第15話 ハートに火をつけて 前編

 夕飯を用意するために起こした焚き火がパチパチと音を立てていた。

その焚き火と少し離れて、赤いモヤと白いモヤが揺れている。

 白いモヤの中ではきっとエメリアがのんびりと風呂に入っているのだろう。

赤いモヤの中ではシャルルがキースに神との思い出を聞かせていた。


 シャルルがよく回る口と大きな手振りを使いながら、自身の身に降りかかった出来事をキースに伝えてるあいだ、キースは時々、あぁとか、ふぅんとか、やる気のない相槌を打ちながら、いつもの顔をして聞いていた。


 シャルルがようやっと話終わるり、最初にされたキースの質問、何のためにこの世界に来たのかということに、改めて答えた。


「だから…僕はこの世界には、女性たちの涙を止めに来たんだ。そのために、今この国がやってるらしい、戦争を止めなければいけないと考えている」


キースは、シャルルが真剣な目をして突拍子もないことを言い出したのを、呆れたようにため息をつきながら聴いていた。


「お前、馬鹿なのか?」


「なぜそうなる!?」


「そんな、馬鹿馬鹿しい理由で戦争を止められるわけねぇだろ」


「何度もその言葉を使うな!」


キースに、自分の本心を伝えたはずなのに、それが伝わらないことにシャルルは腹を立てていたが、それを態度に出してはいけないとシャルルは思った。


 自身の心のうちにある真剣さを伝えるためには、怒りの色で描くよりも、誠実さで描いた絵の方が相応しいと思ったからだ。

 そんな理由からシャルルは、キースに対して、努めてゆっくりと、子供に言い聞かせるように話した。


「…いいか?僕は、今この国のどこかで、女性が泣いている。僕にとってそれは心の奥に突き刺さった小骨だ。そして、僕はその小骨を取るためなら命を賭けることだってできるんだ。」


「女のために自己犠牲か?」


やっぱりキースはシャルルの話を聞いても、馬鹿にしたように呆れていたが、シャルルは真剣な目をしたまま、


「当然だろ?そのために僕たちは生まれてきてるんだから」

と答えた。


そこで、そんなことより聞きたいことがある、とキースが切り出した。


 シャルルは、自身の天命をそんなこと、の一言で済まされたことが気に掛かったが、相手の質問を、どうぞというように左手で促した。


「お前とエメリアは幼馴染だと話していなかったか?エメリアも異世界人か?」


シャルルは、この目の前の退屈そうな顔をした男が、時たま核心を射抜いてくることに、僅かばかりの恐怖を覚えた。


「違う、彼女はこの世界の人間だ。ただ…神が自分たちに都合がいいからと、彼女の記憶を変えてしまったらしい」


「ふぅん…」


「なんだその態度は!1人のか弱い女性が、思い出を奪われ人生を変えられてしまったんだぞ!大声をあげこの夜空に向かって慟哭してもいいような話だろう!やってみろ!」


「そう神様に伝えてやりゃいいじゃねぇか」


シャルルが情けない拳を握りしめ熱心に思いを伝えても、風に揺れる柳のようにキースはそれを受け流した。


 そんな彼の様子を見て、シャルルは、自分が一度死んでからというもの、出会う連中は人の話を聞かない者ばかりだと思いながら、自分の中にある熱い想いを伝えることは諦めた。

ただ、心底気の合わないこの男しか伝える相手がいない自分の状況を呪い、振り絞るように答えた。


「そんなの1番初めに伝えたさ。神には…彼女は、本来幸せになる暇もなく死んでいた人間だからこの方がいいと言われてしまったよ」


キースは、そうか、とだけ小さく呟いた。


 すこし離れた場所で燃えている焚き火の中から、パァンと大きく木が爆ぜる音が聞こえただけで、辺りは冷たい夜の空気と静寂に包まれていた。

そのしじまの中には、ほんの小さくエメリアの鼻歌が添えられていた。


「それで…お前はこれからどうするんだ?」


しじまを切り裂いてキースがシャルルに尋ねた。


 彼には、シャルルから吹く熱風も、冷たい夜のしじまも、気に留めないでいられる芯の強さがあった。


「どうやって戦争を止めてくれるんだ?」とキースは冗談混じりに続けた。


シャルルは、キースの質問に、目を閉じて少し何かに悩んだようなそぶりを見せた後で、背後に控える満点の夜空にも負けない美しい目ではっきりと答えた。


「僕は、戦争は止めに行かない、今は…行けない。それよりも優先しなければいけないことがある。エメリアの記憶を戻してあげなければいけない。」


それを聞いたキースの頭には2つの疑問が浮かんできた。


「お前さっき命をかけて止めるって言ったじゃねぇか」


「当然だ!女性たちが理不尽によって虐げられるのをそのままにはしておけない!」


まずはキースの一つ目の疑問に、シャルルは強くはっきりと答えたが、震える拳を握りしめながら、神の前で罪を懺悔するような口調で話を続けた。


「だが、エメリアは違う。エメリアは違うんだ。彼女は僕のせいで理不尽に奪われてしまったのに、それに気づくことさえできないでいる。」


シャルルの口調は熱を帯びていき、罪の懺悔から神への宣誓に変わっていた。


「僕はそんなエメリアに報いるためにどうすればいいと思う?命より大事なもの…この僕の性質に、心に短剣を突き立てでも、彼女の記憶を奪い返してやらなければいけないと思わないか?」


そう答えた彼の瞳は、背後の夜空に負けないばかりか、喰らい尽くしてしまったように、黒く、青く、そして深く輝いていた。


 シャルルの真剣な眼差しをうけて、ほとんど変化は見分けられないが、キースは真剣な顔持ちに表情を変えた。

そして、もう一つの疑問をシャルルに尋ねてみた。


「それをエメリアは望んでるのか?お前はホントはいいこと何にもなくて死んじまってるんだぞって知りたいと思ってんのか?」


「そのまま、何も思い出さねぇ方が幸せなんじゃねぇのか?」


キースはもちろん、エメリアを心配する気持ちから真剣な表情でシャルルにそれを尋ねた。


 シャルルはそんなキースの心配を間髪入れずに、強くはっきりと落ち着いた口調で否定した。


「そんなわけがあっていいはずがない。

今、お前の言ったのは、朝起きてまずいコーヒーを飲んだときに、忘れて夢の中に戻った方がいいということだ。

本当の幸せというものは、立ち上がって、まずいコーヒーを拭い去るような美味しいコーヒーを飲みに行くことだろう?」


「あいつが全部思い出したあと立ち上がれるかどうかなんて分からねぇだろ」


「分かる!」


シャルルは、今度はキースの言葉を強く否定した。

そしてそのまま、朗々と宣言した。


「この僕が、彼女を幸せに導くために行動することを自分自身に誓うからだ。それが僕の美徳だとこの魂に刻み込むからだ」


「なんだそりゃ」


「キース!お前は、この僕の誓いの証人だ。僕が誓いを破ったと感じた時はこの首を貫いて欲しい…!」


キースの目をまっすぐ見つめながら、それを射抜くように美しく細い人差し指でキースの顔を指さした。


「なんで俺がそんなことを…」


「お前しかいないからだ!」


キースはシャルルの依頼に困惑したが、シャルルの顔に決意が貼り付いているのを見て、断るのは無理そうだと諦めた。


「さっさと切り離してお前のうるさい声が聞こえなくなるのを楽しみにしてるよ」


「そんな日が来るはずがないだろう。それに僕はたとえ口だけになっても話し続けられるよ」


シャルルはキースの珍しい軽口に悠々と答えてみせた。

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