優子さんは改名を願う

われもこう

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 渡り蟹のトマトクリームスパゲッティとやらを食べながらふと思う。ところで渡り蟹とは一体なんだ?そのカニは一体何処からきて何処へ渡るのか。中国から日本か、もしくは日本からロシアか。それとも国内間の渡航か。渡り蟹、おまえは一体何人だ?パスタを半分食したところで尚強く思う。きっと消費者が無知であることをこれ幸いに店側がいい加減な名前をつけているのに違いない。素性の知れないカニの頭に“渡り”を付けて、ちょっとオシャレな感じにして、わたしたちを騙そうとしているのだ。以降、飲食店はこれが日本のカニなのか、それとも外国のカニなのか消費者にはっきりと名言すべきである。


 トマトクリーム塗れになったカニの殻を器用にフォークとスプーンで取り分けて、次々麺を口へ運ぶ。やがて殻だけになったパスタの皿を見て、向かいの男が「知ってる?これ食べれるんだよ」と口に笑みをのせると、袖捲りをして中身をほじくり返していく。笑う要素あったっけ、若干訝しく思うが快い感情のツボは人それぞれだから言及しない。彼のそんな姿を眺めながら、熊が蟻を食う姿ってきっとこんな感じだろうなとわたしは思った。



⭐︎



 母の四十九日を終えた。喪服はキツキツだったけれどなんとか入った。わたしは夫とちいさな息子とタクシーに乗って帰路につく。墓は菩提寺の境内に先祖代々のものがあるので、新しく建立せずにその中へ母を入れる運びとなった。強かった母は骨だけになってしまった。散骨してくれという願いをわたしは聞き届けなかった。お母さんごめんね。車窓を流れる景色を見つめながら胸の内で呟く。空が翡翠色に光る。春だった。



 母はわたしに優子と名付けた。0歳にして母から下された優しくあれというその命令。そういう意味において、名前は一種の呪いである。母が亡くなってからその呪いは一層複雑で厄介なものへと変化した。母が遺したもの。わたしはその命を裏切れない。



「優子さんは優しいからなあ」 


 何の話をしていたのだろう。駅中のカフェで友人の薫子がチーズケーキを頬張りながら、厚かましい口調でずけずけとそう言い放った。


 「そうですか?」と敬語で返事をするわたしは薫子より一つ歳下で、わたしたちの仲は友人というよりも先輩後輩みたいな関係と説明したほうが分かりやすい。薫子はだれに対しても明るくて、思ったことをなんでも言う。わたしとは正反対の性格だ。わたしはあまり思ったことを口にしない。渡り蟹のトマトクリームスパゲッティだって、店員さんに、渡蟹ってところで何ですか?なんて尋ねたりしない。


 いつも通り当たり障りのない会話をして笑い合ったあと、会計を済ませて店を出る。

 駅の駐輪場に自転車を置いてきたという薫子と別れて、わたしは街中をぶらぶらと歩く。


 優しくあろうとしている。

 だれに対しても。


 一方でわたしは知っている。わたしは決して優しい人間ではない。


 例えば薫子は人のどこを見て、この人は優しいと判断しているのだろうか。いつもわたしは薫子の旦那の愚痴を笑いながら聞いているから、そういった受け身な体制が優しさと捉えられているのかも知れない。けれどそれは本当に優しさなのだろうか。自分を大きくみせるためにわたしに意地悪をする薫子。わたしは都合のいいように消費されているだけなんじゃなかろうか。魚の顔した友人たちが、「優子はやさしいね」とわたしを褒めながらわたしの体をぱくぱくと食べていく。苦笑しながらわたしは体を差し上げている。これはほんとうに優しさか。


 優しさなんて持たない方が幸せだ。本能のままに人を傷つけ楽しく生きようとする輩が沢山存在する中で、理性をもった生き物は損をするばかり。けれどわたしが“優子”という呪いをなんとか今まで守ってきているのは、理性をもつ動物こそが人間であると固く信じているから。つまるところわたしはただただ人間でありたい。それだけなのである。

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