8-4 世界の隅っこでワン・ツー

「俺が瑛梨の家に出入り自由になったのって、最初は乳母役の母さんにくっついてだったからで、次には瑛梨の遊び相手に選ばれた姉たちにくっついてだったし。池に落ちる事故までは、こういう関係になるとは思ってなかったなぁ」


 昔、瑛梨も里見も本当に幼かったとき、若松の人たちは心配したのだ。瑛梨がジャジャ馬娘のまま成長し、いずれ猿山のボス猿タイプになってしまうんじゃないかと。馬から猿へ。

 原因を説明していこう。まず、瑛梨には年の離れた父親違いの兄がいる。瑛梨の母が産んだ、若松家の若旦那と結婚する何年か前に死別した前夫との間にできた子である。名前はマシューさん、瑛梨とは12歳差。初対面のとき、瑛梨は3歳だった。そのときの絵面が、雪の妖精のような幼子と筋肉ムキムキもみあげモサモサドドンッと張り出た鼻筋の老け顔系少年という、2、3秒後には怖くなった女の子が泣くぞ、と誰もが思う光景だった。

 しかし、瑛梨は幼いときから只者じゃなかった。予想とは逆に瑛梨はマシューにとてもよく懐いた。初めて見る母親の血縁者に、言葉にできない親近感が湧いたのかもしれない。瑛梨は異父兄のことが好きになり、色々真似するようになった。なってしまった。

 それまでの活発な女の子、で済む範囲を超えたやんちゃっぷりを見せるようになった。2階の窓から木の枝に飛び乗ったり、階段で4段飛ばしジャンプをしたり、蝉の抜け殻を虫籠一杯に集めてきたり、拾ってきた木の棒をいつも持ち歩いたり。

 瑛梨の両親はいつか、男の子になりたい! と言い出すのも時間の問題かもしれないと本気で思うようになった。特に奥様は、自分の子の影響で...、と重く気に病んだ。自分の影響で…、とマシューも気に病んだ。目に余る行動を叱っても、こいつ絶対納得してないだろ、という様子で瑛梨は不貞腐れるのだ。

 悩みに悩んだ瑛梨の母にどうしたものか、と相談された里見の母は子どもたちを派遣してみることにした。瑛梨の見ている前で三兄弟が礼儀正しい行動をすれば褒めたり、三兄弟で危なくない遊びをしている中に瑛梨を誘ったり。徐々に徐々にだが、三兄弟(主に雨月と英)をお手本にした瑛梨の暴れ馬っぷりは収まっていった。

 その後も剣道を習いたい、乗馬ができるようになりたいなどなど、普通の令嬢には必要ない身体能力方面のスキルを身につけていったりはしたが、周囲と本人のバランス調整の結果、王子様系美少女ができあがった。

 晶燿と出会ったのは、仕切りたがりなところとか暴れ馬の片鱗が残っていたけど、他人への気づかいとか人の言うことに従うこととかを覚えたからまあいいか、という妥協と諦めの境地だった頃だ。

 なお、幼児期の記憶は前世の記憶とはまた別の場所に仕舞われいるようで、ぼんやりとしか覚えてない。どうもその頃の里見は若松家邸に連れて来られても、つまんなそうに大人しくしていたらしい。


 ※※※※


「その髪は? なぁんで伸ばしとるんじゃ?」

「ん? これ? これはねえ…。とある土地神様用の新しい憑代の材料。これくらいの女の子の人形をつくるんだ。髪を差し出す代わりに代価もいただく契約になってる」


 今度は岩槻の質問に、これくらい、と言いつつ里見は手を床と水平にかざす。だいたい120cm程か。

 聞いていた面々はギョッと目を剥く。バタッガサッ、と流し台の方で音がした。見ると笊が落ちていた。息ピッタリじゃないか、新喜劇か。

 皆が驚愕するのも、そりゃあそうだ。女の髪には霊力が宿るという現象にあやかって伸ばしているのかと思ったら、まさか土地神絡みとは。土地神、土着信仰などが持っている異質性については授業でしっかり習う。特定の地域で活動している異形が長い年月を経て畏怖の対象になったという場合もあるので。他にも、その土地と民を司る土地神等々のおかげで異形から守られていたり。


「見てて暑苦しいから切れって言ってゴメン! どこにおられるお方か存じ上げませんが、その土地神様にもゴメンなさい!」

「霜が降りるまでは寝てるから、聞こえてないと思うよ」


 それに大らかな性格だからそれくらいじゃ怒らないと思う、と付け足せば田島はほっと胸を撫で下ろす。


「次々。い組の各務原云う子とは、どんな話しとるん?」

「ああ、あのー…『石楠花シャクナゲの毒』ってヤバめのあだ名着いた子。石楠花って『危険』って花言葉らしいじゃん」

「そう? 石楠花って元々ヒマラヤ…印度インドの近くにある地球上で最も高い山に生える植物で、採りに行くのに危険を伴うことから『危険』『警戒』って花言葉を持つようになったんだよ。そうだ、その生息環境からなかなか目にすることができないことと、危険を犯してまで取りに行きたいくらい美しいことから手の届かない存在を表す『高嶺の花』の由来になったとも言われてるんだっけ。

 まあ、毒もあるんだけどね」

「あるんじゃねえか!」


 葉にも花にも、なんなら蜜にも有毒成分がある。蜂蜜を食べて中毒になった例を前世のテレビ番組で見たことがあった。確かマッドハニー中毒という名前だった。


「どんな話をするかだっけ? そうだなぁ、多いのは文学関連の話題かな。彼女実は『玉兎』の愛読者だったから。去年のに載ってた春秋川しゅんじいがわ先生と塩海しおみ先生の対談コーナーについて盛り上がれるとはおもわなかった。『怪盗セザール』シリーズも読んだって聞いて、創作娯楽小説もいけるとは、予想外の喜び。

 今は『マーニ』の文房具を教えて、文房具沼に落とそうとしてるところ」


 坂本と岩槻が、沼ってなんのこと?と井伊田に聞いている。ごく最近生まれた若者言葉だし、西日本まではこの比喩表現は広まっていなかったか。

 蒼羽子の特技については、前に瑛梨が蒼羽子から作品を借りて里見にも見せてくれたのだ。小筆で書かれた「いろは」のかな文字だったのだが、よどみなく運ばれる筆先がありありと想像できる流麗で美しい手跡だった。

 そこで里見は思いついて、文の送り合いが盛んだった平安時代を知っていそうな英の女式神にも見てもらったところ、もっとないのかしらと注文が入ったのだ。

 現在、蒼羽子は『万葉集』の中からリクエストのあった三十首選んで、必死に書道作品を仕上げている最中であった。来週の水曜日までに終わらせるから漢字かな交じり文で許して万葉仮名はまだ習ってないの、とガシッと両腕で掴んで懇願してきた蒼羽子の様子は、若松漸輔に無茶振りされたときの若松家の従業員に似ていた。

 里見励ますつもりで報酬の前払いに、墨と猫の形の水差し、それと『マーニ』という文房具店のカタログを渡しておいた。

 この文房具店も若松家が経営している内の一つで、学生向けの安価な品からちょっと奮発したら手が届きそうな品が置いてある。新商品が出る度にバリエーション豊富で話題を呼ぶお店だ。

 前払いを受け取った蒼羽子はピシャッと雷に打たれたみたいに細かく震え、「くっ! こんな手で私を懐柔しようとしてもっ、易々と、心を開くと思ったら… …。くうぅぅー、かぁわいぃ…」と、両手で三毛猫の水差しを捧げ持ちながらでれでれの顔になっていた。おまけに、里見がカタログをめくって黒猫(しっぽにリボンつき)のシルエットが入った二つ折り多機能バインダーを指差すと、「そ、えっ!? 革製で、ポケット部分もペンホルダーもあって、このお値段。お小遣いで無理せず買えてしまうじゃないの…」と天を仰いだ。

 蒼羽子の面白い姿を思い出した里見は、ふふっと口角がちょっと持ち上がっている。里見の物思いにふける癖が出ていた。

 そこからは、好きな食べ物は? とか、好きな芸能人は? とか細かいことを聞かれて答えていった。

 姉たちとおじさんの所属を話したときは驚かれた。「まだそんな隠し玉持っとったんかい!」「あかん、見た目に騙されたら中身真っ黒やないか」と。そういう意味で目立ちたくないから秘密にしてくれるよう頼んだ。

 ちょい胡桃の様子見てくるわ、と言って岩槻が席を立つ。


「それじゃあ… …、これ本当に聞づらいんだけど、若松瑛梨さんとお付き合いしたりは…?」

「… …?? してないよ?」

「… …そうか、親には内緒で〜、とかではなく?」

「… …?? ちがうよ?」

「あっ、各務原蒼羽子のことはどう思っとるん?」

「各務原さん?」

「そうや、好きか嫌いか、どっちなん?」

「好きだよ? 付き合いやすい人だし、趣味の方向性が似てるし?」


 里見以外全員が晶燿の方を向くと、晶燿はゆっくりはっきりと首肯した。


「よし。一旦中断、集合」


 男どもは里見にそこで待て、と言うと部屋の隅に移動して円陣を組む。


「嘘じゃいないっぽい。ガチの男女の友情ってやつだ」

「そんなもん都市伝説やって思てた」

「見てみろよ。アノ曇りなき眼を」

「あっはっはっ! 里見に限っては都市伝説じゃないんだよなぁ!」


 務めて無視しつつ、岩槻が水を切って持ってきた胡桃に再挑戦する。あ、今度はいけそうな気がする。

 パキ、パキ、パキ、と岩槻と2人で割っていく。半分くらい割ったら里見は錐でほじくる係に回る。竹串でできるかと思ったら、折れた。


「この胡桃、どうするんじゃ?」

「塩キャラメルか…、田作り?」

「田作りがええ」


 塩キャラメル味は好き嫌いが別れる。甘いと思っていたのに後からしょっぱいのに気づく、というのが嫌いな側の意見として聞いたことがある。里見は好きなのだが、まだ早かったか。


「岩槻は男女の友情についてどう思う?」

「あるところには、あるんじゃろう。わしが帝都の出るまで“塩きゃらめる味”やこ知らんかったようにな。甘ぇんか、しょっぺぇか、どっちかにせえっちゅうはなしじゃ」


 ゲンナリした岩槻の言葉に、くすっと笑ってしまった里見だった。

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