第37話 何度でも 前編

 モモンマルコンから2キロほど離れた場所で、焚き火の赤い炎がゆらゆらとゆらめいていた。


 彼の持つ切れ長の黒い瞳の中の赤が炎と呼応するようにゆらめいた。

ふと、炎の中にそれよりもずっと赤い燃え上がるような髪の女性が、たちのぼる煙の下に血で汚れた赤いタバコが映し出された。


 キースは一年前の夏、グランテールの西部で起こった西海事変の只中にいた。

敵の圧倒的な戦力に怯えたグランテールの中央、王侯貴族達は早々と降伏を決め込み、国軍を撤退させ、ジガンテスコへの西部割譲を決定した。


 キース達ギルドの戦士達だけがそれに反発し、西側でゲリラ的に徹底抗戦を行い、停戦まで持ち込んだ。


 次から次に仲間が死んでいく身も心も焼き尽くされるような暑い夏だった。


 キースの黒い瞳の奥深くで、炎と呼応して、その日の思い出が鮮明に映し出された。


 停戦の少し前のことだったと思う。

敵の魔道部隊に奇襲をかけて、命からがら拠点へ帰還した。


 拠点はいくつかあったが、どこも砂埃と火薬と血の匂いに満ちていて、キースはそれが死の匂いだと認識していた。

実際、今日も仲間が何人か息を引き取った。


 そんなキースにむかって、燃えるような赤い髪を腰まで伸ばし、随分と逞しい脚で地面を踏みつけながら、一人の女性が近づいてきた。


「バニーか。こっちに来てたのか」


「久しいな。活躍しているか?」


「してねぇよ。今日も山ほど死んだ。何しに来たんだ?」


キースが尋ねるとバニーと呼ばれた女性の目に生気を激らせた光が刺した。


「貴様に報せを持ってきた。この戦争もうじきに終わるぞ」


「首領が言ったのか?」


「うむ!主だった工作が完了したようでな、じき両軍停戦を発表するだろう」


 ようやく終われる、キースの胸に去来したのはそんな感情だった。

喜びや達成感などはなく、朝起きたときに誰が死んだか確認するという日課をしなくてよくなる、それだけで十分だった。


 彼の心は、死の匂いが蔓延する戦場で燃やし尽くされてしまった。


 これでようやく終われるとキースが呟いたとき、バニーが厳しくハリのある声でそれは違うと言った。


「それは違う!これは停戦だ、終戦ではない!」


「それで十分じゃねぇか。俺はもうたくさんだよ」


「何が十分だと言うのだ!再び戦火が起きれば国民は死に、戦争に負ければ奴らの奴隷にされるのだぞ!?」


 バニーの正論に何も言い返すことができなかった。

バニーが言っていることは正しい、正しいがもう自分が何を目的にしていたのか、そんなことも思い出せなくなってしまった、キースはそう考えていた。



「貴様、自分の家族が子孫が奴隷となっても構わんのか!?あの醜い逆さ文字を腹に刻まれてもなんとも思わんのか!?」


「そんなこと言ったってどうすりゃいい!?また戦争をやるのか?とっとと逃げ出すような国軍と一緒にか?いつまでも続くわけがねぇだろ!」


 キースが本当に珍しいことに声をあげて反論した。


 バニーはそんなキースの目に赤い光が点ってるのを見てニヤリと笑った。

そして、血で汚れたタバコを取り出して火をつけた。

おそらく、さっき死んでいった誰かの物だろう。


「我々がこの国のトップに立てばいい。王侯貴族どもの腰から下が腐っていて立ち上がれないのなら我々が奴らを切り刻んで、奴らの座る椅子をぶんどればいいだけの話だ。」


「バニー…お前何を言ってる?」


「キースよ、何事も治すときはは根本から治療せねばならんぞ。首領は裏工作、私は人を集める。お前は、強い奴を探せ。私が量、お前が質だ」




 バニーの突然の提案を受けて、キースの胸は高鳴った。

たしかに、それなら…と思う気持ちが湧いてきた、しかし、それでも彼の目の奥には散っていった戦友達の顔がこびりついていた。


「どんなに強い奴でも、ここじゃいつか死ぬ。死ななくてもおかしくなっちまう。お前だって何回も見てきただろ?」


「死なんようにお前が守ってやれ。おかしくならん魂の強い奴を見つけて我々の前に連れてこい。私の求めてる強さとはそう言うものだ」


「だがな…」


「キースよ、お前は逃げ出したいんだ、この戦場からな。だが、逃げることは許されんぞ。私たち生き残った者は散っていった輩の残したものは全て燃やし尽くしてやらねばならん。このタバコのようにな」


 そう言ってバニーはタバコを軽く掲げてみせた。

その声は相変わらず厳しく太い声だったが、その中に聖女のような優しさをなんの矛盾もなく内包していた。


 結局、キースに答えを出すことはできなかった。

正しい選択を選ぶことも、間違った選択と知りながら逃げ出すことも選べなかった。



 夜になってバニーが首領のところへ戻る前に、もう一度キースのところへ来た。


「お前はそうするさ、強い者だからな。それじゃ約束は果たせよ」


そう言って、勝手な約束を取り付けてから嵐のように去っていってしまった。



 赤い焚き火の中にバニーの髪が見える。

おそらく、約束を果たせと言いたいのだろう。

俺はした覚えのない約束だが、あいつの中では俺が仲間を連れて戻ることが分かっているんだろう。


 確かに、シャルルは強くなった、異世界人だからなのか、信じられないスピードで強くなった。

俺が得ることができない神の加護みたいなものを受けてるんだろう。

だが、それでも、あいつらを戦場に立たせたくない。


そんな思いがキースの中を駆け巡っていた。


 焚き火の中に浮かぶバニーの生気に満ち溢れた口元が「お前はそうするさ」とキースに呟きかけてくるのを必死に聴かないようにしていた。

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