第24話 『裏』の本質

「あれ・・・親父、そう言えばさ、一の鳥居を飛ばしてるけど?

 いきなり二の鳥居から通って、失礼には当たらないのか?」


小次郎の問いかけに、隆一郎と宗重は目を合わせてニヤリとし、

環菜と彩羽は『へぇ・・・』と感心した様子。


「よく気付いたな。実は今回の大きな目的はソコだ。

 小次郎、近衛家と如月家、これだけでは何か足りないと思わんか?」


隆一郎が満足気に笑いながら問い掛ける。


「足りないって何が・・・待てよ。近衛家おじさんトコ如月家ウチと・・・あとは・・・

 あ~、わかった。そういう事、か。素戔嗚尊スサノヲ様、って事?」


「うん、正解。確かに現代において代替わりはしたけど、三柱が揃って報告して、

 現世・常世の双方における“代替わり”が完了するんだよ」


宗重もニッコリ微笑みながら語り掛ける。


「そうかそうか、成程・・・確かに三柱が揃ってこそ、だね。だから出雲なのか」

納得がいった小次郎は深く頷く。

(神在月の神事前に行うべき『裏』の儀式、そう言う事か)


古来より、全国では旧暦十月を神無月かんなづきと呼んでいるが、

ここ出雲の地においては神在月かみありづきと呼んでいる。


旧暦の10月17日から26日までの間、全国各地の神々 ~ 所謂“八百万やおよろずの神々” ~ は

出雲大社を始めとした出雲国の複数の神社に滞在し、国家安泰・五穀豊穣・縁結び等の神議かみはかりを行うからであるとされ、その期間中は出雲の地が神聖な空気に包まれる。



ここでひとつの疑問点が生まれる。

ならば何故、小次郎は『だから出雲なのか』と思い至ったのか。



平安時代前期まで、出雲大社の御祭神は大国主神オオクニヌシノミコトであった。


やがて神仏習合の影響下において鎌倉時代から天台宗鰐淵寺との関係が深まり、

鰐淵寺は出雲大社の神宮寺をも兼ねることとなる。


中世出雲神話では国引き・国作りの神を素戔嗚尊としていた事から、

14世紀から17世紀初頭までの間は出雲大社の御祭神が素戔嗚尊とされており、

江戸時代初期には社僧が寺社奉行と大社の運営管理を実施していた。


しかし、大社内に仏堂や仏塔が立ち並んだ事により次第に神事が衰微したため、

寛文7年の遷宮に伴う大造営の際に神仏分離・廃仏毀釈を主張することとなる。


その結果、寺社奉行に認められ祭神は大国主神に復されたという経緯があるのだ。


大国主命は八岐大蛇退治を経て結ばれた素戔嗚尊・櫛名田比売より数えて六代目。

出雲大社本殿の後ろにある素鵞社そがのやしろは素戔嗚尊が御祭神として祀られている。


神職の後継者として身に着けておくべき知識から導き出された結論であった。

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安息の護り手 はぁふ・くうぉうたぁ @half-quarter

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