第5話

 島田紗良は旧姓を菊地と言います。地元の高校を卒業して18歳で越海武貿易(株)に事務員として就職しました。この町としては大きな方の会社で従業員は200名ほど、社長は商工会の会頭を務めるなど地元の経済界を引っ張るような立場の立派な方でした。当時、私は人当たりが良く独身男性からはまずまずの人気があって、声を掛けてくる男性も数人はいたと自負していました。また将来を考えて週に3回料理教室に通っていました。

 島田涼真はここで生まれ育って東京の大学へ進学したものの、病弱な母のことが気がかりで地元に戻って22歳で紗良と同じ会社に就職したのです。涼真の社内での評判は良い方でしたが、それほど目立つ存在とは言えない感じでした。涼真の直属の上司の係長は何でも細かく指導してくれ、涼真も慕っていたようでしたが、その上の課長は40近いが独身で、女性人気はなかったの。何故ってしつこい性格で部下のミスをその大小に関わらずいつまでもねちねちと叱るのよ。

その課長は私を気に入っているのか用もないのに話しかけてきて、気持ち悪かったわぁ。

 入社したのは涼真より私の方が早く、涼真に仕事以外の日常の事を色々教えていた関係から、涼真が就職して2年目に入るころ、日ごろのお礼と言って日曜日に東京の遊園地に招待してくれて、お昼も夕食もご馳走してくれたの。私は、それがすごく嬉しくて楽しくて、彼の優しさを感じてまた一緒に食事したいと思い、少し経ってからそのお返しにと言って横浜の海の見える公園に誘ってお昼と夕食をご馳走したのね。で、彼も私を気に入ってくれたのかまた食事に誘われて、嬉しかったなぁ。何回かそんな事を繰り返していたら、涼真が私に付き合って欲しいと言ってきたのよ、私は断る理由も無く即頷いたの。その日は土曜日で夜にお酒も口にして帰宅したのは日付が替わってからでした。それからは毎日のように会社帰りに寄り道をするようになって、お母さんから「彼氏できたなら紹介くらいしてよ」と笑顔で言われたので頷きました。

 両親はその頃まで大都城市の借家で私と一緒に暮らしていたので、早速、翌月の日曜日に涼真を自宅に呼んで両親に会わせ一緒にお昼を食べたの。彼は手土産を片手に訪れ、両親ともにこやかに話をしてくれました。

 涼真が帰った後、お母さんに感想を訊くと「素敵な彼じゃない、涼真って名前も良いわ。お母さん紗良にはあんな人の所へお嫁に行って欲しい」と喜んでくれたの、お父さんはお母さんの話を聞いて「ダメダメまだ早い、良さそうな男だがじっくり見ないと男は分からないからな」と言って眉間に皺を作っていたけど、涙目になっていて、お母さんは「紗良、お父さんはあなたを彼に取られるのが嫌なだけよ、気にしないで結婚しちゃいなさい」と笑うのでした。

 そして翌年、涼真が入社3年目の25歳で私が23歳の時、結婚したいと両親に許しを求めに来たの。お母さんは大賛成で喜んでくれたけど、お父さんは渋い顔をして「まだ、早いんじゃないか?」とすぐには「うん」と言ってくれなかったの。そうしたら涼真が、私を絶対幸せにするというような事を汗を一杯掻きながら、口に泡を作りながら、一時間近くも必死に喋り続けてるのよ。その姿に私はもう泣きそうでした。すると、突然父が「分かった。もう良い」と言って、正座して畳に頭をつけて「不束な娘ですが、一生面倒をみてやって下さい」と彼に言って、そして肩を揺らして泣くのよ。私、そんなお父さんの姿初めて見たの。嬉しくて涙が次から次から溢れてきて、そしたら涼真も座布団を外して正座し畳に頭をつけて「必ず、紗良さんを幸せにします」と誓った後は泣いて肩を揺らしていたわ。お母さんもお父さんのそんな姿を見て涙を一杯流していたの。そして秋に式を挙げて市内の住宅街の一角にある五階建てのアパートの一室を新居にしたんです。

 その後暫くして札幌の私の祖母が亡くなり、そして父が定年を迎えて「札幌の家をいつまでも空き家にはできない」と言って大都城市の借家を引き払って札幌へ行ってしまったのよ。私は寂しかったけど涼真が傍に居るので快く送り出してあげました。

そして二人で話し合って、子供が出来たらアパートは狭くなるからと、両親の住んでいた借家に引っ越したんです。

 その頃から課長の涼真と私への嫌がらせが始まりました。会議資料の提出を故意に早くしたり、同時に二つの仕事を指示したり、お客様へのお茶の淹れ方が悪いとか、人前で平気で叱るの。

私は我慢して仕事を続けていました。

 結婚して2年目、私は25歳のときに妊娠したので会社を辞め、翌年、真帆を産んだのです。

涼真は真帆が可愛くてしょうがないようで、オムツの取替、お風呂、散歩など家に居る間はずっと真帆の傍にいて世話を焼いていました。そのせいで真帆もぱぱが大好きで、抱っこはぱぱだし、歩くようになるとぱぱといつも手を繋いでいて、買い物の時でも離れることは有りません。

 幸せでした。

 

 しかし、課長は涼真に頻りに紗良の事を訊くらしい、元気か?とか、相変わらず可愛いか?とか、二人目の子作りをしてるのか?とか・・・、涼真は笑って誤魔化していたようだけど、年に数回は涼真が出社しているのに自宅に来るのよ、特に用事は無いのに手土産を持ってよぉ、意味わかんない?でしょ。初めのうちは涼真の上司だし自分も使われてたのでリビングにあげたけど、何となくいやらしい目付きで、私のスカートから出ている足や胸の辺りをジロジロ見るので、室内には入れないように、娘を出しに使って玄関先で少しだけ会話し追い返すようにしたんです。涼真にも話したけど、どうしたら良いのか困っていました。

 真帆が9歳になった年、涼真がその課長にまた誘われて、課長の友人二人と海釣りに行ったのです。そして誤って海に転落し行方不明になってしまいました。事故の後、課長の大西晴斗が注意不足で申し訳なかったと謝罪にきたけど、海上保安庁の保安官から「涼真が自身の不注意で海に落ちた、と一緒に行った課長の友人が二人とも証言している」と言われていたので、返事のしようもなくただ黙って頭を下げました。しかし、真帆は大西に「何で直ぐ助けなかったのよ!」と怒鳴って掴みかかり幾度も大西の胸を叩いて大泣きしていました。私は心に大きな穴が空いてしまって、怒る気力もなく黙ってその姿を見て泣いていました。大西は無言で叩かれていました。

 それから大西が週に1回くらいの頻度で世話を焼こうとして来るのですが、父母も札幌から出てきているので気遣いは不要だと固辞したのですが、来る頻度は変わりませんでした。

 私は娘の真帆の希望もあって食事はいつも3人分作って食卓に並べていたし、毎週日曜日には神社へ行って涼真が早く帰って来るように祈っていました。真帆はぱぱが帰って来た時に、真帆の暮らしぶりを教えるため毎日日記を書くようになり、そして「ぱぱがいつ帰ってきても良いように」と言ってぱぱの部屋の掃除も毎日やっていました。

 そんなある日、大西課長が、自分は独身だから、子供の将来を考えて一緒になっても良いと言い出したの。

私は、涼真が戻ってくるかもしれないから、それまで頑張るからと言って何回も断ったんです。

両親は事故から数カ月の間、私と娘を心配して家に居てくれましたが、「もう、大丈夫ね?」と言って札幌へ帰るときにも「何かあったらすぐ飛んでくるから」と言ってくれたのです。

 海上保安庁からは事故として処理しますからと伝えられ、それ以降連絡は無くなっていました。

 ぱぱが大好きだった真帆は、事故で相当のショックを受けたようで、以来だんだん口数が少なくなって行きました。まして、大西を嫌っていて「何であの人来るの?」と何回も言っていたので、再婚なんかまったく考えられませんでした。

 

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