第16話

 譲くんと伊吹さんの背中が、北棟を出て渡り廊下を渡るのが見えた。わたしたちはふたりが角を曲がって姿が見えなくなるなり、目配せして小走りで追いつくのを繰り返した。

はっきりいって、かなり怪しい二人組だと思う。でも、事業所全体がお祭りで浮き立っているので、さほど目立たずに済んだ。

 ふたりは事業所の奥へと向かう。屋台の並ぶ事業所の入口付近と違い、その辺りは人気もない。グラウンドに設置された特設ステージで、まもなくマジックショーが始まるというアナウンスが構内放送から流れてくる。

 小さな子が両親にマジックを見たいとせがむのを横目に、わたしたちはさらにふたりを追う。


「なんであのひとがお姉さんの結婚式を手伝うの? やっぱり付き合ってるの?」


 飛びこんできた伊吹さんの声に、わたしたちは足を止めた。南棟の裏、室外機を大きくしたような機械と配管が建物に沿って並んだ場所で、ふたりは話をしていた。

 友香と目配せして、ふたりから死角になる壁際に身を寄せる。


「関係ないでしょ。伊吹さんこそ、まだ間瀬さんと付き合ってんの?」

「なんで?」

 伊吹さんの声に期待が甘く乗るのがわかった。

「間瀬さんはやめときなよ。間瀬さん、ほかにも女いるから」

「……そんなの知ってるよ。さっきのひとも彼女だったってことくらい」

 やっぱり知ってたんだ。

「だったらわかるでしょ。間瀬さんが伊吹さんだけを大事にするとは思えない」

「譲は優しいね。そんなに言うなら、譲がやり直してよ。私は譲を忘れたことなんてなかった。譲がやり直してくれるなら、間瀬さんと別れる」

「俺たちはもう終わったでしょ。間瀬さんを選んだのは伊吹さんだ」

「実乃梨って呼んでよ!」


 実乃梨さんがしゃくり上げる。

 譲くんが「あー、くそ」と小さく毒づくのが聞こえ、わたしはそっと顔を出す。譲くんがハンカチを実乃梨さんに渡すところだった。


「私はまだ終わってない! あのときは私だって寂しくて……それで間瀬さんに慰められたから……でも、ほんとうは譲のことずっと忘れられなかった」


 デパートで見たとき、伊吹さんは大河さんを好きそうだったけれど、心の隙間は大河さんでは埋められなかった……のかな。

 それなら、ふたりがよりを戻すのも時間の問題だろう。


「……やめた。いこ、友香」

 わたしは友香のカットソーの袖を引っ張って、来た道を引き返した。

「ちょっと直央、まさか勝てないとか思ったんじゃないでしょうね? 涙に騙されちゃだめだって。あの子、間瀬さんに行ってみて苑田の気持ち試してきたってことじゃん」

「そうだとしても、もうやめよ。わたしは伊吹さんみたいになれないもん」


 試す気持ちがあったとしても、正面から気持ちをぶつけることはわたしにはできない。ぶつけようとしたとして……なにが起きるか目に見えている。


「なんで……あ、」

 気づいた友香が気まずそうに口ごもった。

「直央。体質のこと、気にしてる?」

「不運を背負うのわかってて無視はできないよね。譲くんは巻きこまれ体質だっていうし。もしも好きになったとしても、それこそ先には進めないよ。と! いうわけで取るのもナシ! それより飲も! せっかくお花見に来たんだから飲まなきゃ」


 友香がなにか言いたそうにしたけれど、わたしは「よし!」と気合いを入れて友香の腕を引いた。眉を下げるのも、胸がぎゅっと痛くなるのもお断りだ。

 この体質でまともな恋愛ができないのなんて、つい最近も思い知ったばかりだし。いまさら。

 わたしたちは入口近くの、屋台が並ぶ一角に戻った。

 幼い子どもたちが両親に連れられてはしゃぐ様子を見たら、さっきの一件が幻のように思えてくる。ビールと鳥の唐揚げを買おうと、わたしは友香とともに屋台に並んだ。


「いたいた、女神様ー! 探してたよ。今日来るっていうから、待ってたんだよ。僕らの作った製品、見ていってよ。僕が直々に解説するからー!」 

 振り向きざま、足がすらーっと長いおじさまに肩を叩かれた。百八十センチは優に越えていそう。短髪グレイヘアーに丸縁の黒めがねがひょうきんな雰囲気がするけれど。

 いや、どなたですか?

 




 およそ三十分後。わたしは事業所内に設けられた特設ステージの上にいた。


「つくば事業所に女神が降臨しましたー! はい皆さん、注目!」


 マイクを片手に松村さんが大声を張り上げる。ハウリング音が耳をつんざき、わたしを始めステージ前に集まった人々が顔をしかめた。ただひとり、松村さんだけは上機嫌だ。

 わたしたちの前にとつじょ現れた男性は松村と名乗り、設計部で譲くんの上司だと自己紹介した。そしてわたしが展示会で扱う予定の新製品について、工場棟まで連れていってデモ機を使いながら詳しく説明してくれたのだ。

 そこまではとってもありがたかった。そこまでは。

 しかしひととおり説明を聞いてその場をあとにしようとしたわたしたちは、なぜかステージまで連行されたのである。


「女神ちゃん、自己紹介!」


 悲しいかな、無茶振りされてもノリよく応じる術をわたしは営業時代に培っている。ステージ前から興味津々な視線をいくつも向けられれば、場を寒くなんてできやしない。条件反射で声のトーンを上げた。


「はい、営業本部営業企画部の女神直央です! 女の神様で女神と書く、女神です! 拝んでいただいてもご利益はありませんが、よろしくお願いしまーす!」


 なんでステージに上がらされたのかも理解できないが、気がつけばわたしは愛想笑いを振りまき、拍手喝采されていた。

 それまでマジックショーやら大道芸やらといった子ども向けのショーをしていたステージの周りに、なにが始まるのかと期待を抱いた大人たちが集まってくる。


「なんとこの女神、来月の展示会で我らが期待の新機種を売りこんでくださる、ありがたい女神ですぞ!」

「おおっ……!」

「女神の肩に俺たちの将来がかかってる! 売って売って売りまくってくれー!」

「はは……そういうこと……」


 つぶやきはふたたびの拍手にのみこまれた。これだけ盛り上げられたらわたしもノるしかない。自棄やけともいう。

 旅の恥はかき捨てともいうし。旅っていうほど遠出してないことは棚に上げておく。とにかくここは営業の本領発揮だ。


「不肖、この女神、皆さんの大事な新製品を世界に叩きつけてきてやります! 売って売って、皆さんに幸運をお届けします!」

「おおーーーー! 頼んます女神様! 俺たちあれを世に出すために、死ぬ気で力入れましたんで!」

「皆さんの思いを受け止め、この女神、改めて展示会に向けて決意を新たにいたしました! どうぞご期待ください!」


 女神、女神、とシュプレヒコールが事業所に響き渡る。

 誰も、展示会は商談の入り口であって成約の場ではないなんて野暮やぼは言わない。皆、お酒が入っているので言うことがいちいち大きい。わたしもか。

 気分はライブハウスのミュージシャンである。わたしが拳を突きあげれば、ステージ前のパイプ椅子に座っていた事業所勤務の社員たちも立ち上がって拳を突きあげる。

 松村さんがわたしにプラカップのビールを差しだす。乾杯! という掛け声とともに、わたしもビールを飲み干した。


「今日の女神の降臨に感謝を!」

「おおー!」

「イェーイ!」


 とわたしが再度拳を突きあげたとき、譲くんがステージ前の最前列に駆けこむのが目に入った。

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