6. 設定に拘り過ぎて…

 変な拘りが出てしまう神在月ユウです。

 ガンダムSEEDの主人公機は商業的には「ストライクガンダム」という名称ですが、劇中の設定ではあくまで「GAT-X105 ストライク」です。「ガンダム」というのはあくまでOS起動画面の頭文字を繋げて読んだニックネームであり、作中は軍でも「G」や単に「ストライク」と呼称されている設定です。

 私はその世界観が好きで、「ストライクガンダム」と呼ばれることにひっかかりを感じており、「いや、あれは『ストライク』だから」と変に張り合ってしまいます。



 ミリタリー方面でも、その拘りが出てしまいます。

 「自衛隊の戦艦」と聞いて、皆さんはどう思いますか?

 多くの方が「何が言いたいの?」「どうと言われても」と思うかもしれません。

 私はバリバリ違和感です。

「いや、戦艦ってあくまで軍艦の艦種の一つであって、半世紀前に消えてるから。今時戦艦なんてねぇよ」

 なんて思ってます。

 前にTRPGやっているときに、「じゃあこの戦艦に攻撃」と言われ、咄嗟に「駆逐艦ね」と言ったこともありました。

 いや、戦闘用の艦船という意味でも使うので、あながち間違いではないのですが、拘りが強すぎて気になってしまうのです。


 同じように、戦闘機という言葉もそうです。

 戦闘機とは空戦のための軍用機です。

 世間様では「戦闘機」も「攻撃機」も「爆撃機」も「偵察機」もみんな戦闘機でしょう。「攻撃機」は対地攻撃を主任務とした機体で、A10《サンダーボルトⅡ》を戦闘機と呼ばれると、「戦闘機じゃねぇよ」と反論したくなります。


 サブマシンガンを「マシンガン」と呼ばれると、「いや短機関銃サブマシンガン機関銃マシンガンじゃねぇよ。軽機関銃とごっちゃになってんのか?」とか思ってしまいます。

 


 でも、以上の例って、多くの人からは「オタクがうるせぇな」「そんな細かいこと知らねぇよ」「楽しめてるんだからいいじゃん」とか思われるんじゃないでしょうか。

 「速度がマッハ2」っていう設定があったとして、多くの人は「音速の二倍なんだ」と認識しますし、人によっては「音速って秒速340メートルだから時速2400キロだね」まで考える人もいるでしょう。

 これって、理系人からするとちょっと「?」って感じの説明で、マッハって音速と速さの比率で単位のない無次元数(単位がない)だし、音速は気温(大気密度)で変わるし、音の伝播速度は空中・水中・地中で雲泥の差があるけどさ、みたいな話が出てくるかもしれません。速度ってベクトルになるけど、その辺わかって使ってるんだよな、みたいなことを突っ込む人もいるかもしれないです。


 でも、それってやはり世間からすれば「細かいこと」であり、マッハって言葉はどれだけ速いかを示すわかりやすい、かっこいいものであって、「マッハって圧縮性の指標としても使う」とか知ったことではないわけですよね。


 断っておくと、「細かい設定をしている作品はやりすぎ」と言っているつもりはありません。詳細な設定はそれだけ納得感のある、作り込まれた世界観にとって大変重要な要素です。特にSFがその辺りないがしろにするのはよくないと思います。

 ですが、作者と読者の間で設定の作り込みに対する温度差があるのでは、と思うことがあります。

 私は本気の作品を作る際は、各キャラクターの身長と体重、生まれや、どう育ってきたか、などなど細かい設定をしています。が、それらはほとんど作中に出てきません。あくまで裏設定くらいのもので、だいたい8割が文章にも出てこない内容になっています。なんでこんな面倒くさいことをするのかというと、「こいつはこんなときどう答えるのかな」って考えたり、あとは単純に長編になるとキャラクタ性がブレることがあるのでそれを防ぐためだったりします。

 正直、これは読者からすればどうでもいいことで、キャラクタがブレないことは当然であり、ブレたら減点対象なわけです。こんなことまで考えて書いてるんだ、なんてことは、コアなファンが作品にのめり込むくらいしか価値がなくて、大衆には価値のないものです。

 でも、私はそういう設定をべらべら喋りたくなります。

 私は登場する兵器には型式番号までつけて、開発経緯まで考えますが、多くの人からするとそれは蛇足です。駆逐艦だろうと巡洋艦だろうとミサイルフリゲートだろうと揚陸艦だろうと大衆からすれば「戦艦」であって、短機関銃でも軽機関銃でも重機関銃でも突撃銃であってもみんな「マシンガン」なんです。太刀も打刀もどっちも『日本刀』で一括りにされているんです。


 詳細な拘りをわかってくれるのは、一握りのその道の玄人(さらにその中の一部)だけであって、マジョリティからすれば「なんかすごそう」で片づけられる。

 でも、その玄人に声高らかに「ここがおかしい」と理路整然とツッコミが入るとさっきまで「すごい」と言っていた人たちが「なるほど。これはおかしいのか」と流されることもある、というのもたまにありますが。

 もう、割り切るしかないんですかね?

 設定の作り込みって、横軸を労した時間、縦軸をそれによって適宜加点されるクオリティとした際に、双曲線みたいになるんじゃないかなと思います。作り込めば作り込むほど納得感のある、クオリティの高い作品と世界観が出来上がると思いますが、細かく作り込むほどに、そこまで気にしてくれる人数って多くなくて、ある程度までいくと、ほんの一握りの人を首肯させるための多大な労力になってしまうように思えるのです。半年考えて作った作品が一万人に好評だったとして、じゃあ倍の一年考えれば二万人にウケるようになるかと言われれば、もちろんノーだとわかりますもんね。


 作品をどこまで作り込むのか。

 ターゲットは誰なのか。

 主旨を考えた時に、どれほど正確な情報を調査すべきなのか。

 ミリタリーオタクには鼻で笑われるかもしれないが、これは極限状態の群像劇を描くのだから銃の描写はそこそこでいいとか、そういう思考が必要なのかと、私は思っています。

 設定に凝っているけど面白くない話もあれば、その逆のお話だってあるんですから。



 最後に、私は誰が何と言おうが、腰だめにアサルトライフルを構えるのは認めません。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る