3.「誰もが皆、あなたのようであったなら」

 鮮やかな赤い炎に包まれた『リゼット』は、無造作に通路へと投げ捨てられる。硬い床に叩きつけられる刹那、飛び出してきたクライドが体を滑りこませる。鈍い音とくぐもった悲鳴が同時に響き、苦しげに息を吐いた装丁師は動かない『リゼット』の体を抱え起こした。


「おい、小公女……! リゼット! 目を覚ませ!」


 強く頬を叩かれても、閉じたまぶたは開かない。生きているのが不思議なくらいに蒼白な顔を見下ろし、クライドは軽く舌打ちをする。


「あの野郎。体を解放するなら中身も一緒にしやがれってんだ」

「にゃ。主さま……! 『火』がこっちを見ているにゃ!」


 猫の警告に顔を上げたクライドは、炉の上を旋回する火の鳥に顔をしかめる。ルビーのような目を細めた『火』の魔法装丁は、悠然とした様子で声を発した。


『余計なことでございましたか、我が仮初の主よ。その少女を失うことはあなたにとって良いことだとは思えず、勝手な手出しをしてしまいました』

「いや、謝罪の必要はない。お前が何もしなければ、猫が何とかしていただろう」


 クライドの適当な言動に、猫はぎょっと金色の目を見開く。いくら何でも猫使いが荒すぎる! 爪を出して猫パンチ繰り出されても、クライドは平然と『火』を見返すだけだ。


「それで? 『火』、お前は大人しく俺のところに戻る気はあるのか」

『そうしたいのは山々ですが。わたくしの炎はすでに、街へと広がってしまっております』


 火の鳥が尾羽を振るうと、中空にどこかの光景を切り取った窓のようなものが現れる。それは鍛冶屋の店先だったり、通りを映したものだったりしたが、それらに共通するものは、『青黒い炎に包まれている』ということだった。


「あれは、まさか。魔力を食らう炎か……?」

『その通りです、仮初の主よ。わたくしもこうして会話こそ成立しておりますが、魔法装丁に宿る力は暴走状態にあります。特にあの青黒い炎に関しては、わたくしだけの魔力では抑えきれません』

「ならば、なおのこと再封印を急がなければ」

『ええ。ですが、わたくしを御すことは、あなたの魔力すべてをつぎ込んでも不可能です』


 火の鳥の背後では、青黒い炎に包まれ慌てふためく人々の姿が映し出されている。逃げ出す人並の中で、また一人、またひとりと倒れていく光景は、さながら地獄絵図のようだった。


 クライドはしばらく黙ったまま、『火』の魔法装丁を見上げていた。実際、クライドの魔力は、強大な力を持っていた曽祖父の足元にも及ばない。『火』は化身たちの中でも最大級の魔力を秘めた魔法装丁であり、それを封印するとなれば相応の実力が必要となる。少なくともクライドだけの力では、返り討ちにあって消し炭になるだけだろう。


「わかってる。俺の力だけでは封印は果たせないと言いたいんだろう? だったら、最後の『地』の力を使うまでだ」

「主さま!? 『地』の魔法装丁の力を引き出したら、主さまも無事では済まないにゃ!」

「わかってるよ。良くて昏倒、下手すりゃあの世行きだ。だが――」


 ちらりと視線を落とせば、いまだ目覚めないリゼットの顔が映り込んだ。普段はあんなにうるさくて仕方ないのに、意識を失った姿は本当に儚げだった。こんな弱々しい少女に、今まで何度助けられただろう。


「いつまでも誰かさんに頼り切りっていうのも、ちょっと情けないからな。たまには少しくらい、格好つけさせてくれ」


 苦く笑って、クライドは猫の手からガラス玉を受け取る、そしてまぶたを閉じたままのリゼットを床に横たえると、ガラス玉をそっと胸の上に落とす。


「誰もが皆、あなたのようであったなら。世界はずっと平和だったかもしれないな、小公女様」


 きらきらと光の粒を放ちながら、ガラス玉はリゼットの内に吸い込まれていく。ゆるやかに、夢を見るような穏やかさをリゼットの寝顔は取り戻す。優しく目を閉じたまぶたに笑いかけ、クライドはゆっくりと立ち上がる。


「さてと、ここからは俺の仕事だ」


 クライドの手が宙を掴む。虚空から現れたのは、深い土色をした一冊の装丁本。手の中でくるりとそれを回転させ、クライドの唇は静かにその名を呼ぶ。


「……猫。いや、『地』の魔法装丁」

「はいにゃ。主さま」

「俺のすべての魔力を食いつくしてもいい。だからあいつを――『火』の魔法装丁を地面に引きずりおろせ!」


 それはある種の契約の言葉。クライドの手から『地』の魔法装丁が離れ、猫へと飛んでいく。魔法装丁を抱きかかえた猫は、金色の両目を閉じると音もなく一礼した。


「確かに主の願い、聞き届けた」


 猫の姿は端から崩れ去り、虚空へと舞い上がっていく。きらきらと輝く金色の粒は、火の鳥の正面にて終結し、一つの巨大な姿を形成する。


「――『地』の魔法装丁、金色の獅子」


 グォオオオオオォオオオン! 空中に出現した金色の獅子は、琥珀色の瞳を輝かせ走り出す。目指す先は滞空したままの火の鳥――。


「切り裂け」


 獅子は咆哮する。強大な力を秘めた前足を振るい、火の鳥を叩き落そうとする。だが鳥は素早く旋回し、直線的な攻撃をかわす。獅子の動きは鳥のそれよりも素早いが、鳥の回避行動はそれを上回る。何度爪を振り下ろされようとも、優雅な尾羽を捕らえることさえできない。


「――。風、水! 援護を!」


 クライドの呼びかけに、風と水の化身が飛び上がった。風の刃と水柱が火の鳥へと殺到し、一瞬だけ鳥の動きが乱れる。火の鳥は炎を飛ばしてけん制するが、獅子は構わず跳躍する。


「行け」


 短い指令に呼応し、獅子は火の鳥に体当たりする。轟音が響き、たまりかねたように火の鳥は下へと逃げていく。しかし、獅子は態勢を整える時間を与えない。屈強な両足で翼を抱え込むと、何のためらいもなくそれに牙を立てる。


『…………!』


 『火』の化身の絶叫が響き渡る。死に物狂いで火の渦を巻き起こし、獅子を振り払う。けれどすでに片方の翼は力を失い、全身から魔力のかけらを流れ落ちさせている。そんな様子に獅子は、無慈悲な視線を向けると再び跳躍した。


「そろそろ終わりだ」


 震える声で言って、クライドは獅子に指を向けた。火の化身は満身創痍だったが、クライド自身もいつ倒れてもおかしくない状態だった。もともと少ない魔力を『地』の魔法装丁に提供すればするほど、クライドは死に近づいていく。わかってはいても、嫌な汗と共に目の前が暗くなる。


 獅子は宙を駆け、再び火の鳥に体をぶつける。勢いのままに鳥は天井まで吹っ飛び、鋼材がばらばらと落下していく。それは炉の上にも降り注ぎ、クライドの足元に巨大な影が落ちる。


「……あ……」


 驚きすぎるとどうして人は、間抜けな言葉しか吐けなくなるのだろう。頭上を見れば、巨大な鉄材が降ってくるところだった。避けようと体を動かすが、足はぴくりとも動かなかった。このまま死ぬのか。ぼんやりと考えた時、横っ腹に何かが勢いよくぶつかってきた。


「がっ!?」


 短く悲鳴を上げながら地面を転がる。すると一瞬前の空間を鉄材が貫き置いていった。ぎょっとして我に返ると、腹にしがみついている何者かの存在気づく。


「あ、お前……」

「お前じゃないです」


 にこりと笑って、少女はクライドを見つめる。いつの間にか見慣れてしまった笑顔に、クライドは苦笑いを漏らし――無防備な額を軽くはたいた。


「あいた! なにするんですか!」

「なにするじゃないだろうが! お前はいっつも予想の斜め45度くらいの感じで行動するのなんでだよ! この前の復讐か!? 報復なのか!?」

「何言ってるんですかクライド師匠! 助けてあげたんだからそこはありがとうでしょう!」

「そうだな、ありがとうございます! 二度とやるな!」

「ええー。はっ、これが世にいうツンドラというやつですか……!?」

「なに言ってるかまったくわからないがな! ほらいい加減立て」


 腹から小公女を引きはがし、クライドはふらつきながら立ち上がる。獅子と火の鳥の勝負は今まさにつくところだった。通路に体を押し付けられた火の鳥を見つめて、クライドは長く息を吐く。


「クライド師匠、大丈夫ですか」

「見ての通り大丈夫じゃない。だがま、ここまで来たら残すところは仕上げだ」


 クライドは一歩前に踏み出す。それだけで視界が歪み、冷汗が噴き出したが今はもう構わない。一度だけ背後を振り返ると、所在なく佇んでいる少女に向かって手を差し出した。


「行くぞ、リゼット。これでやっと幕引きだ」

「――っ! はい、クライド師匠っ!」


 リゼットとクライド。相容れなかったはずの二人は、共に手を取り合い――最後の道を進む。

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