第6話 【いなくなったくまさん】

 

 0番線商店街放送局『0ちゃんねる』に入った一志は、小学生の頃のことを思い出す。

 その昔、校内で選ばれた児童数名が自分の夢や思い出を話す企画があったのだ。

 一志はマイクを握ってスピーカーを通して自分の目標を語ったことを覚えている。緊張のせいで手は汗だらけになり、声も震えていたから街の人に聞こえていたかどうかはわからない。

 それでも、あの時の目標は今も忘れていない。

 必ず実現させると決めている。


「ここってこんなに狭かったっけ」

 放送局に入ってすぐに一志はつぶやいた。


「私もこの前入った時に同じこと思ったよ」

 玲はマイクの位置や音量を調節しながら答える。


「それじゃあ中野零先生。準備はいい?」

「べつに僕はなにもしないから。というかペンネームで呼ぶなよ」

「だったら私のことも名前で呼んでよ。そしたらやめてあげる」


 商店街にはたくさんの人たちが並んでいる。

 興味津々といった様子のみんなの顔を見たら朗読劇を楽しみにしていることが伝わってくるようだ。SNSや商店街のチラシでもっと宣伝しておけばよかった、と今になって考える。


「あれ?」


 なぜか放送局のブラインドが下がっていた。

 これでは朗読している姿が外から見られない。

 一志が手を伸ばそうとした時、玲が止めに入ってくる。


「待って。そのままでいいよ」

「せっかくの生放送なんだから、お客さんは天ヶ沢が朗読する姿を見たいんじゃない?」

「今日は日差しが強いでしょ? 機材に熱がこもっちゃうといけないから」


 一志は玲の指示に黙って従う。

 しかし納得がいったわけではなかった。

 今は四月だから夏ほど日差しが強くないし、商店街には屋根が付いているから問題ないはずだ。

 それでも反論しなかったのは、いよいよこれからという時に不安に襲われたせいだ。

 本当に自分の作品でよかったのだろうか、と。



『みなさんこんにちは! 

 0番線商店街放送局0ちゃんねるです!』


 明るい声が室内に響く。

 いつの間にか玲がスイッチを入れて放送を始めていた。



『本日も0ちゃんねるの朗読劇を放送します。

 0番線商店街でお買い物中のみなさん、ご通行中のみなさん、どうかほんの少しだけ耳を傾けてください。よろしくお願いします!』



 不安など感じている暇なんてなかった。

 すでに本番が始まっているのだから。



『本日の朗読劇はオリジナル脚本【いなくなったくまさん】です。


 はじまりはじまり~。


 あるところに一人の女の子がいました。


 女の子はお父さんとお母さん、ぬいぐるみのくまさんといっしょに暮らしています。


 くまさんは、女の子が5歳の誕生日にお父さんとお母さんからもらったものです。


 とても大切にしていて、家族のように接していました。


 出かけるときも、ご飯を食べるときも、眠るときも、ずっといっしょです。


 ある朝、女の子がことりさんの声で目を覚ますと、くまさんがいないことに気づきました。


 ベッドの下も、机の上も、おもちゃ箱の中も、どこを探しても見つかりません。


 女の子は、窓のそばにいたことりさんに聞いてみます。


「ことりさんことりさん。わたしのくまさんを知らない? 

 どこかへ行ってしまったの」


「こわいこわい」


 ことりさんは、くまさんと聞いて怖くなり、なにも言わなくなってしまいました。


 女の子は首を横に振ってから答えます。


「いいえ。こわくなんてないわ。


 わたしのくまさんは、とってもやさしいのよ」


「やさしいやさしい?」


「くまさんは、ことりさんのようにきれいな声を出せないわ。

 でもね、いつだってわたしの話を聞いてくれるやさしい子よ。

 悲しいときも、うれしいときも、ずっとそばにいてくれるの」


 それを聞いたことりさんは、くちばしを動かしながら伝えます。


「あっちあっち。くまさんあっち」


「ありがとう。ことりさん」


 女の子は、ことりさんといっしょに外へ出ます』



 玲は静かに台本をめくる。

 彼女の表情は真剣そのもので、一志はプロ声優の生の芝居に圧倒される。

 さっきまで抱えていた不安は、いつの間にかなくなっていた。



『女の子と小鳥は森にやってきました。


 緑色の葉っぱがたくさんついた木や背の高い草がたくさん生えています。


 けれど、木の下を探しても、草むらを探しても、くまさんの姿はありません。


「いないいない。くまさんいない」


 小鳥は空を飛びまわりながら歌うように言います。


「くまさんは、どこにいったのかしら」


 歩き疲れた女の子は、草の上にゴロンと寝転がります。


 その時です。


 木の上にしっぽの長いねこさんがいることに気がつきました。


 女の子は、すぐに立ち上がって大きな声で聞いてみます。


「ねこさんねこさん。わたしのくまさんを知らない?

 どこかへ行ってしまったの」


「わるい子わるい子」


 ねこさんは、くまさんは悪いものだと思い、なにも言わなくなりました。


 女の子は首を横に振ってから答えます。


「いいえ。わるい子じゃないわ。

 わたしのくまさんは、とってもいい子なのよ」


「いい子いい子?」


「くまさんは、ねこさんのように長いしっぽはないわ。

 でもね、くまさんには、丸いボタンのひとみが2つあるのよ。

 わたしがクッキーをつまみ食いしようとしたら決して見のがさないの」


 それを聞いたねこさんは、長いしっぽを動かしながら伝えます。


「あっちあっち。くまさんあっち」


「ありがとう。ねこさん」


 女の子と、ことりさんと、ねこさんは、くまさんを探すために森を抜けていきます』



 歌うようにきれいな声で、ゆったりとした優しいリズムで、言葉がつむがれていく。

 まるで玲の声によって物語の登場人物たちに命が吹き込まれていくようだった。



『目の前には花畑が広がっています。


 赤や青、黄色や紫色といった色とりどりの花がいっぱい咲いています。


「わあ!」


 女の子は、うれしそうな声をあげて走り出しました。


「きれいきれい」


「すごいすごい」


 ことりさんとねこさんも、あとを追って花畑へ行きます。


 すると、白い花が飛び出してきました。


 でもそれは花ではなく、うさぎさんでした。


「うさぎさんうさぎさん。わたしのくまさんを知らない? 

 どこかへ行ってしまったの」


「つらいつらい」


 うさぎさんは、くまさんといるのは辛いと思い、なにも言わなくなりました。


 女の子は首を横に振ってから答えます。


「いいえ。つらくなんてないわ。

 わたしは、くまさんといっしょにいられてしあわせだもの」


「しあわせしあわせ?」


「くまさんは、うさぎさんのようにまっ白な毛じゃないわ。

 でもね、くまさんのおなかには、まっ白な綿がたくさんつまってるの。

 おなかに顔をうずめるとしあわせな気持ちになるのよ」


 それを聞いたうさぎさんは、長い耳を動かしながら伝えます。


「あっちあっち。くまさんあっち」


「ありがとう。うさぎさん」


 女の子とことりさん、ねこさんとうさぎさんは並んで歩きだします』



 玲は一息ついてペットボトルの水を一口飲んだ。

 それからすぐ台本に集中する。

 今日までに何回も練習しているとはいえ、ここまで一字一句間違えずに朗読を続けている。見事としか言いようがないほどの完璧な仕事ぶり。

 子どもの頃から知っている幼馴染の新たな一面を目の当たりにして一志は息を呑む。



『女の子とことりさん、ねこさんとうさぎさんが花畑を進んで行きます。


 いろいろな花が咲いている中に、とっても大きくて茶色い花が咲いています。


 けれどそれは、花ではないようです。


 さてさて、いったいなんでしょうか。


「あっ! みんな、あれを見て!」


 女の子がなにかに気がついて声をあげました。


「くまさんくまさん」


「くまさんくまさん」


「くまさんくまさん」


 ことりさんも、ねこさんも、うさぎさんも、気づいたようです。


 そう。


 大きくて茶色い体をしたのは、ぬいぐるみのくまさんだったのです。


 みんなは、くまさんの元へ急いで向かいます。


「くまさん! わたしのくまさん! みいつけた!」


 女の子は、くまさんのふわふわもこもこのおなかに飛び込みました。


 けれど、くまさんは、女の子に背中を向けてしまいます。


「くまさん。どうしていなくなったの? どうしてこんなところにいるの?」


 女の子は、背中を向けたままのくまさんに聞きます。


 ことりさんも、ねこさんも、うさぎさんも、心配そうにしています。


「こわいこわい?」


 くまさんは聞きます。


「いいえ。怖くなんかないわ。くまさんは、とてもやさしい子よ」


「やさしいやさしい」


 女の子も、みんなも、答えます。


「わるいこわるいこ?」


 くまさんは聞きます。


「いいえ。わるい子じゃないわ。くまさんは、とってもいい子よ」


「いいこいいこ」


 女の子も、みんなも、答えます。


「つらいつらい?」


 くまさんは聞きます。


「いいえ。つらくなんてないわ。くまさんといられて私はしあわせよ」


「しあわせしあわせ」


 女の子も、みんなも、答えます。


「いっしょいっしょ?」


 くまさんは聞きます。


「ええ。くまさん、これからもずっといっしょにいましょう」


 女の子は答えます。


「いっしょいっしょ?」


 ことりさんと、ねこさんと、うさぎさんが聞きます。


「もちろん。ことりさんも、ねこさんも、うさぎさんも、ずーっといっしょよ」


 女の子は、両手を広げてみんなを抱きしめました。


「さあ帰りましょう。

 お父さんとお母さんがおうちで待ってるわ」


 女の子が帰ろうとした時、そこはもう花畑ではなくなっていました。


 いつの間にかベッドの上に戻っていました。


 どうやらずっと夢を見ていたようです。


 大切なぬいぐるみのくまさんは、ベッドから落ちて床でねむっていました。


 女の子は、ちょっとホッとしたような、ちょっとガッカリしたような気持ちになりました。


 その時、布団の中になにかいることに気がつきました。


 女の子がゆっくり、そーっと布団をめくってみると、そこにいたのは……。


「まあ! あなたたちだったのね!」


 布団の中には、ぬいぐるみのことりさんと、ねこさんと、うさぎさんがいました。


「ごめんなさい。

 くまさんが来てからあなたたちはずっとおもちゃ箱で眠っていたから、きっとさびしかったのね。だから、わたしにあんな夢を見せたんじゃないかしら?」


 どこからか声が聞こえてきました。


「さびしいさびしい」


 女の子は、きょろきょろ周りを見ます。


 けれど、部屋の中にはだれもいません。


「いいえ。さびしくなんかないわ。

 これからはずっといっしょって約束したでしょ。

 ことりさんも、ねこさんも、うさぎさんも、くまさんも、ずっといっしょにいましょう。ね?」


「いっしょいっしょ。ずっといっしょ」


 今度は、うれしそうな声が聞こえてきました。


「さあ、お父さんとお母さんに朝のあいさつをしましょう。

 夢で見た話をしなくちゃ」


 女の子は、みんなを抱きしめて部屋を出ていきます。


 おしまい』



 物語を締めくくる言葉が告げられるのといっしょに、電源のスイッチは静かに切られた。

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