〈8〉覚知


 世界はあやまちを通して創られた―またもやグノーシス派の言葉である。

 何故なら、この物質世界を創ったのは獣の見た目の神の創造物たちだったのだから。

 それらのおやはソフィア、即ち知であったという。本来の神から産み落とされた彼女は大いなる存在に近づくため、大いなる存在を模した物を創ろうとして―獣の神を産み出した。その行いには男性が関わらなかった為に獣が産まれたのだと言う。

 獣の神達はソフィアから神性を奪った。そしてそれを各々の身に一つずつ宿した。神のような力をもつ彼ら。その長男がヤルダバオトないしデミウルゴス。


 物質世界をつくった獣らは、本来の神を模したものを創った―人だ。しかしその人、獣らの光たるアダムは動かなかった。霊ないし魂ないしスピリットが宿っていなかったからだ。

 その様を見ていた本来の神と自らの過ちで獣に力を与えてしまった事を悔やむソフィアは一計を案じる。

 デミウルゴスの遣いに化けさせたスパイを放ち、そいつにこう言わせたのだ。

貴方あなたがたの息―神性の隠喩らしい―をアダムに吹きかけなさい。そうすれば動くでしょう」

 そうして。

 物質世界を創った獣たちは皆でアダムに息を吹きかけた。アダムはその時から動き始めた。しかし、その様を見た獣の神達は嫉妬せずにはいられなかった―自分たちよりも大いなる存在に似ているではないか、と。だから彼を世界の底に引きずっていった。


 世界の底に閉じ込められたアダム。

 それを心配するものが居た、大いなる存在だ。ソフィアの神性を身に宿すアダムをあわれんだらしい。だからある者を遣わせてやった―アダムは彼女をゾーエーと呼んだ。命という意味なのだと言う。光となり彼に宿ったゾーエー。そのお陰でアダムは獣の神を超える知恵を身につけ、歩くべき道を歩んでいった。


 それを見た偽物の、獣の神達は面白くない。だからアダムをさいなむ。何もない闇である死に引きずり込もうとする。そして。持てる力で鎖を創り彼を縛り上げた…これが我々の肉体が地に縛られるようになったことの始まりなのだという―


 まあ大凡おおよそこんな話なのだが―うん。あんまりじゃないか?

 過ちの世界に生きる俺達、偽物の神に創られた俺達…人はぎりぎり大いなる存在にお恵みを貰ってトントンみたいな状況になったが、そもそもは創りもの、ものなのだ。


 その似せ者の偽者にせものが俺、クローン体の呉一生くれいちおだ。

 何処からどう考えても―祝福されはしない。改良版デットコピーのコピー。

 ああ。いいな。人間はソフィアと並べて。俺にはその権利なんてないんだ…いくら萌黄もえぎが肯定しようと―世界の爪弾つまはじき者。それが呉一生自動人形オートマタ


 そんな俺は―命の恩人である東雲撫子しののめなでしこに何をしてやれるのだろう?


                    ◆ 


 孤独は人を壊す。


 人は世界を自らの内に収めてしまっている、というのは独我論どくがろんの究極型だが、アレは嘘だ…と言うより他我たがを一切考慮しない場合にしか成り立たない。

 人は自らと他我の織り成しにより自らを規定する。そもそも自分独りで考える時だって自然と誰かに話しかけてる調子になってしまう。これは言語を使う俺達の宿命である。


 そう、俺達はいつだってあなた、きみ、彼、彼女…そんな他我を必要としてしまう。

 でも。状況が悪けりゃそれに恵まれないこともある。例えば少し前の俺。

 そういう時はどうしてしまうか?いつも自分の中でやっているアレをしてしまうのだ。自らの内に他人を、そいつに話しかけてしまう。これは俗にイマジナリーフレンドと呼ばれる。

 それは宗教的見地からすれば罪だ。神を気取ることに等しい。しかし、神が寛容なものであるならば―


 、と言いたくなるのは俺だけか?


 こと俺のような人は怖いのだ。他我と関わってしまうことが。

 『人間』じゃない俺を仲間として見てくれるかい?そう聞きたくなってしまう。

 人はコミュニケーション相手を人間と同質だと仮定した上でしか喋れない。もし深宇宙しんうちゅうから宇宙人が地球に襲来したら、そいつらが人間に似て、言葉を持たない限り、コミュニケートは成立しない。だって相手が何考えてるか分かんないもんな。


 こんなことをつらつらと並べたのは俺が人のような『人ではないもの』だからだ。さっきの比喩を援用するなら地球人に似た宇宙人みたいなもの。

 言葉を持って考えてるからコミュニケートは出来るんだろうさ、でも、俺は仲間には入れてもらえない、。いつまでも地球上では異邦人みたいなものなのだ。


 そんな俺は―彷徨さまよう。道を、この街を、この国を、この地球を。誰か仲間が居ないか、誰か仲間に入れてくれないか求めて。

 そこには滑稽さがある。

 オズの魔法遣いにこんなキャラ居なかったか?ああ、いやアイツは心のないブリキだったっけ。俺は心のあるブリキなのだ。肉体を授かっているのに関わらず。肉体なんて高分子の集まりたる細胞の巨大なコンプレックスな訳で。デカルトライクに機械みたいなもんだと言い切れる。

 じゃあお前の『お前』はなんなんだよ?と問われれば。そいつは借りもんだ。呉一生というやつの。今は俺が借りパクして使い倒しているが、『俺』は呉一生とどんどんかけ離れていっている。身体的にも心理的にも。

 

 ああ。

 とどのつまり。

 俺は怖いんだ。彼女の側に居ることが。撫子ちゃんの側に居ることが。どんどん愛着を持ってしまっていて、何時か俺の正体が露見した時に「気持ち悪い」と言われたくなくて怖い。

「君は君だって言ったじゃない」と萌黄の…母の声が俺の頭に響く。

「それをそのままこの世界が受け入れるとは思えない」俺は萌黄に反論する。思春期の子どもみたいで嫌になるぜ。

「それは君が確固とした『君』がないから…いつまで一生のフリしてるの?楽だから?」彼女は痛いトコロを突いてくる。さすが俺のイマジナリーフレンド。

「と言うより―一生でしか在れない。お前の設計だろうが。特に脳」脳の形状とシナプスの接続パターンを埋め込まれたら、そら一生にしかならんさ。

「はあ…馬鹿かな?君は」と萌黄は呆れた声で言う。これ、俺は知ってるぞ。萌黄が一生を詰る時の言い方だ。

「馬鹿だろうな。知ってるよ」

「『君』は『君』だってしつこいほど言ってるじゃん。脳に魂ないしスピリット…『君』は宿らないの…脳を分解してごらん?白子みたいなピンクのプルプルが残るだけ」

「…詭弁きべんだな」 

「そう、詭弁。君がさっきまでこねくり回してた思考だって、また」

「あーそうかよ。お前は頭が良くて良いな、畜生め」と悪態を吐く。そう確かに俺なりの世界への言い訳。俺とお前らは違うから。近づくなよ…そう言って威嚇してるみたいな思考なんだ。

「頭が良いと言うよりは勘が良いって方が正確かな」萌黄は得意げに言う。

「勘?お前論理思考の学徒―理系だったろうが」医学系の彼女は仮説と検証に慣れ親しんで居るはずだ。なのに勘だと?笑わせるな。

「私は世界に居る。このように。このようにしか在り得なかったのだ―気づいた時にそう知った…それだけで良いじゃない?」

覚知かくち…悟りみたいな境地きょうちだな」

「まあ…死んだからね。少しは賢くなる」シニカルな笑みを浮かべる彼女。でもお前は―

「お前は―俺が『想像』した萌黄だろうが。俺はまだお前が死んだ事を認めてない…んだよ」表向きは死んだことを理解しているふりをしているが。俺はまだ確信していない。

「だね…こういうのもいい加減止めない?」と彼女は受け流しつつ俺に言い聞かせる。

「こういうの?」いや本当は分かっちゃいるのだが。

「私を自らの一部を外部化することはやめようっていってるのさ」と彼女は笑いながら言う。

「自らの…一部?」俺は萌黄の語った内容を―信じているのか?知らず知らずの内に。

「うん。本当は分かってるんだよ君は。でもそれを感情が認めない。ジレンマ…怖いから臆病になってしまう。でも君は入っていくんだよ、人の世界に。そのやり方は今から考えなきゃいけないけど…とにかくやるしかない」おい、最後根性論こんじょうろんじゃねーか。もうちっと頭使って喋れ。

「無茶言いやがって」と俺は悪態を吐くのだが―その時、俺の萌黄は揺らめき始める。

「さて。君が今からやるべき事を最後に言っておくかね―」萌黄は体が少しずつ剥離はくりして―最後には『俺』になった…。

「東雲撫子を―助けてやるんだよ。何してやりゃ良いか分からんが」阿呆あほう。それを知っとけ、『俺』の馬鹿野郎ばかやろー

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