第23話 トライアングラー 前編

 帰ってきて、プルミエの門を潜ったとき、旅人を歓迎するように建てられたレストランの閉じられた扉が目についた。


 中心街から一番離れた南門の付近は、街道が破壊された影響もあって、寂れ始めたプルミエの中にあっても一層人通りが少なかった。


 もう永らく誰にも開けられていないであろう扉の前にはうっすらとホコリが詰まっていた。

その窓から中を覗き込むと、主人を失って役目を失った時計が止まった針でシャルルを指していた。


 戦争の話を知らなかったからだろうか、行きは目につかなかったものが、そこらかしこで主張していることにシャルルは気がついた。


 そこかしこの空き家からも、壊れたまま放置されている馬車の車輪からも、まばらに歩く人の足音からも、戦争の傷跡の匂いがした。


 ギルドへの報告も済ませたあと、今回は珍しくキースの方から1週間の休憩が言い渡された。

 珍しい事態にシャルルとエメリアは喜んだが、余計なことをいってキースの気がかわらないように二人で黙っていた。


 シャルルは休暇が始まってから三日間は、ネクタイと美味しいコーヒーを求めて服屋と喫茶店に交互に入りながら、街を散策し、日が変わる前には眠りにつく健全な生活をしていた。


 太陽の熱に窓ガラスがにわかに温められはじめ、綺麗に磨かれたテーブルは光を反射する。

そして、湯気とともに香ばしい匂いが部屋中にゆっくりと満たされていく。


 シャルルは一人優雅に朝から昼に向かって時間が過ぎてゆくのを感じていた。


 今日は何をしようかな、と考えつつ鏡の前で身だしなみを整えながら、物足りない首元を撫でているとき、コンコンと丁寧にドアをノックする音が聞こえてきた。


 ドアを開けるとエメリアが恥ずかしそうに立っていた。


「こんにち。ちょうどエメリアの顔が見たいと思っていたところだよ」


「こんにち!あの…シャル君今日ちょっと時間ある…かな?」


「もちろん。じゃあ申し訳ないんだけど、ドアの前で3つ数えててくれるかな?」


そう言ってシャルルは音を立てないようにゆっくりとドアを閉じると、飲みかけのコーヒーに蓋をして、上着を脇に抱えたあとで、鏡の前で前髪をまっすぐに引っ張ってみてから、3つとまではいかなかったがエメリアが7つ数える頃には、外に出た。


「お待たせしちゃったね」


「ううん、早かったね!せかしちゃった?」


「早く君に会いたかったからね」


シャルルはエメリアの腰に自分の左手を静かに当てて、二人で宿の階段を降りた。


「今日はね、シャル君に服を選んでもらえたらいいなって思ってるの!あのね、何でかって言うとね、シャル君いつもすごいおしゃれだし、お店も知ってそうだし…あ!もちろん忙しかったら断ってね!」


エメリアは今日の朝から練習していたセリフを一気に早口で話した。


「とんでもない、僕が力になれるならなんでもするよ」


「いいの?ありがとう!」


エメリアは胸の前で手を合わせながら嬉しそうにシャルルに笑いかけた。


 彼女の可憐な笑顔を見てシャルルはすごく嬉しかったし、何か他の感情が胸の奥から上がってこようとしていたけれど、それをかき消すように痛みが走った。


 シャルルは、仕事のように周り続けた店の中で一番フェミニンな店を選んで、そこへエメリアを案内した。

自分はこの時のために足を棒にしながら回っていたんだと、シャルルは納得していた。


 昼下がりの、初夏の気持ちのいい風が2人の間をすり抜けていった。


 エメリアはシャルルとの、彼がそう思ってるかは分からないけど、初デートに胸の鼓動が速くなるばかりだった。

 本当は話そうと思ったことをたくさん用意していたのだけど、彼の左手が当たる右腰から火がついてるのかと思うほど熱くなっていて、その熱さがエメリアの脳の働きを阻害してしまい、上手く言葉が出てこなかった。


「最近あったかくなって来たね」

という話題を4回目に口に出そうとしたとき、ようやく自分が同じ話をしていることに気づいて押し黙ってしまってからは、何を話せばいいのか分からなくなってしまった。


 シャルルが案内してくれた店は、真っ白い壁に大きな窓、そこから可愛らしい小物とお洋服が陽の光に照らされていた。


 店の中に入ると、そこにも可愛いは溢れていた。

小物の中に置かれたポプリから、愛らしいバニラの香りが2人の入店を歓迎してくれた。


 丁寧に挨拶をしてくれた従業員の女性に、シャルルが


「やはり美しい洋服は美しい女性を囲んでいるものなんですね」


と返事をすると


 エメリアはそれを聞いて、心の中に小波がたったのを感じ、憎らしい目でシャルルの背中を見つめていた。


「シャルルさん、今日は何をお探しですか?」


 従業員が彼の名前を呼んだことに何度も来ているのかと驚いたが、もし数分しか会ってなくてもシャル君のことを忘れるのは難しいことかも、と考え直した。


「今日は、僕の天使に相応しい服を探してあげたくて来たんです」


 シャルルがエメリアのことを僕の天使と紹介したのを聞いて、彼女の心の中では、たちまち小波は消え去り、海が枯れて、花が咲き誇った。


 気恥ずかしい紹介をされたエメリアは、シャルルに服を選んでと告げたあと、従業員が案内してくれた試着室にそそくさと逃げ込んだ。


 シャルルが、従業員の女性から、最近の流行りを聞き出しながら、店に綺麗に並べられた服を順番に、丁寧に確認して行くのをエメリアは試着室から覗き込んでいた。


 その中の1つの前でピタッと止まると、試着室のカーテンの隙間から覗き込んでいたエメリアをチラッと振り返った。

そしてゆっくり目を閉じたあと、エメリアに一着服を運んできた。


黒いワンピースだった。


 大きな白いセーラーカラーとその中心に黒いリボンをあしらい、裾には白いラインでアクセントがつけてあった。


 可愛すぎるような気もしたが、シャルルが選んでくれた服なので袖を通して、鏡をみてみると、いつもの自分の服との違いに違和感を覚えて不安になった。


 試着室を出て、緊張しながらゆっくりとシャルルを下から覗き込んだ。


 エメリアの細い脚は膝下までふわりとスカートに覆われ、引き締まった腰と膨らんだ胸は、女性らしい美しい曲線を描き、その真ん中には黒いリボンが飾り付けられていた。


 大きな白いセーラーカラーに、美しいサラサラとした黒髪が丁度乗っかっていた。

そして、黒髪の奥から、節目がちにしたエメリアの深紫の瞳がシャルルを見つめる。


「最高だよエメリア。その服は君に着られるために今日ここで待っていたんだね」


「そ、そうかな…?変じゃない?」


「生まれたときから着ていたのかと思うほど似合ってるよ、さぁ行こう」


そうシャルルが答えながら彼女の手を取った。


「え、でもお金払わないと」


「それは美しいものを見せてくれたお礼に僕が済ませておいたよ」


 悪いよ、私が払うよと言おうとしたエメリアの唇にシャルルの人差し指がそっと触れた。

彼女はそれ以上何もいえなくなってしまい、シャルルに連れられて店外へと出た。



「ごめんね、すごく可愛い服買ってもらっちゃって、ありがと」


しばらく歩いてからエメリアはその可愛らしい口からようやくシャルルへのお礼を引き出すことができた。


「さっきも言ったろ?それは僕からのお礼だよ」


「なんでこの服にしてくれたの?」


「その服が君のもとに行きたいって泣いて懇願してきたんだよ」


 シャルルがスマートにそう答えたのを、エメリアは嫌がった。


「もー!」


 エメリアが怒ったような顔をすると、シャルルが気恥ずかしそうに本心を答えてくれた。


「…本当はその服を見てるエメリアをどうしても見たかったんだよ」


 気恥ずかしそうに放たれたシャルルの言葉は、エメリアの鼓膜を通過して心臓まで貫いてしまった。

その頃には、彼女が持っていた服への違和感など微粒子計測器でも発見できぬほど消え去っていた。


 その代わりに、まるでシャルルへの好意を紡いで織られた布で縫製されたような服を着てエメリアは自身の胸の中にあったモヤモヤの輪郭を知覚してしまった。

その知覚は彼女の胸を高鳴らせて足元に目に映るものを輝かせたが、同時に脳を揺らし足元をぐらつかせた。

希望と不安が入り混じる中、隣で優しく微笑むシャルルの顔はいつもよりもっと素敵に見えた。

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