鮮血の魔女 9



「そっちに行ったぞ! 絶対に逃がすんじゃねえ!!」


 背後で発せられた怒号に交じり、耳障りな銃声が大きくこだまする。

 走りながら撃ち放たれた銃弾は、狙いわたしを大きく外し、路地の壁を削り、または虚空を撃ち抜いた。


「待てコラクソガキがぁっ!!」


「貴方みたいな人相の人に、待てと言われて待つ人が居ますかっ?」


 怒号に律儀に返事を返した私は、ブレブレの狙いの中、偶然私の脚を捉える銃撃のラインを、殺気の線に合わせて軽く跳び上がり、男の銃撃を振り向かずに疾走したまま回避する。


「なっ……!? クソが!」


 銃撃を回避した事への驚きも束の間、悪態と共に連続して引き金が絞られる。

 腕の無い者が狙いをつけないからこそなのか、不思議な事に、先程までよりも私に命中するコースが多い。


「なるべく怪我をさせるつもりは無かったんですけど」


 私は身体全体を地面に触れそうな程に倒し、男の銃撃を躱しながら、太腿に巻いたベルトに取り付けていたナイフを抜くと、男の肩口へ向けて投擲する。


「うおっ!?」


 男は顔面へ向けて投げられたナイフを、咄嗟にしゃがみこむようにして躱した。

 私を追う男の脚が止まった刹那、私は転回し、縮こまった男に向けて間合いを詰める。


「ふっ!」


 体勢を立て直そうとした男の顔面へ向けて、勢いを乗せた膝を叩き込んだ。


「ぶぺっ!?」


 男の鼻がめきりと潰れ、行き場を失った空気が奇声と共に吐き出された。

 痛みと衝撃に、意識を失った男は顔面から地面に倒れ伏しそうになったので、咄嗟に身体を抑えて、仰向けに地面に寝せた。


「ふう。これ以上頭打ったら流石にヤバいだろうしなぁ」


 転倒による怪我は受け身が取れずに、顔面の骨折や脳へのダメージが強い為に危険とされている。

 まぁ――鼻っ柱に思いきり膝蹴りを叩き込んでから、そんな心配をする私も私でどうかとは思うのだけど。


「おーい!」


 男に向けて投擲したナイフを拾い上げていた所で、耳馴染んだ相棒の声が聞こえてきた。


「ルーグ。そっちは大丈夫だった?」


 ナイフを太腿のベルトにしまい、膝を手で払う。


「うん。こっちの方のは丸腰だったからね。ミエルの方は……っと、うへぇ」


 私が倒した男の顔面を見て、ルーグが痛々しげな顔を見せる。

 その内にあるのは、男への同情と哀れみだ。


「しょうがないでしょ。この人銃持ってたし、バンバン撃ってきたんだもん。周りに被害が無い所まで誘い込んだだけ褒めてほしいくらいだよ?」


「う、うん」


 一年前のあの日――スチールエイプと呼ばれた怪物の討伐依頼の件以降、私は異能を使っていない。


『精神干渉』。生まれついて持ち合わせた私のこの異能は、最低の力だ。

 相手の精神――心に干渉して、影響を与えるこの異能は、幼い時から相手の精神こころが流入してきてしまう私にとっては最悪のものだし、何より心とは本来、不可侵のものだ。

 その人がその人たる在り方を作る為のものでもあるし、生物として個々に持ち合わせた唯一無二の個性でもある。

 顔や身体以上に、その人その人で違いがあるのが心の在り方なのだ。

 

 それを、私は穢す事が出来る。


 とはいえ、なるべくであれば、使いたくは無い。制御もろくに出来ていないし、今の私では、その時感じていた私の感情を叩き付ける事くらいしか出来ないのもある。

 それに、相手に干渉した事象を、更に私自身が病気エンパスによって読み取ってしまうからだ。

 大抵の感情なら、問題にはならない。その程度には汚い感情には慣れているし、それを平気に思えるくらいには、私はもう壊れている。

 だけど、原生的な完全な憎悪や悪意は、この世の何よりも恐ろしいものだ。

 凶悪な害意等は、強く思うだけで何かしらの影響を及ぼすと言うけれど、私にはそれが良く分かった。


 そういった思いもあって、異能を使う事は避けていた。

 だけど一番は――。


「どうした?」


「ううん。なんでも無い」


 異能や病気エンパスの事を、本当は誰にも知られたくは無いからだ。

 全部を知れば、きっと私は独りになる。

 今、行動を共にしている相棒ルーグも、きっと私の事を化け物か何かだと思うだろう。


「しっかし、なんでまぁこんなに潰しても潰しても何処から湧き出て来るのかね? こいつら」


 よっと。と言って、ルーグは私が倒した男を背負い上げた。


「大きい国だからね。社会の闇ってやつなのかも」


「シヴァンゲールが如何に田舎だったかって思うよなぁ」


 私達は、半年前に故郷であるシヴァンゲール自治州のアルボラリスの街を離れ、隣国であるザルカヴァー王国にあるゴラス市を拠点としている。

 ゴラス市は、それ程大都市では無いが、大陸横断鉄道の停車駅もある為に物流が盛んだ。

 物流が盛んだという事は、人も金も集まって来やすい。それ故に、治安も程よく悪く、傭兵わたしたちの様な者は食いっぱぐれる事は無い。

 今、私達が請けていた依頼の様に、違法薬物の売人の検挙も、毎日のように市の依頼リストに張り出されている。

 とはいえ、こういった末端を捕まえても、根本的な解決にはならない。

 所詮はこの売人達も、下っ端の日雇いの場合が多く、上役や元締なんかは基本的には尻尾も掴めない。

 こういった金の流れが激しい街で生きている犯罪者は、腹立たしいが犯罪者として一流なのだ。


「首都のファーランドに比べれば、ゴラスだって田舎らしいけどね」


「まぁ、ファーランドに行っても、それこそ食いっぱぐれそうなもんだしなぁ〜」


「まぁ、首都は治安も良いし、高位傭兵団もそれなりに拠点にしてるらしいしね」


 私達のような新参が、そうした所に入り込むのは難しいだろう。


「そう! 世界最強の傭兵団『黒き風』の根城な上に、最近凄い勢いで実績を重ねてる『蒼の黎明』ってのまで居るんだ!

 しかも、黒き風の団長、ネイヴィス・ヘイズゲルトは、蒼の黎明の団長……『銀氷の剣聖』の二つ名を持つスティルナ・ウェスティンと争いを避ける為に、団同士で友好条約を結んだらしいよ」


「流石、傭兵オタク……そういう情報は凄い詳しいね」


「まあね。界隈の情報は常に最新のものにしておかないと」


 何故か誇らしげに語るルーグだが、私はちょっと引いていた。


「……ルーグは、黒き風に入りたいんだっけ?」


「あぁ、うん。いずれはって感じだけど……。今入団しようとしても、実力が足りないのは目に見えるしね」


 ――ルーグは、英雄になるという夢がある。その夢への一番の近道が、世界最強の傭兵団である黒き風への入団なのだ。

 つまり、私と今結成しているアパテイアの彗星は、腰掛けに過ぎないという事でもある。


 まぁ、私自身も、ルーグと私の二人きりでルーグを英雄に至らせられるとは思えないから、当然の事だとは思うのだが、なんとなく、物哀しさのような気持ちは感じている。


「勿論、ミエルも一緒に入団しようよ。黒き風にさ」


「うん……そう、だね」


 正直に言えば、大きな戦闘をこなすような大規模な傭兵団には入りたくは無い。

 戦場は、きっと私に大きな良くない感情を流し込んで来るだろう。害意や殺意の大流を受け流せるとは到底思えない。


 それに私は、自分がどうしたいのかなんて気持ちは、最近はあまり考えなくなってきていた。


 ルーグとの傭兵生活が心地良いのもあるだろう。


 でも、自分でも本当は分かっているのだ。


 私は、アパテイアの彗星を自分の居て良い居場所にしているのだ。


 私が本当に必要としているのは、お金でも、ルーグでも無い。

 アパテイアの彗星という環境であり、立場。


 自分でも滑稽に思う。形の無い枠組みに、そして子供の戯びと思っていた傭兵ごっこに、依存しているのだ。


 でも、ルーグはやがてアパテイアの彗星ここを出て行く。

 その時、アパテイアの彗星は、今の私の居場所ではなくなるのだ。


「まぁ、未来の話は置いといて、晩飯何食う?」


「私は焼肉が良いな」


「おっ、良いね! じゃ早く警察に謝礼金貰って来ようぜ!」


「そうだね」


 ルーグは、貼り付けたような笑顔の影で、答えにならない霞のような思いを霧散させていた。

 気付いているのだ。ルーグも、私がアパテイアの彗星に居心地の良さを感じている事に。

 私への罪悪感と、自らの夢なんて、天秤にかけるまでもない。

  

 ――それに、たとえ今は置いておいたとしても、未来は、いつかきっと来るのだ。それを目指して歩んでいるのだから。

  

 

 

 


 


 

 

 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る