12. キャラを覚えられない・・・
わたし、昔っから人の名前と顔を覚えるのが苦手で、自己紹介する傍から名前忘れるんですよ。
名刺交換後とかなら、名刺をデスクの上に順番に並べておくんですけど、口頭で自己紹介した後は、だいたい会話のキャッチボール数回で忘れます。異動後とか、特に大変です。
なので、もうメモメモメモです。
社内HPとかで改めて顔を確認して、呪文のように名前を連呼します。
ということで、今回は作中の登場人物を覚えられない経験について考えます。
何が「ということ」なのかはさておき、皆さまは作中の登場人物を全員把握してご覧になってますか?
正直なんのこっちゃ、なお話なんですが、実は今年、すごく気になることがありまして…。
『水星の魔女』についてです。
すいません、この時点でもう興味失った方もいるかもですが、ご容赦を。ロボットの話がしたいわけではないです。
この『水星の魔女』、結構登場キャラクターが多いです。生徒がモビルスーツで決闘を行う学園モノなんですが、各学生寮毎に派閥があって、主人公周りだけでなく、出番が多いのから少ないのまで、キャラが濃いのから薄いのまで、とにかく人数が多い!(神在月ユウ視点)
はっきり言いましょう。
名前言えるの、両手の指で足ります。
モブキャラまでは覚えてないだろうと言うかもしれませんが、ちゃんとセリフや出番があるヤツまで覚えられない。
感想ブログとか解説動画も結構出ているんですが、全然誰が誰だかわからない。
そこで、なんで覚えられないんだろうと考えました。
(仮説1)
物覚えが悪いだけ。
これ、あんまり考えたくないですが、一理あります。
冒頭書いた通り、わたしは人の顔と名前を覚えるの、超苦手です。
ですが、過去を振り返ってみると、ちょっと違和感あります。
だって『ネギま』とか、クラス全員にフルネームどころか身体データや所属する部活とか趣味とかバックグラウンドとか設定が細かく作られていますが、今でも結構覚えてますよ。
長期記憶として覚えていて短期記憶の能力は衰えている、という老化の特徴を指摘されるとぐうの音も出ませんが。
でも、今読んでる書籍小説では、数巻の間にキャラクターが十数人出てきても、「ああ、こいつは」とすぐに認識できます。
なので、関係ないわけではないが、クリティカルな原因ではないと考えます。
(仮説2)
キャラクターの名前が難しい/覚えにくい
これはあんまり関係なさそうです。
Wikipedia見ましたが、べらぼうに長いとか覚えにくい名前は出てなかったです。
いやむしろ長い名前の方が印象に残って逆に覚えるか?
(仮説3)
そもそも作品に興味が湧かない。
……これじゃね?
いえ、作品自体、最後まで見てて、嫌いじゃないですよ?
ご新規さんを取り込むために、まずは学園モノという形で見てもらって、そこから対立や命のやりとりのある戦闘を、つまり『ガンダム』っぽさを出していくという構成で、後半は結構楽しめました。
はい、ぽろっと本音が出ました。
つまり、前半は楽しめなかったということです。
正直、序盤は退屈だな、と思ってました。
わたしは創作物に『笑い』『涙』『血』『悲鳴』のどれかひとつ以上を求めています。
それが、『水星の魔女』の10話くらいまでなかったんです。
(これは完全にその人の感性や解釈なんですが)
なにせ、わたしは『ガンダム』と名のつく作品で『ビルドシリーズ』(ガンプラを作って戦わせるお話)はあまりしっくりこず、動画サイトでガンダムの主人公の話が出る時に『ビルドシリーズ』のキャラクターの話をされると「いや、ガンダムじゃねぇじゃん」とちょっと不満顔です。
タマの取り合いがないものは『ガンダム』としてはどうなのだろうと思っており、『ビルドシリーズ』は『リライズ』だけ好きです。(最後の合体だけいただけませんが)
ですので、『水星の魔女』は決闘などではなく、モビルスーツのガチ戦闘が始まって、当時ネットで『トマト』と話題になった辺りで「お、やっと面白くなってきた。我慢して見ててよかった」と思っていました。
昨今は人死にとか主人公に過度なストレスをかける作品が避けられていると耳にしたことがありますが、逆にわたしは特に笑いもストレスもなくのほほんと過ごすだけの日常系アニメや、人が死なないシステムなので安全ですよ、の前提で戦う作品を、退屈と思う傾向があります。
創作物に求める『非日常』というものを、そっち方向に求めているわけです。一応自分を擁護するなら、『死』を描く作品は、同時に『生』を描いている、と思っているので、あしからず。
とまぁ、一期終盤から好きになった『水星の魔女』ですが、結局今更振り返る気も起きず、キャラクターを再度把握することなく、主人公周りの人物のやりとりとモビルスーツ戦闘を楽しみながら、最終回を見終わって満足したわけです。
さてさて、ここまでまるで『水星の魔女』批判みたいになってしまいましたが、ここでわたしがキャラを覚えられなかったのは「もういいや」と雰囲気だけを楽しむ方向にシフトしてしまったので、物語にのめり込むことができずに、登場キャラクターを作中に生きるヒトではなく、本当の意味でただのモブと認識してしまったのだと思います。
本来なら、群像劇とか複雑な人間関係って物語の魅力のひとつだと思います。
各々の立場で板挟みになりながら、とか。
こちらにとっての正義と敵側の正義、とか。
思わぬ繋がりがある因縁とか。
逆に、創作物においては、閉じた世界観を使う技法があります。
物語の舞台を大きく広げずに、限られた舞台・登場人物で物語を構成することで、読者にわかりやすく伝えることができます。
例えば、『生徒会の一存』という小説は、基本的に学校内が舞台です。というか、生徒会室でだべってる作品です。登場人物は生徒会所属の5人を中心に描かれ、そこから徐々に顧問の先生や他の生徒が出てくる、ミニマムな作品です。
結構好きでした。
まぁ、そんなこと言いながら、人数が多ければ話が分かりにくいのか、といわれれば答えは否です。登場人物が多い作品だって、名作は多いです。その逆も同じです。
ただ、登場人物が多いと、気をつけないと作者自身が「こいつどんな奴だっけ?」になってしまうので、『事故』を防ぐためにも、ある程度設定は作っておかないといけないかな、とは思います。話を進めるうちに追加設定とか出来上がりますが、追加したならそれも書きとめておかないと、長期間書いていると忘れてしまいますし。
地味なところでは、この子の一人称は「わたし」と「あたし」どっちだっけ?とかわからなくなります。
最後に――
重ねて言いますが、『水星の魔女』、嫌いではないですよ。
恐らく再放送とかしてたら、また見ると思います。今年の夏にテレビに繋げたハードディスクが動かなくなり、当時の録画はもう見られませんが、今は新しいハードディスクを繋いでいるので、録画とかするかもしれません。
『水星の魔女』との出会いは、例えるならばカレーを頼んだらレーズンとか入った甘甘カレーが出てきて「うわぁ…」となったけど、食べてみたらまぁこれはこれで…、みたいな感じだと思っているので。
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