Playball.5 戦力差を覆す戦略

 だが、いざ「野球」をやるとは言っても、当時のボールは現在で言うところの「硬式」野球のボールと同じものを使っており、「硬い」。当たれば女子ばかりか男子でも怪我をしかねない。


 当然、彼女たちは家族には、「野球をやっている」ことは秘密にするのだった。


 さらに、ハリスは彼女たちが「男子と対抗できる」ように、秘策を授けた。


「いいですか? 力がある男子と、女子であるあなたたちがまともにぶつかっても、フィジカル面では絶対に勝てません」

 ある時、野球に参加するという、件の9人を集めて、説明し始めた。


 校舎内の一角にある小さな教室に、緑色の黒板を用意し、そこにチョークで野球に使うフィールド、つまり4つのベースとグラウンドの図を描く。


「では、どうすればよろしいのでしょうか?」

 堀節子が、みんなを代表するように問いかける。


 破顔したハリスが、

「小技を使って、足でかき回すのです」

 と言って、手に持っていた指揮棒で黒板を指した。


「いいですか? ベースボールというゲームは、結局、点を取った方が勝ちなのです。いくらピッチャーがナイスピッチをしても、味方が点を取らなければ、勝てません」

 そのまま、指揮棒を持ったまま、続ける。


「ベースボールというのは、この4つのベースを奪い取るゲームだと思って下さい。そうすれば、あなたたち日本人がやるすごろくのように、どんどん先に進めるようになります」

 とは言っていたが、もちろん、彼女たちにそんな実感も、勝算も湧かないのだった。そこで、ハリスが目をつけたのは、彼女だった。


「特に、このチームでは、八重。あなたの足は大きな武器になります」

「私の足がですか?」

 安藤八重が、急に当てられて、戸惑ったような表情を浮かべていた。


「はい。スチール、つまり相手ピッチャーがピッチングモーションに入った瞬間を狙って、次のベースを奪うのです。それには、まずベースに出なければなりませんが」

「がんばります」


 だが、もちろん全員が理解できたわけではなかった。


「しかし、先生」

 手を上げたのは、相撲取りのように大きい、お梅だった。


「具体的にはどうすれば、点を取れるのでしょうか?」


 ハリスは彼女を見て、笑顔で答えた。

「あなたの場合は、簡単です。ホームランを狙うのです」


「ホームランですか?」

「そうです。具体的には、外のボールが来たら、思いきり振って下さい。あなたの力なら、それだけで外野に運べます」


「そうでしょうか?」

「心配しなくても大丈夫。ただし、相手が変化球を投げてくる可能性を考慮して、出来れば早めのカウントで狙った方がいいですね」


「先生。では、私は?」

 お嬢様の節子が手を上げるが、ハリスはお梅とは違った対応を、彼女にも示す。

「あなたや、他の子たちにも共通しますが、大振りせずに、ボールをよく見て、いい球が来た時だけ、振って下さい。ボール球は見逃すように」

 女子生徒たちが、頷く。


 そんな中、

「先生。私はどうすればよろしいでしょうか?」

 今まで黙っていた中、おもむろにおずおずと手を上げたのは、どこか薄幸そうな少女、投手で、神主の娘、中川雪だった。


「あなたは、ピッチャーですね。でしたら、私と妻のフローラが効率のいいフォームを教えます」

 そう言って、ハリスはすぐに妻のフローラを呼んだ。


 夫婦揃って、彼らは、チーム唯一のピッチャーであり、すべてを彼女に託すしかない、チームの「柱」をじっくりと鍛えることにしたのだ。


 まずは、様々な投手の投げ方を新聞で見たり、友人から聞いていたハリスが、中川雪をマウンドに立たせて、投げさせる。


 だが、もちろん最初から上手くはいかない。ストライクが入らない上に、コントロールもいまいちだった。


 そこで、彼が考えたのが、「投げ方」、ピッチングフォームの改善だった。

 元々、右横から投げる投げ方をしていた彼女の手を握り、

「雪。あなたは力がないので、下手投げの方がいいですね」

 ハリスがそう言って、フローラに実演させて、それを学ばせたのだ。


 実は、妻のフローラも野球好きだったからだ。

「でも、これではコントロールが上手くいかず、ストライクが入りません」

 下投げの制球は、難しいと言われているから、それも頷ける話だったが、ハリスはその効率性を具体的に解いた。


「アンダースローは、肩や肘への負担が少ないのです。それと、身体を前傾姿勢にして、同時にテイクバックをするので、ボールの出所がバッターから見づらいというのが有利なポイントになります」

「でも……」

 なおも渋っている彼女に、ハリスは野球母国人ならではの、「知識」の一端を授けるのだった。


「では、最大のメリットを教えましょう。アンダースローは、グラウンドの地面に近い位置からボールをリリースするので、バッターから見ると、ボールが浮き上がってくるように見えて、非常に打ちにくいのです。それに、ベースボールのピッチャーの大半が男です。男の場合、力が入りやすいオーバースローが多いので、アンダースローの打ち方は慣れていないのです」

 現代でも、プロのアンダースローの投手は少ないが、この当時は、さらに少ない希少なものだった。


 それを聞いて、中川雪は、ようやく頷くのだった。


 さらに、彼はバッテリーについて、具体的な「策」を授ける。


「キャッチャー」

 キャッチャーの子を呼んで、マウンドに来させると、彼女に、

「ストライクゾーンを9分割したおもちゃを作るように」

 と命じた。


 数日後、出来たのは、木の枠組みと、それを結ぶ糸で簡易的に作られた、疑似ストライクゾーンだった。


 それを校舎の壁に立てかけて設置したハリス。


 そこから15メートル以上離れさせて、あとは中川雪に練習させる。

「出来れば、この9分割を自在に投げられるようになるのが、理想です」

「先生。いくらなんでも無理です」

 当然、中川雪は、不満の声を上げ、意気消沈していたが、ハリスは「人を導く」ことに長けている、キリスト教の神父でもある。


 キャッチャーの子も呼び、

「いいですか、雪。先程言ったように、アンダースローはボールの出どころが見づらいのです。これは大きな武器になります。それと、ピッチャーとキャッチャーは、夫婦と呼ばれるくらい、親密な関係の方がいいのです。キャッチャーが相手バッターの苦手なコースをピッチャーに指示できるのが理想です。ですから、これからあなたたち二人は、夫婦のように、同じ部屋で寝起きして下さい」


 いきなりそう命じており、雪も、キャッチャーも戸惑って、言葉を失っていた。


 後に、「投手と捕手を夫婦に例える」のが、野球では当たり前になってくるのだが、この頃の日本野球に、まだその考えはなかった。


 本場、アメリカ仕込みの野球をハリスは、「男だから、女だから」という、日本的な考えを一切捨てて、彼女たちに伝授していた。


 男尊女卑、女は男より一歩下がって支える「大和撫子」的な思想は、アメリカ人には関係ないし、彼は純粋に「勝つ」ための戦略を練って、彼女たちにみっちりと教え込んだ。


 やがて、秋が来て、北海道に長い冬が訪れ、一面の銀世界に包まれても、彼女たちの特訓が続いた。


 ある時は、雪の中で野球をやり、ある時は暴風雪のため、室内で勉強しながら、野球の戦略を練った。


 女だから、野球をはじめ、スポーツがまともに出来ない。

 そんな考えはそこには一切なかった。


 そして、月日は流れる。

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