第8話 初出勤


 私はとても気持ちいい眠りから、ゆっくりと意識が起き上がってきた。


 なんで今日はこんなに気持ちい目覚めなんだろう、いつもはもっと疲れが取れずに起きるのが嫌になるくらいなのに。


 ボーっとしながら身体を起こして、手元にある時計を確認した。


 ……えっ?


 時計の針は十一時を指しており、私は寝ぼけていた目を見開いた。

 ひ、昼前? 日も差しているし夜じゃないってことは、昼前の十一時ということよね?


 長く寝すぎたわ……!


 これじゃモレノさんに怒られる! というかここまで長く眠っているなんて、いつもだったら家族の誰かが怒鳴りに来るはずだけど……!


 そこまで考えて、私はハッとして周りを見渡す。

 周りは見慣れた私の部屋ではなく、全く見慣れない豪華な部屋。


 そして寝ているベッドはふかふかで、このせいでずっと眠っていた。


 一瞬だけとても焦ったが、ようやく思い出した。


 私は侯爵家に、引き抜かれたんだったわ。



 起きて部屋から出ようとドアを出たところで、メイドの方に見つかった。


 メイドさんは「おはようございます」と一礼し、すぐに朝の支度をしてくれた。


 私が自分ですると言っても、「私達の仕事なので」とやってくれた。


 子供の頃にはメイドの方に支度をしてもらったけど、久しぶりにこうして令嬢のような扱いを受けて、少し戸惑っている。


 支度を終えて、朝昼兼用の食事が準備されているとのことで、食堂でそれをいただく。

 とても美味しく量も多い食事を食べていると、食堂にカリスト様が入ってきた。


「あっ、おはようございます、カリスト様、キールさん」

「ああ、おはよう。もう昼時だがな」

「うっ……」

「おはようございます、アマンダ様」


 そうだった、私は起きてから一時間ほどしか経ってないから、挨拶の仕方を間違えてしまった。

 キールさんは何も言わず笑みを浮かべて挨拶をしてくれたが。


「な、なぜ起こしてくれなかったのですか?」

「とても疲れている様子だったからな。自然に起きるまで寝かせておいたんだ。昼を過ぎても起きなかったら起こすつもりだった」

「もっと早く起こしてくださってもよかったのに」

「気持ちよさそうに寝ていたらしいからな」


 ニヤッと笑ったカリスト様に、私は頬を染めて視線を逸らす。

 なんだか自分で起きられない子供のようで恥ずかしいわ。


「アマンダ、これから魔道具の開発部のもとへ向かってもらうが、大丈夫か?」

「っ、はい、もちろんです!」


 カリスト様の言葉に私は大きく頷く。

 ファルロ商会の開発部なんて、私が一番就きたい職場だろう。


 今まではただ魔道具を大量生産していただけで、錬金術の研究や魔道具の開発は全然出来なかった。


 これからはファルロ商会という大きなところで、思う存分にやりたい仕事が出来るのだ。


「ふふっ、それだけやる気に満ち溢れているなら期待できそうだ。だが今後は朝の九時ぐらいからは仕事をするようにな」

「うっ、今日は長く寝すぎてしまい申し訳ないですが……というか、九時ですか?」

「ああ、そうだ」

「そうなんですね……」

「……始まるのが遅いな、と思っているようだが、これが普通だからな」

「あ、そ、そうですよね」


 私はいつもモレノさんのヌール商会では、朝六時には出勤していたから。


 それが当たり前ではないというのは知っていたけど、やはり二年間もやっていたからそれで慣れてしまっている。


 六時出勤、二十二時退勤……出来れば嬉しいくらいだった。


 二十四時を超える時もあったしね。


「あとで職場の場所を教えるからそこへ向かってくれ。開発部長には話してある」

「わかりました」

「それと君の住居の準備も終えたようだ、そこも場所を教えるから仕事が終わったら確認してくれ」

「はい、ありがとうございます」


 私がお礼を言って話が途切れると、キールさんがカリスト様に後ろから話しかける。


「カリスト様、お食事中に失礼します。今度のアレはどうしますか?」

「……はぁ、食事中にそれの話は避けてほしいが」


 カリスト様は顔をしかめて、食事の手を止めてため息をついた。


「申し訳ありません。ですがもう一週間後に迫っております。早急に相手を決めないと、あちらも準備がありますので」

「わかっている。だが俺も心の準備がある」

「男の方の心の準備なんて、あちら側は配慮しませんよ」

「……面倒だな」


 なんだかよくわからないが、カリスト様は本当にめんどくさそうにしている。

 一週間後に何かあるのかしら?


「お前の方で適当に見繕うのは?」

「それで前にカリスト様に怒られたので無理です」

「あれは怒るだろ、相手が悪すぎる」

「書類だけじゃ性格までわからないのです。だからカリスト様が決めてください」

「はぁ、わかったよ。あとでな」

「絶対ですよ」


 後ろからジト目で睨んでいるキールさん、それを適当にあしらうカリスト様。


 仲良さそうで微笑ましいわね。



 数時間後、私は侯爵家の屋敷を出て新しい職場へと向かっていた。

 こんな昼間に外にいるのは久しぶりな気がするわ。


 いつも人がいない朝に商店街を抜けて職場へ行って、同じく人がいない夜に男爵家へと帰っていたから。


 確かこの辺りに、ファルロ商会の看板が……あったわ。


 商店街を外れた塔のような建物。

 そこがファルロ商会の開発部や魔道具製造部などが入っている職場、つまり私がこれから働く職場ね。


 塔の中に入るといろんな人が行き交っていて、とても忙しそうだ。

 だけど全員が健康そうで、これだけで私の前の職場とは違うことがわかる。


 入り口から正面にカウンターがあり、そこにいる女性に近づく。


 私が近づくのがわかって、女性は笑みを浮かべて話しかけてくれる。


「こんにちは、ファルロ商会に何か御用でしょうか?」

「あの、本日より開発部に所属することになったアマンダ・ナルバレテです。こちら、証明書です」


 私はカリスト様にいただいた証明書を出した。

 証明書にはカリスト様のサインとビッセリンク侯爵家の印鑑がある。


「っ、あなたがアマンダ様ですね。お待ちしておりました。三階の奥の部屋が開発部の部長の部屋となっていますので、そちらへまずご挨拶をお願いします」

「かしこまりました、ありがとうございます」


 とても丁寧に説明されて、私はお礼を言ってから階段で三階に向かう。

 三階は部屋が何個もあり、それぞれのところから錬金術ならではの臭いなどがする。


 ああ、なんだか久しぶりにこの臭いを嗅いだ気がするわ。


 錬金術を研究したりする時を思い出して、気分が上がってくる。


 とてもワクワクした気持ちで開発部部長の部屋のドアをノックする。


「失礼します。本日より開発部に所属するアマンダ・ナルバレテです」


 ドアの外からそう声をかけたのだが……中から返事がない。

 いないのかしら?


 そう思いながらもう一度ノックしようとしたところで、中からバタバタとしてドアに近づいてくる音が聞こえて、バンッとドアが勢いよく開いた。


 部屋の中側にドアが開く仕様だったからよかったけど、外側に開く仕様だったら私が危なかったわね、今のは。


「君がアマンダか! カリスト様から聞いているよ!」


 ドアを開けたのは男性だった。

 青い髪に青い瞳、人懐っこい笑みを浮かべている優しそうな男性。


 私よりも少しだけ身長が高いけど、男性の中では少し身長は低い方だろう。


 服装は開発部の部長らしく、白衣のようなものを羽織っている。


「僕はオスカル・パトリオット。みんなからはオスカルと呼ばれたり、魔道具バカとか呼ばれているよ」

「は、はぁ……」

「なんて呼んでくれてもいいよ。バカでもアホでも」

「オ、オスカルさんでお願いします」

「いいよ、じゃあ僕もアマンダさんでいいかな」

「はい」


 ニコッと笑って「じゃあ入って入って」と言って中に入れてくれるオスカルさん。

 勢いがすごい人だけど、悪い人ではなさそう。


 中は魔道具の開発をしているようで、書類などはほとんどなく実験器具などが置いてあった。


 見慣れない道具も置いてあるけど、あれは試作品なのかしら。


「散らかっててごめんね、今ちょうど実験をしてたんだよ」

「大丈夫です、こちらこそお忙しいところすみません」

「いやいや、本当にそうだよ。忙しい原因が目の前に来ちゃってね」

「えっ?」


 怒っているのかしら?

 だけど私と視線を合わせてずっとニコニコしているけど……。


「私がその、忙しい原因ですか?」

「もちろん! カリスト様から聞いたよ、君の疲れを癒すポーション」


 オスカルさんはそう言いながら、テーブルの上にある液体が入った容器を手に取る。


「今日の朝聞いたんだけど、どうやればいいのか全くわからない。素材を二つ追加したらしいけど、それだけで傷じゃなくて疲れを癒すポーションになるの? 好奇心が抑えられず自分で実験したけど、全く出来ないよ」

「えっと……」

「ねえ、作って見せて」


 オスカルさんはニコニコと笑いながらも、その目は私がどれだけ出来るかを見抜きたい、というような視線を送ってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る