第7話 最高におもしろい物語

「ふぅ」


 玲は小さく息を吐いてから大きく伸びをする。

 それから顔だけで振り返って尋ねる。


「一志。どうだった?」

「お疲れさま」

「そうじゃなくて……朗読劇の感想が聞きたいの。原作者として不満はなかった?」

「不満……?」

「キャラの演じ分けができてないとかテンポが速すぎるとか。なんでも言ってよ」

「不満なんてないよ。

 さすがプロ声優の天ヶ沢玲。完璧な仕事ぶりだったよ」

「あのね、その顔を見たら誰だって不満があるってわかるから」


 ガラスに映る自分の顔を見て、一志の気分は余計に落ち込んでいく。

 実際、不満はある。

 小さなものから大きなものまで。

 それこそ数えきれないほどに。

 けれどそれは、玲に対してではなく作品への不満。

 ひいては自分自身への不満だった。


「ごめん……」

 うな垂れるようにして謝罪の言葉を述べる。

「最高におもしろい物語を書くって約束したのに……」


 これは玲と一志が意見を出し合って考えた作品。

 キャラクター設定からストーリー展開まで、納得がいくまでとことん話し合った末にできた作品だ。

 しかし、なにかが足りない。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 夕飯を食べた後、二人は部屋に戻ってすぐノートにアイデアを書き始める。

 数年ぶりに再会した異性の幼馴染と狭い部屋でいっしょという状況に一志は緊張する。

 だが、しばらく顔を突き合わせて議論を交わすうち、昔のように自然と接することができるようになっていた。

 時には、熱くなりすぎて激論に発展することもあった。


「一志は女心がわかってない! 

 ちょっとおませだけど、幼さもある女の子を書いて!」

「設定がいちいち細かすぎる! 

 大事なのは、リアリティよりおもしろさだろ!」


 その度に「静かにしろ」と両親に怒られ、声量を落として議論を再開する。


「その意見には同意してあげる。

 でもこの作品の女の子は、どこかにいそうな感じがいいの」

「どこにでもいそうな女の子なんてつまらないだろ。

 観客は興味を持ってくれないかも」

「それでもいいの。

 私が読みたい一志の作品はそういうのだから」

「わかった。そっちの意見に従うよ。

 原稿料を払うのは天ヶ沢だからな」

「なら次はストーリーね。

 こっちはファンタジー路線でいきたいな」


 互いにアイデアを出し合い、少しずつ作品の方向性を固めていく。

 意見の食い違いによってまた激論に発展することもあったが、なんとかプロットをまとめるところまできた。


「今夜は寝かせないって言ったのは誰だよ……」


 一志がプロットをまとめる作業に入ると、玲はベッドで静かに夢の中に入っていた。異性の幼馴染が自分のベッドで眠っていることに関しては特になにも思わない。

 眠気に襲われていたせいもあるが、プロット作成に集中しているのが一番の理由だった。


 女の子が消えたぬいぐるみのくまを探しに行く物語。

 女の子には特殊な能力なんてないし、特別な環境で育ったわけでもない。

 ストーリーもいろいろなところへ行くが、道中で会う動物たちと話すくらいで盛り上がりに欠ける。

 良くも悪くも平凡な物語と言えるだろう。

 

 それでも一志は、早くこの作品を書きたい、という衝動にかられて筆を動かしていく。


 地味で平凡な物語なんてつまらないと最初は思っていた。

 けれど議論を重ねてプロットをまとめていくうち、いつしか気持ちが変わっていたのだ。


 一志も昔は地味で平凡な小説を書いていた。

 しかしエンタメ小説の新人賞では一次選考すら突破できないと気づいてからはやめた。以降、とにかく個性的なキャラクターや劇的なストーリーを意識して書くようになる。

 たとえ自分が書きたい作品でなくても、売れる作品を書かなければデビューできないと思ったから。

 そんな彼が久しぶりに心から書きたいと思えた作品。

 創作意欲がどんどん刺激される。


「おーい。プロットできたぞー」

 ベッドで寝息をたてる玲に声をかけたが返事はない。


 一志は気にせず本編を書き始める。

 しかしすぐに手が止まる。

 綿密に打ち合わせしたのに、プロットは目の前にあるのに、自分が書きたいと思っている作品なのに、なぜか思うように物語の世界を築くことができない。


「ああ、違う……。ダメだ、こんなんじゃ……」


 さっきまでタイピングの手が止まることなんてなかったのに……。

 いったいどうして?


 原因はすぐに気づいた。

 プロ作家デビューするために。

 売れそうなものを。

 出版社が喜びそうなものを。

 そういった偏った考え方がいつの間にか一志の目や腕を鈍らせていたのだ。


 朝を迎えるまでに作品は完成したが、納得のいく出来とは決して言えないものだった。

 

 もっと上手く書けた。

 もっとおもしろく書けた。

 それなのに、できなかった。

 今の一志にはこれ以上どうすればいいのか、わからなかったのだ。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「最高におもしろい物語だったよ」 


 玲の言葉が一志を過去から現在に引き戻す。


 それは、朝起きてすぐに原稿を読んだ時の感想と一言一句違わなかった。


「お世辞はいい。本当のことを言ってくれよ。天ヶ沢も物足りないだと思ってるんだろ」

「思ってない。今まで私が一志の作品をお世辞でほめたことが一度でもあった?」


 ないと即答できる。

 そもそも彼女は、そんな優しい性格ではない。


「なんか失礼なこと考えてない?」

「いや、べつに……」

「だいたい、私がおもしろくないと思ったらこうして朗読劇なんてやってないよ」


 作品や自分のことばかり考えすぎるあまり、一志は当然のことを忘れていた。

 0ちゃんねるの朗読劇コーナーは、玲に一任されている。彼女が良いといえばどんなものでも採用されるし、逆に悪いと判断されたら何度でもやり直しが要求されるのだ。


「たしかに一志の言う通り、まだまだ修正するところはあると思う。でも私はおもしろいと思ったし、この作品をたくさんの人に聞いてほしいと思った。だからこそ、採用したんだよ」


 玲は愛おしそうに台本を抱きしめる。

 一志は恥ずかしくなって顔を背ける。


「ねぇ一志。ちょっと外へ出てみてよ」

「なんで?」

「いいから早く」


 玲が追いたてるように背中を押してくるので仕方なく従う。

 放送局のガラス戸に手をかけてゆっくり開くと、目の前には大勢の人たちが集まっていた。商店街の店主らしき男性や買い物袋を抱えた女性、両親といっしょに手をつないでいる子どもたち。その中には、駄菓子屋で見かけた帽子を被った少年と髪の長い少女も混じっていた。


 奥に目をやると、駄菓子屋を抜け出してきたらしい千代子の姿まで見えた。


「おーい! よかったぞー!」


 バンドで鍛えた喉から発せられる低く大きな声は、こんな時でも発揮されている。


 一志は気恥ずかしさを感じながらも小さく手を振って答える。


 休日とはいえ、さびれた田舎の商店街にこんなに人が集まっているとは思わなかった。


 みんな朗読劇を聞くために来たのだとしたら、一志の胸にはこみ上げてくるものがある。


 まさか玲は、このためにわざと放送局のブラインドを下げていたのだろうか。


 0番街に設置されたスピーカーから声が流れる。


『お忙しい中、お集まりくださいまして誠にありがとうございます。

 本日の朗読劇【いなくなったくまさん】は、いかがだったでしょうか。

 今回の脚本は、私の親友であり、尊敬する作家の中野零先生が書いてくださいました。

 0ちゃんねるでは、今後も中野零先生といっしょに朗読劇を放送する予定です。

 どうか楽しみにしていてください。

 それではみなさん、0番街で会いましょう』


 周囲から割れんばかりの拍手や歓声が起こる。


 それらは一志の耳に届き、すさんだ心まで癒してくれるようだった。


「だから、ペンネームで呼ぶのやめろって……」


 口ではそう言いつつも頭は無意識のうちに下がっていた。


 朗読劇を聞いてくれた観客と、この光景を見せてくれた彼女に感謝を込めて。

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