【Ⅲ】
紅茶を
俺はもう存在しないはずの匂いを忘れることが出来ない。そしてそれに否応なく記憶を呼び戻され―居ないはずの人間を
人生は失う過程である―有名な作家は小説内でこう書いた。俺はそれに賛成する。絶えず指の先からモノが落ちていくのが人生で。悲しいかな。歳を重ねるごとにその傾向は強まる。
過去は過ぎれば過ぎるほど曖昧になってはいくが。輪郭だけははっきりしてくる…抽象的な言い方をするならこうだ。
今や俺は。
彼は失った奥さんを再生するため、研究を重ね、その過程で受精卵への遺伝子操作を用い、
彼はそれを分かった上で為しただろうが、古き遺伝の理論『産まれか育ちか』の実験をしてしまった。
そう萌黄。彼女は呉一生に執着した。そしてその感情と決別し、何処かに消えた。
人間の存在。それはオンリーワンだった…俺の産まれるまでは。そのよく似た2つは分裂し。別の道を歩み始めたはずだった。
俺は。
彼や彼女と―同じ
人生で失なわれた
まさしくイザナギの所業だ。
『
「俺とお前の世界はまだ出来てなかった―だから還してやる、萌黄…」ああ。そんな事は無駄だと切り捨てた俺なのに。何故今になってこれを望む?
記憶を完全再現したクローンは失敗する。俺はそれを自らの身で知っている。
では?俺はどう萌黄を成すべきか?
◆
最近一生さんは思いつめた顔をしている。
わたしだって余裕があるわけじゃないけど、嫌でも目についてしまう。
彼が何を考えているのか?それはわたしには分かる…訳ないじゃん。どれだけ片割れのように思っていても他人は他人だ。彼には彼を軸にした世界が
思い当たるフシが無いわけではない。ずっと彼の上に影を落とすは母のような存在…正木萌黄。そう。彼女のことを『何か』思っているはずなのだ。
安易なセクシャル論は大嫌いだけど、一般に、過去の存在に執着する傾向が強いのは男性らしい。クラスの女の子がそんな話をしていた。
贅沢かも知れないが―わたしはこう思う、「そんな女よりわたしを見てよ?」と。
側に居るのはわたしなのに。彼は全然気が付かないフリをしている。そしてそれをさせるのは正木萌黄だって事は分かってる。
わたしは―自惚れでもあるけど―顔も体も性格も悪くはないはずなのだ。そして長い時間を共にしてきた実績だってある。なのに何で?そう思うと、勉強に身が入らない。
あてつけに好きでもない男子と付き合ったこともある。それに対する彼のコメントは―
「お?思春期ですなあ。恋に恋するエイティーン」とかいう意味不明なものだった。もうちょい嫉妬なり何なりしてほしい。
しかし。もし。
わたしの願いが今叶ったとして。一緒になれたとして。結ばれたとして。
わたしは―嬉しくなんてなれないだろう。そう、彼女が…彼の存在の中にあるから。
いっその事―消してしまいたい。物騒な話だけど。
いいや…それは無理かな。オリジナルではあれ、一緒に過ごした時間がある2人を引き裂くことなんて、わたしには不可能なのだ。それに建設的ではない。過去指向のアプローチはわたしのモットーに反する。
―時は過ぎゆく。それを呪うなかれ。わたしもまた進んでいるのだから。
過ぎゆくことは何かを失うことだけど。同時に何かと出会ったり起こる可能性のある何かを呼び寄せたりもするのだ。
希望に満ちた10代だからこんなモットーを掲げられるのだろうか。わたしは歳をとっても懐古せず執着せず生きていけるだろうか?…分からない。でも。未来は彼と共にあるのだから進むしかないじゃん?
◆
冷たい風が吹き荒ぶ。冬だ。この福岡は西日本にある割には寒い。日本海に面しているのが悪いのかも知れない。
制服をスカートにした過去のわたしを呪いたい。下にタイツを履いてるとはいえ寒風は私の下半身を冷やす。
わたしはなんでか夏より冬が好き。一秒前まで寒さを呪っていた人間が言うことじゃないが―冬には温まる喜びがあるように思う。
冬は存在の輪郭がはっきりする。それは寒さが五感を刺激するから。
はっきりと自分の体を感じる。そして刺激が閾値を超えると―かじかんで感覚は消え、私は世界に溶ける…前は1人ぼっちだったけど。今は彼が居る。わたしは独りじゃない。
そう。独りじゃないから。彼に振り向いてほしい。そして願わくば一つになりたい…えっちな意味も含めて。いや、わたしはそれはおまけ程度に考えてる。ただ、彼が私の側に在ることを望んでいるのだ。
そういえば。もうすぐクリスマスだ…受験にかまけて忘れていたけど。
わたし達はクリスマスは例年鶏祭りにしている。一生さんは何故か肉の中で一番鶏を好んでいて、その日は甘い醤油のタレで鶏肉を喰らい尽くす。
プレゼント…今年は何にしようかな。去年は手袋をあげた。一生さんの手はこの季節大抵荒れ尽している。薬品のせいなのか乾燥のせいなのか。しかも手袋をしないという悪癖まであった。まあ、今年は少しはましになっているだろう。
今年は…マフラーとかどうだろう?
一生さんは古い黒い男物のマフラーを意地で使い倒してる。いい加減換えさせるべきなのだ。
しかし…手編みの方が良いのかな?わたし編み物したことないぞ…
◆
俺は冬が嫌いだ。何故か?南国生まれだからだ―というのは真っ赤な嘘で。色々嫌な思い出がありすぎるからだ。
俺の不幸は大抵冬に起きる。後で思い出させられた呉一生の事故といい、母としての正木萌黄との別れといい…いや冬と言うよりクリスマスが嫌いなんだな。
古い黒のマフラーを
こいつは―俺を縛っている。過去という過ぎゆくモノに。それが分からない俺ではないが。未来より過去が増えつつある現状では抗い難いものある。
まったく。クローン体の割には『人間』という存在に馴染みつつあるな。
そう。過去や未来という時制にとらわれるのは時間という概念を発明した人類の性…なはず。俺は個人的に時間の客観性を認めてない。宇宙がどうのーという意見になら、強い関連性は認めるが全面的に認めた訳ではない。
時間なんて主観でしか感じれないからな。
しかも。俺達は常に過去を生きている。ベンジャミン・リベットの実験によれば『行動しようという意思に先じて体を動かす活動電位が現れる』そう、俺達はズレているのだ。時間的に。
―なんて考えはしたがこりゃ言い訳だな。過去に囚われようがそれは性なのだ、と逃げている。全く情けない。
生きる俺達は否応なしに時間に放りこまれる。そしてそこで生きることを強制される。それがチケットなのだ。世界への。
存在を失ったものは時という川から
そして。誰かの中で永遠に変わる…のかも知れない。
だから。妙に目につくのだ。過去というやつは。リアリティというか手触りがはっきりしてやがる。そして未来はほわほわしてて川の流れの中でもみくちゃになってる。ま、楽したがりは過去を選ぶよなあ…悪いことだとは分かっていても。
いやあ。なんで八歳児が老人じみた事を考えているのだろう?
簡単だ。あいもかわらず存在が曖昧だからさ。アイデンティティを組み直そうが―『俺』は『俺』で。クローンとしてのアイデンティティ…引け目が残っちまってて。存在の不安を常に感じている…という寸法。
普通の人間も引け目を感じているのだろうか?俺には分からない。俗には存在の不安なんかを感じるやつは暇人って向きはあるけどな。
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