第3話 財布瞬間移動事件

四月になって半月経過したある日、ミステリ研の部室に行く途中で神田君に会った。


「こんにちは」


「やあ、一色さん。君もこれからミステリ研に行くのかい?」


「ええ」と私が答えた時に、神田君が一冊の文庫本を持っているのに気づいた。


「何の本を持ってるの?」


すると神田君は私にその文庫本を見せてくれた。『火星のプリンセス』というタイトルで、表紙にお姫様?のイラストが描かれていた。


「これはSF、つまり空想科学小説さ」


「どういうお話なの?」


「南北戦争時代のアメリカ人のジョン・カーターが突然火星に瞬間移動しちゃうんだ。火星の重力は地球より小さいから、驚異的な身体能力を発揮して火星人たちと戦ったり仲間になったりしながら、囚われのお姫様を助けて結婚するというお話さ」


「へ、へえ・・・」何とも答えられない私。


「あらすじだけ言うとたわいないように聞こえるかもしれないけど、空想世界の不思議さを味わうという醍醐味があるんだよ」


「そ、そうなんでしょうね」


「ところで一色さんは『ターザン』って知ってる?」


「え?ええ。・・・映画で有名ですね。『ア〜アア〜』と叫びながらジャングルの中を蔓につかまって移動するという・・・」


「ジョニー・ワイズミュラー主演の映画が有名だよね。その『ターザン』も『火星のプリンセス』の作者であるバローズが原作を書いているんだ」


「そうですか」


「映画じゃただの野生児みたいに表現されているけど、原作だと英国貴族の息子で、ゴリラに育てられたから強靭な肉体を持つ一方で、人間の両親の遺品を見つけて独学で英語をマスターするんだそうだ」


「それは、何と言うか・・・すごいですね」ご都合主義?と思ってしまった。


「まだ『ターザン』の原作の完訳は日本では出版されてないけどね」(註、昭和四十四年当時)


「ほかにお奨めの空想科学小説・・・SFはありますか?」


「僕が好きなのはレンズマンとかキャプテン・フューチャーなどの、いわゆるスペースオペラだね。主人公が宇宙で大活躍をするという内容さ」


「それは・・・おもしろそうですね」


「だけどね、僕が入っているエスエフ研では、・・・あ、ミステリ研と両方に入っているんだ・・・そういうスペースオペラは馬鹿にされるんでまいってるんだ。別にブラッドベリやウエルズやヴァン・ヴォークトがつまらないと言ってるわけじゃないのに」


「それは、た、大変ですね」


「その点、ミステリ研はどんな作品を読んでも受入れてくれるからいいね」


「そうですね」私は探偵小説の中ではやはり本格物が好きだが、冒険活劇的な物を否定はしない。


さらに神田君のSF講釈を聞かせられながらミステリ研の部室に入ると、先に来ていた山城先輩が一冊の冊子を読んでいた。それは私が高校二年生の時に文芸部で作った活動報告だ。


「こんにちは、山城先輩」


「やあ、一色さん。君の友だちが書いた『松葉女子高の七不思議を解き明かす』は楽しく読ませてもらったよ。なかなかいいけど、MMR(松葉女子高ミステリー調査班)ってのは何だい?」


「さあ。・・・友人は独特の感性を持っていましたから」


「おもしろそうな人だね。・・・君の書いた『仁木悦子/仁木兄妹シリーズの解説』も良かったよ」


「ありがとうございます」


「僕は推理小説も好きだけど、自分で推理して真相を突き止めることなんてなかなかできないな」と神田君が言った。


「この前出された入部テストもまだわかってないし。・・・一色さんはもう解けたの?」


「ええ、一応」


「さすがだね。・・・じゃあ、つい先日経験した不思議な出来事も解明してもらえるかな?」


「どんな出来事ですか?」


「ゼミの準備をするためにゼミ室に僕らのグループの男女六人が集まったんだ。そのうちのひとりの女の子が財布がないと騒ぎ出してね、事務室に紛失物の届を出してゼミ室に帰って来たら、机の真ん中にその子の財布が瞬間移動していたという出来事さ」


「君たちのグループ全員で事務室に行ったのかい?」と山城先輩が聞いた。


「ええ。ゼミ室には鍵をかけて行きました。そして帰って来て鍵を開けたら、すぐ目の前に財布があったんで、みんなびっくりしたんです」


「グループ内に主犯がいて、グループに属さない共犯者がいたんだろ」と山城先輩。


「どういうことですか?」と聞き返す神田君。


「財布を盗った主犯が鍵をかけたふりをして、事務室に行く途中で共犯者に財布を渡し、その共犯者が部屋に財布を置いていったのさ。もちろん戻った時には主犯が鍵を開けたふりをしたんだ。つまり、実際には部屋に鍵がかかっていなかったのに鍵がかかっていたと思い込ませる心理的トリックさ。なぜ財布を戻したか?それは目的が金を盗むことではなく、被害者に対する嫌がらせだったとか・・・」


「でも、鍵をかけたのも開けたのも僕なんです。僕は犯人じゃないですよ」


「もう少し詳しく聞かせてもらえる?」と私は神田君に頼んだ。


「じゃあ、推理小説みたいに順を追って説明するよ」と神田君。


「まず、登場人物は僕、男子学生の千葉君と奈川君、女子学生の咲田さん、川崎さん、大宮さんの六人で、財布がないと言ったのは咲田さんなんだ」


「どういう人ですか?」


「少し美人でよくしゃべる子で、特に男子学生に気軽に話しかける子だったから、男子の人気は高いかな?逆に仲のいい女子はいないようだった」


「じゃあ、その咲田さんって人は神田君や千葉さんや奈川さんにもててたの?」


「ぼ、僕はあまり興味なかったけど、千葉君と奈川君は割と咲田さんにまとわりついていたかな」


「君も好きだったんじゃないのかい?」と山城先輩が茶々を入れた。


「そんなんじゃないですよ」


「先を続けて」と私は神田君を促した。


「その日の午後からゼミ室に集まることになっていて、商学部のF棟の十三号室に行ったら部屋の前で川崎さんと会ってね、川崎さんは鍵を事務室から取って来てくれたんだけど、紙袋を持ってたから僕に鍵を渡してドアを開けてくれと頼んだんだ」


「それで神田君が十三号室の鍵を開けたのね?」


「うん。鍵の具合が悪くてね、手間取ったけど何とか開けたところに千葉君、奈川君、咲田さんと大宮さんがやって来て、六人で部屋の中に入ったんだ」


「その時はまだ咲田さんの財布はあったの?」


「それはわからない。咲田さんも財布を出したりしなかったから」


「それでどうしたの?」


「千葉君と奈川君は咲田さんをかまって、川崎さんと大宮さんは二人で何やら話し込んでいて、僕は持っていた『宇宙のスカイラーク』という本を読んでたかな」


「全然ゼミの準備をしてなかったのね。・・・それで?」


「そうしたら突然咲田さんが『財布がない』って騒ぎ出してね、一応部屋の中をみんなで見回したけど、咲田さんは財布を取り出してないし、誰も咲田さんのカバンには触ってないから、ゼミ室に来るまでになくしたんだろうってことになったんだ」


「咲田さんはどうやって財布がないのに気づいたの?」


「咲田さんのカバンは蓋がついてない、布製の手提げカバントートバッグで、仕舞っていた財布はいつも丸見えだったらしい。それで咲田さんが自分のカバンをたまたま見た時に財布がないのに気づいたのさ」


「そんなカバンだったら、いつどこで誰に財布を盗られても不思議じゃないわね」


「そうだね」


「それでどうしたの?」


「みんなで講義室や学生食堂を一応探したんだけどやはり見つからなくて、事務室に紛失したことを届けるためにみんなで行ったんだ。・・・三十分くらい経っていたけど、もう一度十三号室に戻って、僕が具合の悪い鍵を開けて室内に入ったら、咲田さんの財布が机の真ん中に置いてあってみんな唖然としたんだよ。・・・咲田さんがすぐに確認したけど、財布の中身は何も盗まれていないようだった」


「もちろんゼミ室を出る時にはなかったんでしょ?」


「うん。僕自身が最後に扉を閉める時に確認したから確かだよ」


「そのゼミ室にグループの人の荷物は置いてた?」


「いや、一応全員が自分の荷物を持って出た。何も残さなかったよ」


「なぜ?・・・ゼミ室に戻るつもりだったら、荷物は持って行く必要ないじゃない?」


「大宮さんだったかな?カバンは持ってましょうって言ったんだ。咲田さんの財布がなくなったこともあって、みんな自分の荷物を抱えて部屋を出たんだ」


「その時、ほかに気づいたことはありませんでしたか?」


「そうだね。・・・川崎さんと大宮さんは部屋を出る前に乱れた机や椅子を並べ直していたな。真面目なのか、几帳面なのか。・・・そのくらいかな」


「なるほどね」と私は言った。


「何かわかったのかい?」と聞く山城先輩。


「はっきりわかったわけではありませんが、神田君の説明に引っかかることがあったので・・・」と私は山城先輩に答えて神田君の方を向いた。


「実際にそのゼミ室に行ってみませんか?」


「え?・・・今は鍵がかかっていると思うけど」


「事務室に鍵を借りに行きましょう。忘れ物をしたとでも言って」


「おもしろそうだね。僕もつき合うよ」と山城先輩も立ち上がった。


三人で商学部の事務室に行き、神田君がゼミ棟十三号室の鍵を借りた。「F1—13」と書かれた札が付いている鍵を受け取りながら神田君はあれ?と首をひねっていた。


商学部F棟は最近できたばかりのきれいな校舎で、壁やドアには傷や張り紙はほとんどなく、廊下には物がほとんど置かれてなかった。同じようなドアが並ぶ廊下を進み、ドアの上部から突き出ている室名札に「F1—13」と書かれているのを確認する。


その部屋のドアノブにはシリンダー錠が付いていて、神田君がドアノブの中心の鍵穴に鍵を差し込んでドアを開けた。


「鍵の調子は悪くないようね?」


「あの時は鍵が二本付いてたんだ。一本は鍵穴になかなか入らなかったので、もう一本の鍵で何とか開けたんだよ」


「鍵が二本付いてたの?何で?」


「一本は合鍵だったんじゃないかな?調子が悪い方を外したんだよ」と神田君。


「合鍵を一緒にしてたら意味がないじゃないか。鍵をなくしたら合鍵も同時になくなってしまう」と突っ込む山城先輩。


「その鍵は神田君がずっと持ってたようだけど、事務室にも神田君が返したの?」


「いいや。川崎さんが、自分が借りて来たから返しとくと言ったんで渡したんだ」


室内に入ると、机と椅子と黒板しかない殺風景な部屋だった。しかもどれも新しい。


「なるほど」とつぶやきながら私は廊下に戻った。そして隣の十二号室に行く。


廊下に張り出した室名札「F1—12」を見上げると、「2」のところに土がついて汚れていた。


「咲田さんの財布を盗んだのは川崎さんか大宮さんのどちらかね。共犯者が別にいて、その人に盗ませたのかもしれないけど」と私は言った。


「なぜそう言い切れるんだい?それに、財布はその二人も入れない部屋の中にあったんだよ!?」と聞き返す神田君。


「多分川崎さんと大宮さんは十二号室と十三号室の鍵を同時に借りて、十三号室の札に両方の鍵を結んだのね。そして十二号室の前で待っていて、最初に来た人、つまり神田君に鍵を渡して開けてもらったのよ。片方は別の部屋の鍵だから開かない。でも、もうひとつの鍵を使えばドアが開くから、神田君は片方の鍵が調子悪いと思うだけで別の部屋の鍵と気づかなかったのね」


「部屋が違うことを気づかせないために室名札を汚しておいたのか。用意周到だな」


「そして咲田さんが財布がないことに気づく。講義室内を探したり、事務室に行ったりした後で、今度は十二号室と外も中も見た目がそっくりな十三号室の前に戻るの。・・・多分、神田君と会う前に十三号室の鍵を開け、財布を置いて、また鍵を閉めておいたのね。両方の部屋の鍵があったから。その後は鍵はずっと神田君が持っていたから他人が入れるはずがない。それなのに財布が置いてあってみんながびっくりするという筋書きよ。・・・ただ、誰かの荷物が置いてあったり、机や椅子が乱れていたら別の部屋だということがすぐにばれるから、大宮さんたちが荷物を持って出ることを主張し、そして机や椅子を整頓したのね」


「・・・何のためにそんなことを!?」


「男子にちやほやされている咲田さんに対する嫌がらせかも。お金は盗られてなかったそうだから、窃盗目的ではないでしょう」


「・・・一色さんの推理が正しいとしても、何も盗まれていないから真犯人を糾弾することができないな」と神田君が腕を組みながら言った。

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