第23話 早津馬が求美に拘束される

 3時間待ったが飛蝶は現れなかった。飛蝶に気づかれたとは思えないので、飛蝶の策略であるはずはないのだが、結果的に飛蝶に肩すかしを食らった形になり、何となく敗北感を感じた求美達4人は、肩を落とし無言で早津馬の車に戻った。乗車するとすぐ「場所を変えたんですかねー」と言うアーチに華菜が「あいつの性格からしてそれはあり得ない。今夜は気が乗らなかったってとこじゃないかな、ねっボス」と言うと求美も「あいつは気分屋だからね」と言い、続けて「また明日の午前零時に出直しだね」と言った。早津馬が「今日は出番の日だから、また午前零時に今度はタクシーで迎えに行くよ」と言うので求美が「寝なくて大丈夫ですか?」と聞くと「遅番だから大丈夫、まだ5時間は寝られるから」と早津馬が答えた。求美が「ありがとうございます。でも無理しないでくださいね」と言うと早津馬が「こちらこそありがとうだよ。これでまた求美ちゃんの顔が見られるんだから」と言った。求美がまたうれしそうな顔をするのを確認した華菜が「私、目を閉じてるんで早く済ませちゃって、子供じゃないんだから…、アーチの目もおさえておくんで」と言って興味津々で求美と早津馬の顔を交互に見ているアーチの目を両手でおさえた。「華菜、ありがとう」と言って素直に助手席の求美が運転席の早津馬の方を向き目を閉じた。早津馬は以前、何かのドラマで主人公が言っていた「据え膳食わぬは男の恥」という言葉を思い出した。「まさしく今がその時」と決断した早津馬は自分の体を求美に近づけ、左手を求美の背中に回した。そして求美を自分の方に引き寄せようとした時、目の端に人影を感じた。早津馬がその方向、フロントウインドウに目を向けると、見知らぬ酔っぱらい男が自分と求美の様子を車の窓ガラスに顔をつけて見ていた。4人全員が、求美と早津馬のキスに心を奪われ警戒心を失っていた。思わず早津馬が求美の顔を見られないように自分の胸に押しつけた。キスではなく顔を早津馬の胸に押しつけられた求美が「えっ」と声を出した。その声に反応し目を開けて状況を即、理解した華菜が車の中を見ている酔っぱらい男の直前に得意の幽霊顔で現れて視界をふさいだ後、恨めしそうに男を見つめた。その芸に年季が入っているからなのか美少女ゆえの顔立ちの綺麗さからくる怖さなのか、あまりの怖い顔に驚いた男は狂ったように声を上げながら逃げて行った。「さすが私、どうだ」と自慢したい華菜が恨めしそうな幽霊顔のまま早津馬の方を向いた。早津馬は声にこそ出さなかったが恐怖の表情をしたまま凍りついた。「あっ幽霊のままだった」と気づいた華菜は、求美が逃げて行った男を見ているのを確認すると、幽霊顔を元に戻し、可愛い笑顔をつくってから恐怖で凍りついている早津馬に接近し、早津馬の唇を自分の唇でふさいだ。数秒間後、唇を離した華菜が立てた指を自分の唇に当て早津馬に向かって「しー」とやった。華菜は早津馬を脅かしたことを求美に知られないようにするため、早津馬が声をたてられないようにキスで口をふさいだのだった。キスを重いものと思っていない華菜にすればその程度の意味だった。ちょうどその時酔っぱらい男を見送り、振り返った求美が「早津馬さん、私の顔を見られないようにしてくれたんですね。ありがとうございます」と言った。その求美の表情に「もう一度最初から」の意志を感じたが、華菜とキスをした直後に続けて求美とキスをすることに強い抵抗を感じた早津馬は気がつかない振りをした。そして咄嗟の判断で今のことを求美に言わないことにした早津馬は求美に気づかれないように華菜に了解の意味のうなずきを送った。深夜とはいえここは東京二十三区内、酔っぱらい男の大声で、人が集まるとまずいと判断した早津馬はすぐに車を発進させた。運転しながら華菜の気持ちが分からない早津馬は「華菜ちゃん、求美ちゃんとのこと応援してくれてたよな。なぜキスを?」と考えたが答えが出る訳もなく、すぐにその時の情景を思い出し「華菜ちゃん可愛いかったな」とニヤついた。すると、ちょうどその時「ちょっとやりすぎたかな」と反省していた華菜が身を乗り出し早津馬の耳もとで「さっきのキスに愛情はないから、深い意味にとらないで」と小声で言った。その言葉を確かに聞きとった早津馬だったがその時の情景を思い出してはニヤついていた。早津馬にとっての初めての美少女とのキスは、それだけ重いものだった。今現在、相手が妖怪であることなど早津馬の意識から完全に消えていたのだからなおさらだった。その後、冷静さを取り戻した早津馬はコンビニに立ち寄り、早津馬が全員分の弁当と飲み物を買って配った後、求美達をアーチの家の入り口まで送り、心を残しながら解散した。思いがけない華菜のアシストで得た絶好のチャンスは空振りに終わった。別のうれしい余韻を残しながら。アーチの家に入った求美達は作戦成功のためと言い合って、またしっかり食べて寝て、夜を迎えた。早津馬は求美とのキスの不成功を引きずりながらも、また求美に会えることを楽しみに食べて寝て、仕事に出て夜を迎えた。早津馬がアーチの家の入り口の近くにタクシーを止めた頃、求美と華菜とアーチはまだ寝ていた。何となく目覚めた求美がスマホを見るとバッテリーが上がっていた。「今何時か分からない。早津馬さんから電話が入っていたかも」と思った求美が慌ててアーチの家の出入り口まで行き、路上にいるかもしれない通行人に見つからないように注意しながら顔を出して周りを見ると見慣れたタクシーが停まっていた。人気がないことをもう一度確認した求美が路上に出て、自分の体をサイズアップして元に戻し、慌てて運転席に駆け寄ると早津馬が笑顔で窓を開けた。求美が「すみません、時間が分からなくて」と言ってスマホを見せると、早津馬が「俺もうっかりしてた。バッテリーが上がる頃だったのに。何回かけても出ないから気がついた…。求美ちゃんに嫌われたんじゃなくて良かった」と言うと求美が「嫌いになる訳ないじゃないですか」と言って恥ずかしそうにうつむいた。「これは早々とまたチャンスがきたか」と思う早津馬の目の端に、こちらを見る鼠と小さな小さな少女の姿が目に入った。それは求美の足元の横で早津馬を見ながら立っていた。うつむいていた求美もその華菜とアーチの存在に気づき周囲を確認して華菜をいつものサイズに、アーチを普通サイズの少女に変えると二人が口々に「おじゃまします」と言った。そして華菜が早津馬に「のぞき見しようとした訳じゃないですよ。ボスのひとり言が大きくて目が覚めたから後をついてきただけなんで」と言った。求美が「誰かに見られると大騒ぎになるから黙ってついてこないで」と注意すると華菜が「ごめん、分かった」と答えた後、求美と早津馬に気を利かせて「私とアーチでお弁当を買ってくるからここで待ってて」と言って、早津馬の前に自分の手を手のひらを上にして出してウインクした。すぐにその意味を理解した早津馬が一万円札を渡すと、この場に残りたがっているアーチを無理やり引っ張って中野駅の方に向かって歩いて行った。「外は寒いから助手席に乗って」と早津馬が求美とのキスへの展開を考えて求美を助手席に誘ったが、その時求美はすでに助手席側に回っていてドアを開けるところだった。いつもと違う求美の行動にあ然としている早津馬を気にもとめず、ドアを開け助手席に座った求美は、体の正面を早津馬に向けて両腕を早津馬の背中にまわし、強く抱きしめた。

 注、 求美は怪力なので軽く抱きしめただけの可能性もあります。

 そして何も言わず早津馬の唇に自分の唇を重ねた。思いがけない求美の行動に早津馬が心の中で「えっ」と驚いていると求美がテレパシーで話しかけてきた。「華菜とキスしましたよね?」その自信ある口調に早津馬が「華菜ちゃんと約束したけど、隠すのは無理だ」と判断し、口がふさがっているのでとりあえず「知ってたんだね」と心の中で言ってみると、求美から「気がついてましたよ」と返ってきた。「求美ちゃんは俺の心の中の声を聞き取れるんだ」そう確信した早津馬が心の中で「ごめん」と謝ると求美から「華菜とならいいんです、分離してますけど私の一部なんで。気にしないでください。ただ…」と言って沈黙した。その沈黙を早津馬は「求美が、自分が男としてふがいないことを言い渋っているからなんだ」と思い、自分から抱きしめてキスをしようと求美の両腕をほどこうとしたが全くびくともしなかった。するとそれを早津馬がキスをやめたがっていると勘違いした求美が「華菜とは何秒、いや何十秒キスしてました?」とテレパシーで聞いてきた。「えっ」と思いながらその時の経緯を思い出し「数秒だったと思うよ」と早津馬が心の中で答えると「じゃあ、あと1分この拘束を続けます」と求美からテレパシーが返ってきた。沈黙の意味が分かった早津馬は求美の愛の深さを痛感し、そのまま求美に身を委ねた。

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