鮮血の魔女 10



「シヴァンゲールとの国境偵察?」


 私はルーグが請け負って来た依頼の内容を反芻した。


「やっぱ、嫌そうだね。いやぁ、気が進まないのは俺も一緒だよ。なんたって祖国の情報を収集するって事だしなぁ」


 ルーグも本来は、気が進まないのは同じらしい。

 とはいえ、私とルーグのシヴァンゲール……祖国への思いは違うものだ。

 

 ルーグにとっては、故郷、帰るべき場所、温かい場所。

 私にとっては、故郷、捨てた場所、もう目にする事は無いだろうと思っていた場所。

 とはいえ、祖国に何も思い入れがないわけではないし、お母さんの事も気にならない訳では無い。

 でも、どこかで生きていてくれれば良い。その程度の思いしかないのも事実だ。


「やっぱ、断ろうか?」


 無言で考えていると、ルーグが眉尻を下げながら、問い掛けてきた。


 (まぁ、ミエルだって母国へのスパイ行為なんて嫌だよな)


 ルーグの思考が入って来て、私は軽く下唇を噛んだ。

 そういう事じゃない。そんな優しさなど私は持ち合わせていないのだから。私が考えているのは――。


「――場所って、カルフ山……だよね?」


「あ、ああ。以前怪物を追って行った時よりも上だね。山頂部分の手前にザルカヴァー側の駐屯地があるんだ。そして山頂の国境にはフェンスが敷かれているんだけど、今回はそのフェンスから見える範囲の目視での偵察が依頼らしいよ」


 と、いう事はあの怪物を殺した洞窟には行かなくていいということか。それなら、ルーグの私への恐怖心を掘り返さずに済むのなら……。


「でもそんなの、駐屯地の人がやればいいんじゃないの? さして緊急性も無さそうだし」


「緊急性が無いからこそ、傭兵にやらせたいんじゃない? 大国の軍人様ともなれば、そういう雑事をこなす暇も無いとかね」


 ルーグは皮肉っぽく語った。


「まぁ、こんな依頼だけど、報酬が依頼の割には良いんだよね。でもそこまでオイシイ話でも無いから、ミエルが嫌なら断るけど?」


「いや、良いよ。犯罪者検挙ばっかりで肩も凝ってたし、たまにはそういうのもね」


 ハイキングというわけでは無いだろうが、たまには周囲の雑音が無い環境も良いだろうし。


「分かった。……あ、忘れてた!」


 ルーグは、依頼内容の書かれた紙に目を通しながら、気まずそうにチラリと私を見た。


「フェンスの老朽化箇所の補修も依頼に含まれてて、その職人も連れて行く感じ……らしい」


 ルーグの、私が嫌がるだろうなあという遠慮が伝わってくる。


「良いよ。気にしないで。それで依頼はいつから?」


 あからさまにホッとしながら、ルーグは依頼内容が書かれた紙を私に見せてきた。


「明後日の昼にカルフ山の駐屯地に集合って事になってる。じゃ俺は役所で依頼の受諾申請をして来るから、ミエルは暇潰してて」


「明後日かぁ。結構時間空くね。とりあえず分かった。じゃ、商会に行って銃の点検して来ようかな」


「あ、じゃあコレのメンテも頼んでもいい?」


 ルーグが直刀を腰から抜き、私に差し出して来る。


「うん。いいよ」


「じゃまた後で」


 私が直刀を受け取るとルーグは、ホームを後にした。


「……下手なりに頑張ってるなぁ」


 直刀の柄に巻かれた布がところどころほつれていて、修練の痕が見える。

 結局、ルーグが以前覚えようとしていた、あの影鳴流とかいう怪しい通信教育武術のようなものは、実践ではなんの役にも立たないレベルのへっぽこ剣術だった。有ったか無かったかわからない様な武術の歴史を捏造し、『俺が考えたかっこいい剣技』をそれっぽくしていただけだったのだ。

 それでもルーグは、剣を捨てずに我流で修練に励んでいる……が、ルーグの近接戦闘の技術は、無手の私にすら及ばない拙いものだ。

 私の体捌きや近接戦闘技術は、相手の思考を読み取って動きを先回りする事や、身体の柔らかさを活かしたところが強く、とてもルーグに教える事は出来ない。

 せめて、ルーグにも師匠が居れば良いのだが。


「とはいえ、そんな人がそうそう居る訳もないか」


 私は自分の装備とルーグの直刀を持って、ホームを発った。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△



 ホームから三十分程歩いた所に、その建物はあった。

 ウェスティン商会ゴラス支店。

 日用品から、傭兵の武装まで様々なものを取り揃えるこの店は、ザルカヴァー王国でも有数の資産家であるウェスティン家によって展開されている。

 ザルカヴァー王国のみならず、大陸全土を超え、海の向こうにあると言われいるエネイブル諸島連合国にまで出店されているという。

 そのシェアの広さにも驚きだが、最近ではそのウェスティン家にももう一つ話題の種がある。


 ウェスティン家の跡継ぎにして、長女であるスティルナ・ウェスティンの事だ。

 彼女は商人の家系でありながら、『蒼の黎明』という傭兵団を結成したのだ。

 団の規模自体はそれ程大きいものでは無いが、団長であるスティルナの戦闘力は凄まじく、『銀氷の剣聖』とすら呼ばれ、あの世界最強の傭兵であるネイヴィス・ヘイズゲルトが不戦協定を結んだ程らしい。

 実際、どれほどの力を持っているのかは想像もできないが、実家も太く本人も規格外というのは、一般人からすれば羨望や嫉妬の対象でしかないだろう。


「に、しても相変わらずの盛況だなぁ」


 一階の食料品がメインのフロアは、価格も安く品質も良いと評判が良く、常に人が多い。

 私は人混みが苦手なのもあり、ここで食料品を買った事はないが、ルーグが買ってきた惣菜はとても味が良かったのを覚えている。


 私は通路脇のエレベーターに向かい、乗り込む。


「えーとたしか、三階か」


 傭兵の装備を取り扱うフロアは三階なので、パネルの三階のボタンを押し、扉を閉めようとすると、


「っと、ごめんなさい」


 雪のように白い手が滑り込んで来て、扉が再度開いた。

 乗ってきたのは、色白の肌に白銀の長髪を腰のあたりまで下ろした美しい女性だった。


「何階ですか?」


 私が尋ねると、銀髪の女性は「私も三階だよ。奇遇だねえ」と朗らかに笑った。

 同じ階という事は、この人も傭兵なのだろう。

 年の頃で言えば、私よりは上なのは分かるけど、人好きのする笑みがどこか幼さを感じさせた。


 私は、銀髪の女性に愛想笑いを返すと、ある事に気が付いた。


 ――この人、心が、思考が入って来ない……?


「どうかしたかな?」


 銀髪の女性が、私に問い掛けてきた。


「あ、いや――」


 チーン。と三階にエレベーターが到着し、微妙な空気から救われる。


 私が扉を抑えていると、銀髪の女性は先に降り、私もそれに続くと、先に降りた銀髪の女性が、くるりと突然こちらに振り向いた。


「君も傭兵……だよね? 良かったら、一緒に見て回らないかな?」


「え? はぁ……」


 この人、思考が読めないから何を考えているか分からない――けど、悪い人にも思えない。


「普段、女性傭兵と触れ合う機会が少ないから、女友達みたいなのが欲しくてね。

 まぁ、多少は居ないこともないんだけど、ちょっと規格外な人達でね。それに、私と一緒だと多少割引きも効くと思うから、君にとってもお得な筈だよ」


「は、はぁ……? 割引?」


「あぁ、まだ名乗って無かったね。私の名はスティルナ。スティルナ・。一応、この店の経営一族なんだ。よろしくね」


 にこりと、人好きのする笑みを浮かべながら手を伸ばしてきた銀髪の女性は、正に噂に聞いた『銀氷の剣聖』その人だった。

 

 

 

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