5-2 エマージェンシー

 部室棟の人気のない廊下を一目散に駆け抜け非常用の釣鐘を探す。

 2人の背後では顧問が部室に突入していた。部室内からは威嚇する獣の甲高い鳴き声が響く。


「里見! 私は他の先生に言いに行く!」

「わかった!」


 渡り廊下で二手に別れ、瑛梨は教室や職員室がある本科校舎へ、里見は部室棟の階段へ向かう。

 非常用の釣鐘とは、緊急時に鳴らして構内全体へ問題発生を知らせる霊術を組み込んだ装置である。非常ベルを想像してもらうとわかりやすいと思う。普通の釣鐘のように点いて鳴らせばいい。ただし、こちらの釣鐘は音だけじゃなく手のひらサイズの狐型の式が出てくる。鳴らした者はこの式に電報のような短い文を託すことができる。狐型の式は各所へ何が起きたのかアナウンスするもの、学校の責任者へ伝令に走るものなど役割が別れている。

 カーン、カーン、カーン。


《緊急事態発生を認識。緊急事態発生を認識。伝達内容を狐に向かって話しかけてください。伝達内容を狐に向かって話しかけてください》


 釣鐘を鳴らした里見の前に、ポフッと白煙と一緒に狐型の式が1匹飛び出してきた。そのまま中にふわっと浮いたまま一本調子な喋り方で決められた文言を繰り返す。ゆるキャラのような、狐をマスコットの様にデフォルメした姿の式だった。


「部室棟1階、歴史探究部の部室に侵入者。瀬戸先生が1人で対処中。応援求む。… …以上、伝えに行って」


 里見がさっと、頭の中でまとめた文章を狐型の式に伝えると、一拍間を置いて式が分裂した。最初の1匹と同じ姿の式たちはメッセージを広めるべく宙を飛んでゆく。


「… … … …これでよかったの? え、どうしよう? 教室に戻るか、部室に戻るか…。確かこういう場合は、昇降口と通用門の間の広場へ集まる、だった」


 心臓がバクバクしている。突然の異形との遭遇に驚き、慌てる自身をなんとか落ち着かせてみる。服の上からぎゅっと勾玉を握りしめる。

 里見は昇降口に向かうため来た道を引き返す。瑛梨と別れた渡り廊下まできたとき、

 セーラー服姿の背中が走って奥へ行くのが見えた。あの方向は歴史探究部の部室がある。


「なにしてんの…っ!」


 そして見間違いでなければ、あの後ろ姿は春菜だ。

 もしや何かのイベントか? この時期の『花燈』のストーリーについて記憶をひっくり返し、当てはまりそうなものが一つだけあった。

 ある日のホームルームで担任から異形が構内に侵入し退治された、という連絡がある。それを聞いてヒロインは、『図書館で異形の生態について調べる』か『運動場で素振りに勤しむ』、『現場を見に行く』のどれかの選択肢を選ぶのだ。1つ目では藤崎真佑と、3つ目では各務原藍蘭と出会ってストーリーが進む。2つ目を選ぶと攻略は進まず、ヒロインの物理系の能力値が上がる。

 3つ目『現場を見に行く』を選んだ場合に近いが、タイミングがおかしい。まだ部室で切った張ったが繰り広げられているかもしれないのに向かうなんて。引き止めるべく里見も春菜の後を追う。


「コラ! 待ちな!」

「きゃあっ! は、離して。えいっ!」


 もう少し行ったら部室が見える、というところで春菜を捕まえた。里見が掴んだ細腕は指が一周できそうなくらい華奢で、ますます修羅場に立ち入らせるわけにはいかない、と思った。ろくに自分の身も守れないのに出しゃばってはいけない。

 里見が安全第一の精神で春菜を下げようとすると、春菜が里見の足の甲を思いっきり踏んだ。予想外の攻撃に手を離す。足の甲を押さえてうずくまる里見を見向きもせず春菜は走っていった。


「!? 上野? 何でここに。昇降口前に集合するように言われているだろう」

「すみません! でも、…うッ。血まみれ… …」


 室内を見た春菜がヨロヨロと後ずさり、へたり込む。近くに寄るにつれ、里見の鼻にも血臭が届いた。背後から足音がしたことで、里見はあと2、3mといった辺りで近寄るのをやめ、援護に駆けつけた先生方の邪魔にならないよう壁際に寄る。その中に部長の重栖えすみもおり、里見に気づくと無事を確かめにきた。


「式が部室に侵入者っつってたから、お前らに何かあったんじゃねえかと思って焦ったわ! 大丈夫なんだな?!」


 最上級生だが、部員の中で一番低身長の重栖部長が見上げてくる。目力があり、言動全体に勢いがある彼は、副部長の宮本がやめろと言うのを振り切って歴史探究部の部室まで飛んできた。ひとえに自分が出した指示のせいで最下級生3人が危険な目にあったのではないか、と心配したためである。


「ん? なんで上野はあそこに? ホラッ、こっち来い。運ぶぞ」


 座り込んだまま動かない、いや、スプラッタな光景を見て気分が悪くなったせいで動けなくなった上野を、重栖部長はひょいっと膝の下に手を入れて持ち上げて移動させる。「首に手を回せ。そんでこっちに重心寄せろ」など言いながら、軽々と春菜を横抱きにした。


「コイツら保健室に連れて行きます」

「わかった。話を聞くから、重栖は一度ここへ戻ってこい」


 里見は一応、どこも怪我はありません、と主張しておいたものの一緒に行くことになった。

 保健室に着いたところ、養護教諭はいなかったが、春菜はベッドでしばらく横になって休むことにした。春菜を置いて里見らは保健室を後にする。

 外を見ると、空が暗くなり雨が降り始めていた。いつの間に、という驚きと、異形が侵入した痕跡が流れてしまうかもしれない、という考えが浮かぶ。


「お前って見かけによらず、肝が据わってるんだな」

「ドキドキのピークは、非常用の釣鐘を鳴らしたときでしたから。俺は部室内で何が起きていたのか、直に見てはいないので上野さんみたいに気分悪くなったりせずにすんだだけです」


 そうか、と相槌を打つ重栖部長は、ふうーっと感嘆の息を吐いた。


「やっぱ上野の『花糸撫子ハナイトナデシコの乙女』って噂は本当っぽいなー。術師やるにはちょっと心配になる繊細さだけどな」

「なんですか? そのあだ名?」


 花糸撫子とは霞草の別名である。霞草は小さな小さな白い花を咲かせる可憐な花だ。

 はて、『花燈』のヒロインに付けられたあだ名の中にそんなのがあっただろうか?

 重栖部長は後輩に術師学校の伝統のようになている『あだ名』について説明する。まず、優秀で目立つ生徒に何らかのあだ名が付けられる。するとその学年は、後に続くあだ名が最初の一人にちなんだものになるという。里見の学年はおそらく春菜の『花糸撫子』から、花の名前が付けられるのではないか。例えば、重栖部長の学年にもあだ名を持っている生徒が数人いて、共通しているのは「色」が入っている点だという。

 里見は、へぇ、初耳でした、今度姉にも聞いてみますね、と返事をしながらまたゲームのことを考えていた。

 また見たことも聞いたこともない重要そうな設定が出てきたんですけど!?

 瑛梨に相談したい、手引きノートに書き加えておかないと、第2回対策会議をしたい、瑛梨に相談したい、とぐるぐる考え始めた里見。里見の不安を感知した服の下に隠れた勾玉の色が、かすかに濃くなった。


※※※※


「ぐずっ、ひくっ… …」

「何メソメソしてるの。辛気臭くてならないよ」

「ふじさき、先輩。いらっしゃったんですか。うるさくしてごめんなさい…。でも、今はそっとしておいてください」

「…狐たちが知らせ回っていたけど、君に何かあったの? ねえ、俺って聞き上手ってよく言われるんだよね。なんで泣いてるのか、話せば気持ちが楽になるかもよ?」

「お言葉に甘えてもいいですか? 実は… … … …」

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