8-5 回る世界に酔う

「… … … …もういいかな?」


 台所の隅っこから春菜が四つん這いで出てくる。藤崎真佑の「人がいなくなったら出ておいで」という言葉に従って、無人になるまで『音無しの術』を使って隠れていたのである。真佑がいる間は『隠形術』も使って姿を消していた。壁と真佑の間に挟まれたまま、本科一年の男子たちが出ていくまでじっとしているのはなかなか大変で、一度足が辛くなって壁にぶつかり、揺れでざるが落っこちしまった。思わず声を上げそうになった口元を、真佑に手で覆われた春菜は、身体の中でも繊細な部位に触れられている緊張でクラクラしそうになった。

 春菜がなぜ男子寮の台所に隠れていたのか。1週間程前、春菜は一部の男子生徒たちが希少な霊薬や退治したときに得た異形の特殊部位を不正に所持しているという話の真偽を確かめてくれないか、と学長先生直々に頼まれていた。そのため機会をうかがいつつ男子寮に忍び込んだ、というわけである。

 なおネタバレをすると、原作ゲームでは男子生徒たちは遊ぶ金欲しさにこれらの品々を高値で売っていた。ヒロインが男子寮に忍び込んだとき真佑と隠れるシーンはスチルにもなっていて、真佑ルートを進めたいプレイヤーはこのイベントが攻略において得点ポイントになっている。校外の隠れ家へ調べにきたヒロインと藍蘭、真佑、晶燿、柳静の内、好感度が一定レベルに達しているキャラが犯人たちを捕縛するのに協力してくれる。

 現実にこの仕組みを当てはめると、協力してくれるのは藍蘭だけになりそうである。柳静とは出会ってないし、晶燿とは同級生だが話したこともない。真佑は春菜の中で、藍蘭との予定がないときに会う人、という位置についている。今日会ったのだって偶然で、しっかり一緒に過ごしたのは7月に海の家で小遣アルバイトい稼ぎをしたとき以来、あと始業式の日に挨拶だけした。一学期と比べてちょっと疎遠気味だったかしら、と春菜は思う。

 それはさておき。一応春菜なりに考えて、専科一年生がごっそり実習で不在の日を選んで行動したつもりだった。ところが、男子寮に足を踏み入れて早々真佑に見つかり、事情を説明している内に里見たちがやってきてしまったのである。

 男性恐怖症気味の春菜にとってこの状況はかなり強い緊張を強いられるものであった。もし見つかったら、そして覗き魔の噂が立ったらどうしよう。まごついている間に真佑が隠してくれなかったら、あえなく見つかって無断侵入で先生に突き出されていたかもしれない。

 小さな頃から母に、世の中の決まりに反さないこと、素直で貞淑であること、女の子が幸せになるには良い旦那様と一緒になること、そう教えられてきた春菜はびっくりするくらい頑なな、男はこう、女はこうという先入観を持っていた。

 男は可愛い女の子を見たらでれっと鼻の下を伸ばすもの、いくつになっても幼稚さが抜けなくて、ガサツで繊細な感情の機微は理解しない。代わりに肉体的にたくましくて頭もいい。

 一方女はか弱く、男に比べて難しいことを考えたり広い視野で物事を見たりすることには向いていない。場の空気を和ませる愛嬌や素直さが大事。

 女性の社会進出が始まったばかりのこの時代にはよくある考え方なのだろう。ただ、春菜の場合若さの割に、世の中には男だけど女より感受性豊かだったり、女だけど男より攻撃的だったり、がつきものなのだよ、という事情を受け入れない頑固さがある。

 そういう例外側にいる人たちは間違ってる、と言う人は、はみ出し者がこの世に存在することは認めている。

 それよりさらに強く否定する場合、理解に収まらない者の存在自体を受け入れていない。そして、見ない聞こえないようにする。知覚する範囲に入らなければ、この世にいないのと同じこと。

 例外。例えば里見と瑛梨のように。

 そうだ、水嶋里見のことを学長先生に言わなきゃ。春菜は学長先生に言われたことをハッと思い出す。

 何かあやしいことに気がついたら教えてほしいって言われたんだもの。さっきの『魂の結びつき』とか土地神を従えようとしている話とか、とってもあやしい! あっ、そういえば各務原蒼羽子と一緒にいることが増えたのも関係が…。『落とす』ってなんだか、い、いかがわしい響きのことも言ってたし!

 春菜の脳内では、里見と蒼羽子が密着する図が浮かべられていた。ちなみに服は一切乱れてないし、そこから先どう展開していくのかは経験値が足りなくて思い描けてないが。そんなお子様な想像だけで頬を赤らめている。

 手を握りあっているだけでいかがわしいという春菜は、自分が藍蘭とイチャついている姿をいっぺん省みたらいい。

 春菜の思い込みはまだ暴走を続ける。

 若松瑛梨さんは…、『魂の結びつき』というやつのせいで水嶋里見から悪影響を受けて、あんなに凶暴な振る舞いをしているんじゃないのかしら? ひとりぼっちの異人さんだから好き勝手してもいいって思ってるんだ!周りの人たちを自分の都合のいいように操って、だから水嶋里見は不自然にいい評判ばかりなんだわ!

 この瞬間、元から持っている里見への悪印象も相まって、春菜の中で「里見=蒼羽子の仲間=悪」という図式が固まってしまった。


 ※※※※


 櫻子は焦っていた。イラつきのままに、自室をウロウロ歩き回る。

 男子寮に忍び込まなきゃいけない、と聞いたときにはどういうことかと驚いたが、どうしてもとお願いされちゃしょうがなかった。今は春菜のアリバイづくりのため、寮の部屋にいる。もし誰かに聞かれたら、「その時間は2人で寮の部屋にいて、課題をしていた」と答えるつもりでいる。

 この部屋にはもう1人同室者がいるが、あまり問題はない。ネムリネコだかネムリイヌだとか言う異形の呪いのせいで寝てばっかりなのだ。だからしょっちゅう補習を受けるために居残りをしている。補習常連なのに櫻子と成績がそう変わらない点が納得いかないので、櫻子はこの同室者とは必要最低限しか口を利かないことにしている。

 別にいいし、私には春菜がいるから。私のことを「一番の親友」と言ってくれる、守ってあげなきゃと自然に庇護欲が生まれてくる、か弱くて可愛い春菜。この子に頼りにされたらなんでもしてあげようって気持ちになる。例えば、内緒で野良猫を育てたり。

 部室で飼っていた子猫のことを思い出すと、櫻子は増々落ち着かない気分になる。


「あの事件は事故だったと発表されたじゃない。鍵の管理が甘かったって、重栖えすみ部長が注意されて終わったのよ」


 小声で言い聞かせるように呟く。

 櫻子だって6月の異形侵入事件のことなど、もう自分なりに反省して折り合いをつけたことだったのに。それが再び頭を悩ませてくるなんて。


「なんで、私と春菜が隠れて猫を飼ってたって噂が広まってるの… …っ!」


 嘘の噂ならともかく、真実の噂。

 話し中の先輩たちの近くを通ったとき、偶然聞いてしまったのだ。


『ねえ知ってる? 一学期に歴探部に異形が入った事件のこと。続きがあるんだって』

『各務原の妹が仕組んだっていう?』

『違う違う、その情報もう遅いから。実は…、本当は別の生徒が原因だったんだって。同じ一年の上野と山本っていう子』

『えっ! それじゃあその2人、各務原蒼羽子に罪を擦り付けたってことじゃ… …』


 先輩2人が自分たちの失態を話しているのを聞いてしまった、櫻子の気持ちを想像できるだろうか。恥ずかしさ、罪悪感、背筋が寒くなる。

 どこから漏れたのか。櫻子は誰にも言っていない。証拠もないはず。あったらもっと早くバレていなきゃおかしい。春菜が喋った可能性は? いや、何度も口止めしたからそれはない。だとしたら… …。


「ろ組の水嶋が、何かに気づいた、とか?」


 口に出すと、その可能性が高い気がしてきた。おそらく、同じ歴史探究部だから櫻子たちが見落としていた「何か」に気がつき、水嶋里見は異形侵入事件の真相をつかんだんだ!

 櫻子は己の閃きが正解だと強く思い込んでしまっていた。むしろ、何を恨めばいいのか、明確な目標を欲したがために無理矢理当てはめたと言うべきか。

 春菜と櫻子。思い込みが強いという点が似た者同士であった。


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