60秒後の男 ⏳時を紡ぐ⏳

大隅 スミヲ

時を紡ぐ者

 もしも60秒後の世界が見える力を持っていたら、あなたは何に使いますか。

 10秒後でもなく、30秒後でもなく、60秒後の世界。

 60秒では、競馬や競輪といったギャンブルの当たりを知ることもできないし、殴られそうになった時のパンチの軌道を見ることもできない、ましてや誰かの未来予測をすることもできない。

 でも、その彼には60秒後の世界を見るという能力が存在していたんです。


 ⏳ ⏳ ⏳ ⏳


 その日、わたしは妹のあんずと一緒に、近所に新しく出来たカフェへとやってきていた。

 温かな日差しが降り注ぐ日だったため、わたしたちは店内ではなくテラス席に腰を下ろしコーヒーとカフェラテを楽しんだ。

 わたしと妹は1歳違いの年子であり、顔はあまり似ていないものの、仲は非常に良く、ふたりで買い物に出かけたりしていた。


「そのコーヒー、こぼれるよ」

 話に夢中になっていた時、わたしたちは知らない男から声をかけられた。

 新手のナンパなのだろうか。

 そう思ったわたしはいぶかしげな表情かおをして、その男を見た。

 ビジネススーツに黒ぶちメガネという姿の若い男で、カップに入ったホットコーヒーを手に持っている。


「なんですか?」

 そうわたしが男に言ったつぎの瞬間、男の言った通りのことが起きた。

 風が吹き、半分ほどカップの中に残っていたコーヒーがテーブルの上でこぼれたのだ。

 男の顔を見ると、ほら言ったとおりだろといった顔をしていた。


「あの、どうしてわかったんですか」

「予知能力」

 男は笑いながらそういうと、持っていたポケットティッシュでこぼれたコーヒーを拭くのを手伝ってくれた。


「ありがとうございます」

「あのさ、左に半歩ズレた方がいいよ」

「え?」

 急に男がわたしの手を引いた。

「ちょっと……」

 わたしが男に抗議をしようとした時、ソフトクリームを手に持った小さな男の子がわたしのスカートすれすれのところを走り抜けていった。

「ね、危なかったでしょ」

 わけがわからなかった。


 それが彼との出会いだった。


「ねえ、よかったらLINE交換しない」

 彼は図々しくもLINEの交換を求めてきた。

 やっぱり新手のナンパだったのだ。わたしは心底がっかりした。


 わたしが断りの言葉を口にしようとすると、彼が先に言葉を発した。

「わかってる、断るんでしょ。でも、大丈夫。妹さんの方は、俺に興味津々みたいだからさ」

「え?」

 わたしが振り返ると、杏はカバンの中からスマホを取り出そうとしていた。

「いいじゃん、お姉ちゃん。お姉ちゃんが交換しないなら、わたしが交換しちゃうよ」

「ほらね」

 男は笑っていた。



 それから一週間後、またあの男と会った。

 今度は、コンビニエンスストアの前だった。


 ちょうど雨が降ってきており、傘をコンビニで買って帰るか、もう少しここで雨宿りして雨をやり過ごすことが出来るかの見極めをわたしはしていた。


「あれ、また会ったね」

 背後から声をかけられた時、振り返らずともその声で、あの男だということがわかった。


「そうですね。また、会っちゃいましたね」

「そんな嫌そうにいわないでよ。さすがに俺も凹むって」

 笑いながら男はいう。


「ここで会うことも、あなたは予知していたの?」

「いや、これはわからなかったな。わかっていたら、花束でも買っていたのに」

 屈託のない笑顔。その笑顔がわたしには眩しく感じられた。

 だから、いじわるをしてやりたくなった。

 最初からこの男の予知能力なんて信じていなかった。


「ねえ、あなたの予知能力ってやつが本物なら、どのぐらいで雨が止むかわかる?」

「え、それは予知ってよりも、雨雲レーダーとかみればわかるんじゃないの」

「それじゃあ、あなたの予知能力が本物かどうかは判断できないじゃない」

「なるほど、俺のことを試したいってわけね。いいよ」

 男はそういうと、すっと目を閉じた。


 ⏳ ⏳ ⏳ ⏳


 俺が予知できるのは60秒先のことだけだった。

 しかし、それを工夫して使えばもっと先のことまでわかるようになる。

 そのことに気づいたのは、3年ぐらい前のことだった。

 60秒先の60秒先。そうすれば120秒先のことを予知できる。

 そうやって、予知の予知の予知の予知……といった風に時を紡ぐようにしていけば、1時間先のことだって予知できるようになるのだ。

 だが、それをやってしまうと反動が大きかった。

 3年前に試した時は、3時間先を予知したのだが、三日三晩高熱を出して寝込んだ。

 それが、この予知能力の反動というやつだった。

 何分先のことを予知すれば良いのかはわからなかったが、また寝込むことになるのは勘弁してほしいなとも思った。

 でも、彼女と仲良くなれる大チャンスが巡ってきているのだ。熱を出して寝込むのと彼女を天秤にかけたとしても、彼女のほうが勝つに決まっている。


 そして、おれは時を紡ぐのだった。


 ⏳ ⏳ ⏳ ⏳


「あと30分で雨は止むよ」

 彼はわたしに向かって、そう言った。

「本当に?」

「ああ、本当さ。30分、雨が止むのをここでじっと見ているのも、なんだからイートインスペースにでもいかないか」

「それって、ナンパ?」

「そうかもね」

 彼は笑いながらいうと、イートインスペースへと入っていった。

 わたしも仕方なく、彼の後ろからイートインスペースへ向かう。

 コーヒーを飲みながらの30分はあっという間だった。


 そして彼の予知通り、本当に雨は30分で止んだ。


「すごいわね」

「でしょ」

「じゃあ、わたしはこれで……」

 わたしが席を立とうとすると、彼はわたしの腕をつかんだ。


「ちょっと待って。いまはダメだ」

 真剣な顔の彼。

 一体、何があるというのだろうか。


「なんで?」

 わたしは少し怖くなって、彼に尋ねた。

「もっと、きみと話をしていたいから」

 彼は屈託のない笑顔でそういうと、わたしをもう一度席に座り直させた。


 結局、わたしはそのあと1時間、彼と話をしていた。

 話しているうちに、わたしの心はどこか彼に惹かれていることに気づいた。


「ねえ、わたしとあなた、これから先、どうなるの?」

 意地悪な質問だと自分でも思った。

「それはわからないよ。そんなことを予知してしまったら、面白くないじゃないか」

 彼はまた屈託のない笑顔でいった。


 

 おしまい⏳

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