第35話 飛蝶捜索断念し酒に走る

 飛蝶が新宿のホテルを出たちょうどその頃、早津馬の部屋では求美が進行役となって、飛蝶捜索会議が始まった。求美が開口一番、早津馬に「明日は出勤日だって言ってたよね?」と念を押した。その言葉が何を意味するかが分かる早津馬がちょっと不満そうな顔をすると、求美がこれまでと違いクールに「一家の長になったんだから、生活費が必要なんだからきちんと稼いできて!無理はしなくていいけど」と言い、続いて華菜が普段とキャラを変えて可愛らしい言い方で「早津馬が働いてくれないと私達、こんな風に食べたりお風呂に入ったり出来ないんだよ」と言った。夫婦ではないアーチまで「人間の姿になったらなぜか分からないけどお風呂に入りたくてしょうがないんです。お風呂に入りたいので稼いできてください」と言った。求美、華菜、アーチと続けて自分が頼りなことを告げられ、改めて一家の長としての責任を自覚した早津馬は、生活費を稼ぐことに専念するため、重要な段階になるまで作戦への参加を断念することにした。そのため緊張感をほぼ失った早津馬が、求美達3人の会話が途切れ静寂が生まれた時、ただその静寂を埋めるためだけに、飛蝶の捜索の役に立たないと思っていながら、少し前に見たテレビのニュースの話を始めた。「さっきのニュースで都知事が21世紀にふさわしい首都の建設構想を語ってたけど、仕事も生活もしやすくなるんならいいけど、逆になったらやだな」と言うと、意外なことにそれを聞いた求美が「それ、飛蝶が食いつきそう」と言った。早津馬が「飛蝶が土建屋を始めて、都知事を妖術で操って仕事をどんどん取るってこと?」と求美に聞くと横から華菜が「違うよ、飛蝶はまともに仕事なんかしないよ。都知事が持っている権力が凄いことが分かってそこに食いつくってことだよ」と答えた。それを聞いて早津馬は「愚問だった。華菜にも分かることに気付けなかった。いい歳して恥ずかしい。馬鹿にされる」と思い求美達を見ると、早津馬のことは全く眼中にないようで3人で額を寄せ何やら話をしていた。「作戦に参加しないとなるとここまで無視されるんだ」疎外感を感じた早津馬がわざと大きな声で「と言うことは次のターゲットは都知事ってことだね!」と言うと求美が「飛蝶がそのニュースを見てたら可能性は十分あると思う」と答えた。華菜が「そう言えば飛蝶って、顔の映像からその人が何処にいるか特定する能力があったよね」と言うと求美が「ニュースを見てもう動き出してるかもね」と言った。早津馬が不思議そうに「そんな能力があるんならなぜ求美や華菜の居場所を特定して攻撃してこないんだろう?」と聞くと求美が「私と華菜には居場所を特定する能力はないけど、油断さえしなければ気配を消すことで特定させないので大丈夫なんだよ」と答えた。早津馬が「ずっと気が抜けなくて大変だね」と言うと華菜が「相当な集中力を必要とする能力だから、いくら飛蝶が無理しても多分数秒しか続かない。だから私達に気が抜ける瞬間があっても大丈夫、そのタイミングがぴったり合わない限り見つけられないから。そのタイミングが合うなんて、夜空を見上げてすぐ流れ星を見られるくらいなかなかない。頑張ってくたくたになって、それでもまだ頑張るなんて自分には到底無理なことは飛蝶自身が良く分かってるからやろうとしないよ。そもそも飛蝶は面倒くさがりだしね」と答えた。求美が「だからほぼ人間に対してしか使えないってこと」と補足した。そして続けて「都知事をターゲットにした可能性は十分あると思うけど、それ以外の可能性も捨てきれない」と言うと華菜が「飛蝶のいつもの行動パターンから考えると、ニュースを見てその気になっても都知事のこといろいろ調べなきゃなんないから、途中で面倒くさくなってもっと楽なことってのもありだよね」と言った。求美が「そうだね、飛蝶は根気よくってのが出来ない性格だからね。また同じことをやったほうがずっと楽だし」と言った。そしてしばらく考えた末に求美が「不確定要素が多すぎる。判断できないね」と言うと華菜が「いろいろ考えても時間の無駄、とりあえず今日は気晴らしにお酒を飲みに行くってのはどう?」と言うとアーチが「この間の居酒屋でまた、ただ酒をいただくってことですか?」と聞いた。しっかり酒を覚えたアーチだった。求美が「華菜もアーチもお酒って…。飲みたいねー」と言うと早津馬が嬉しそうに「焼酎ならあるよ!」とのっかった。今、ただの酒好きの集まりになった。華菜が「中野に行こう、ただ酒だ」と言うとアーチが「たーだ、たーだ、たーだ」とはしゃいだ。「早津馬、中野に行こうよ」と求美が言うと早津馬が「明日、出番だから。アルコール検知に引っかかると…」と言うと求美が「深酒にならないように軽く飲んで帰ればいいよ」と言った。内心は飲みたい気持ちでいっぱいの早津馬なので「軽くと言って、軽く終わったことないけど」と言いながら出かける支度を始めた。「やったー」と華菜とアーチが歓声を上げた。求美が冷静な口調で「本当に遅くならないようにしよ」と言ったが華菜もアーチも、そして早津馬もすでに聞く耳を持っておらず、満面の笑みで支度を続けていた。そもそも求美達3人は、酒を飲みに行く話が出た時から出かける支度を始めていた。何が何でも行くつもりだったのは間違いなかった。求美達4人は阿佐ヶ谷駅前を南北に通っている中杉通りまで出てタクシーを拾った。早津馬は妻となった求美と華菜の間に座りたかったが、間どころか華菜とアーチが求美を真ん中に挟んで楽しそうに後席に座ってしまった。「二人も新妻がいるのにこれか」とがっかりしながら早津馬は助手席に座り、タクシードライバーに行き先を告げた。走り出すとすぐに華菜が「運転手さん、私達の関係どう見える?」と聞いた。すると初老と思われるタクシードライバーが「若い女性3人と私と同じくらいの男性、なんでしょうねー」と言いながら思案し始めた。華菜が答えを待ちきれず「夫婦なんだよ、私と早津馬。運転手さんの隣の人」と言うとタクシードライバーが「えー」と声を出して隣の早津馬を見た。その様子を見た華菜が楽しそうに笑った。が、早津馬は恥ずかしさの方が勝っているようだった。早津馬のその様子を見た求美が「私も妻です」と言うと重婚騒ぎになり、真面目な早津馬を更に追い込むことになるので「今この子が言ったことは冗談です。すみません」とタクシードライバーに謝った。するとやっかみが入っているタクシードライバーが「そうだよね。つい真に受けてしまった。美少女と…、釣り合いがとれてないもんな」と言った。その言葉にカチンときた求美がすかさず「そうですか?かなりイケてると思いますけどー」と返した。早津馬がそう言ってくれる求美を嬉しく思っていると、華菜も「早津馬、イケてるー」と言った。その後は沈黙のまま、タクシーは目的の居酒屋の近くの早稲田通りの路上に車を寄せて止まった。居酒屋に歩き着く間に求美が作戦を立てた。「早津馬の懐具合を考えると今回もただ酒がいいから、早津馬が他人に見えるように私達3人だけ先に入って、少し遅れて早津馬に入ってきてもらおう。そして相席になるってのはどう?」と提案すると華菜とアーチが快諾した。早津馬は自分の懐具合を考えてくれる求美に感謝する一方で、自分を情けないと恥じていたが、求美にとって早津馬のそんなプライドなどどうでもいいことなので意に介することはなかった。目的の居酒屋の前に着き、作戦通り求美達3人は入店し早津馬は時間稼ぎのためそのまま店の前を素通りした。求美達3人が入店するとお客は前回一緒に飲んだ常連客の内の一人だけで、カウンター席でママと話をしていた。「1人だけかー、1人で自分の分を入れて5人分の支払いなんて無理だよなー。これは当てが外れたかな」と思う求美に、振り返って求美達に気づいたその常連客が声をかけてきた。「また会ったね。ここに座りなよ」と自分の隣の椅子を指差した。ママも「いらっしゃい。皆、また来ないかなって噂してたんだよ」と言った。そして「カウンターに座ってくれると運ばずに済むから楽なんだけど、駄目かな?」と求美達に聞いた。「カウンターに座っていいんだ」と常連客がママに突っ込みを入れたがママにはうけず無視された。カウンター席だと早津馬と相席になって仲良くなるという筋書きが狂うため、どうしようか華菜とアーチが迷っているのを見た求美が「お客が1人だけで、この先必ず増える保障がある訳じゃないしすでに作戦は無理、今を楽しもう」と決断し「華菜、アーチここに座ろう」と二人を誘導し三人並んでカウンター席に座った。華菜がママに日本酒とチーズを頼み3人で飲んでいるところに早津馬が入って来た。狭い店内なので求美達をすぐ見つけた早津馬と、気配を感じ振り返った求美の目が合った。その求美の目が何かを訴えているのを感じ取った早津馬は「何か事情があって予定通りいかなかったんだ」と察し、常連客の左側に並んで座っている求美達とは反対の、右側に一席だけ空いているカウンター席に座った。ママが「初めてですよね」と声をかけた。早津馬は「そうです」と答えビールを注文した。そして心の中で「やっぱりこうなるか」と女性との縁が薄い早津馬自身の人生を振り返っていた。しばらくして二人の男性客が入店してきた。何処かで飲んだ帰り道、まだ飲み足りなさを感じ、たまたまこの居酒屋を見つけて入ってきた客だった。テーブル席に座り、注文を取りにきたママに何か注文していた。その後、人の動きがなく求美達と早津馬が相席するチャンスは訪れなかった。そんな中、テーブル席に座った男性客二人の内の一人が、酔っぱらい特有の抑えているようで抑えていない声量で「二人スッゴい可愛いよな、美少女。一番左の娘は普通だけど」と言った。その言葉が聞こえたアーチがしょんぼりする一方、華菜が笑っていた。求美が華菜の頭をコツンとしてからテーブル席の男性客をじっと見据えた。求美の優しさを知ってはいるが、今はアーチを仲間として受け入れている妖怪の求美が何かしないか不安になった早津馬だったが、特に何も起こらなかった。その後すぐにテーブル席の二人が会計を済ませて店から出て行った以外は。最初からいる常連客が帰りそうもなく、翌日の仕事前のアルコール検知が気になる早津馬は帰ることにした。「この状況ではただ酒は無理、そうそう上手く事は運ばない」と判断した早津馬は自分の会計を済ませる際にこっそりと、求美に少し多めの3万円を渡した。そして「もう帰るの?また来てね」と言うママに見送られ店を出た。所詮タクシードライバー、成績優秀でも稼ぎはしれており、早津馬はこれからの4人での生活を考え、これ以上の出費を抑えるため電車で帰ることにした。中野駅に着き「結局一人だったな」と落胆しながら電車に乗って阿佐ヶ谷駅まで行き、「ちょっと歩くけど節約、節約」と自分に言い聞かせアパート向かった。「求美達はいつ帰って来るか分からないし、さっさと寝よう」と思いながらスペアキーを使いアパートの部屋のドアを開けると求美達3人がドア近くまで来ており「お帰りー」と早津馬を出迎えた。出迎えられることに慣れていない早津馬が嬉しく思いながらも反応に困っていると華菜が「早津馬が帰っちゃったし、ただ酒も飲めそうにないんであの後すぐタクシーで帰って来ちゃった。途中でお酒を買って」と言い早津馬の手を取り酒盛り中の部屋に引き入れた。早津馬は「求美がいれば節約してくれると思ったけど、酒が入ると全然駄目かー。こりゃこれから稼がないと」と一家の長としての更なる自覚をした。すっかり酔いがまわっているアーチが「早津馬さんもどうですか?」と言ってきたが「これ以上飲むと明日の朝のアルコール検知に引っかかるから」と答えた。すると華菜があっさり、しかし可愛く「じゃ仕方ないね、明日稼いできてね」と返した。求美が「これ大分少なくなっちゃったけど」と言い小銭を早津馬に差し出した。早津馬は「小銭だけっ」とあ然としながらも心の内は見せずに「あげたお金だから返さなくていいよ」と言った。「もともと返してもらうつもりなんかないけど、この小銭を受け取ったらめちゃくちゃかっこ悪いよな」と思いながら。その心は求美に読まれていて「そうですよね。これを受け取ったらかっこ悪いですよね」と求美が済まなそうに言った。するとアーチが横から「人間の姿なので、買い物が出来るので私がいただきます」と言い求美の手を傾けて小銭を自分の手に移した。求美はアーチから10万円を預かったまま返さずにいるので黙認せざるを得ないでいるとアーチが「これで美味しいお菓子が買える」と喜んでいた。軽くシャワーを浴びた早津馬は隣の部屋に移り布団をかぶったが、求美達が早津馬に気を使いヒソヒソ喋る声が、そして愉しそうな声の調子が気になりなかなか寝付けない夜となった。

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