友達が5000円で引き取ってくれた。

「要るものがあればどれでもどーぞ!」

と、同じマンションに住むママ友に持ち帰ってもらった。電気も外して引っ越しを終わらせた。


 きっと帰宅した旦那は真っ暗な部屋でテレビをつけて、お酒でも飲んだのだろう。

 冷蔵庫の中身もキッチンに放り投げ、食器棚から出された要らないお皿は新聞紙の上に広げて放置してきてやった。

 タンスに綺麗に並べていた服はクローゼットや押し入れに放り投げてやった。恨みは晴れやしないのだが、何もしないよりはましだった。



 ただ唯一、カーテンを持ち出すのを忘れてしまった。私の母親は何年経っても、その事を悔やんでいる。



 実は数年後に、DVで慰謝料を貰えばよかったと少しだけ後悔したのだけれど。


 とにかく私は旦那から解放されて、離婚の手続きを1人でひとつずつ片付けていった。

 手続きなどはとても大変だった。

 通帳やカードなどの名前も全部変えて、新しい生活を始めた。

 とても大変だったのだが、私の背中には羽が生えて飛べるんじゃないかと思えるほど体も心も軽くなっていた。

(私はこんなに見えない鎖で自分を苦しめていたんだ……)

 その時、ようやく気がついた。



 そして、このきっかけを作ってくれた友人の結婚式の招待を受ける事になった。

 日帰りにして、娘を母親に預けて私は新幹線に乗り友人の結婚式に出席した。


 友人は終始笑顔で幸せそうだった。

「おめでとう!」

満面の笑みでお祝いを伝えた。

「来てくれてありがとう!」

 私は友人のその言葉に涙が溢れた。あの時忘れてしまった笑顔を取戻した瞬間だった。

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