雨宿りと君と

第一話「雨宿りと君と」

























 どしゃ降りの、雨。


 人のいないバス停。


 隣には、密かに想いを寄せてるクラスメイト。


「バス……来ないね」

「あ、うん。そうだね」


 栄えてるわけでもない、かと言って田舎すぎない見慣れた光景を眺めながら、梅雨の豪雨のせいか遅延しているバスを待つ。


 片想いの相手は、退屈そうに足をプラプラさせて灰暗い雲に覆われた空を見上げていた。


 その可愛らしい制服姿を、横目でチラリと見る。…相変わらずどこか幼くて、赤茶混じりの黒髪がよく似合う綺麗な顔をしてる。


「……しりとりしよ」


 高校生にもなって、そんな子供じみた暇潰しの提案をされるだなんて思ってもみなかったけど……他にやることもないから頷いた。


「しりとり、の“り”からね」

「わかった」

「りんご」

「…ゴルゴ13」

「ふはっ、いきなり渋すぎる」

「あ…ごめん」

「いいよ。“い”か……うーん…意気地なし」

「四面楚歌」

「かー…か、か……蚊!虫の」

「か……カーセックス」

「ねぇ、下ネタ」

「ごめん」

「ま、いいけど。す…」


 良い言葉を思いついたのか、彼女は私の方を向いて悪戯に笑った。


「すき」


 絶対に、こちらが変な勘違いをすると分かってて、それを狙って言われた言葉に……まんまと心をやられる。


 高校に入って出会ってからかれこれ一年半。ずっとこんな調子で惑わされ続けて、そのおかげで無事に同性だというのに惚れてしまった。


 私も私で単純バカだなと思うけど、彼女も彼女で変に気を持たせるような事ばかりしてくる。


 そのわりに、付き合う話はお互いしない。…からかってるだけかもしれない彼女にフラれるのが怖くて、私から告白なんて出来るはずもなかった。彼女からも、もちろんそんな話は出てこない。


 悶々と、する。


「き、だよ」


 なんだか、悔しくて。


「…キスしたい」


 たまには、ちょっとでもいいから惑わせてやろうと企みを持って伝えたら、


「……いいよ」


 しりとりの続きなのか、それとも本当の返事なのか…偶然にも語尾の文字に繋がった言葉が返ってきた。


「い、いいの?」

「…“よ”、だよ。次」

「あ…」


 なんだ、期待して損した。


 また私ばかりドギマギしてしまったことを恥ずかしく思って、気持ちを切り替える。


 見上げた空からは、まだ大量の雨粒が降り注いでいた。


「よ…よ、夜ふかし」

「…しないの」

「え?」


 制服の裾をつままれて、引っ張られた感覚につられて横を向いた。


「キス…しないの?」


 あ、れ。


 これは……しりとりの続きじゃ…ない…?


 僅かに潤んだ瞳が真っ直ぐに私を捉えて、相手の唇が緊張を隠すみたいに閉じられる。


 鼓膜には、雨の降りしきる音と心臓の高鳴りだけが響いた。


「…バス、来ちゃうよ」


 小さな声が、合図になって。


「高橋…」


 相手の細い肩に汗ばんだ手を乗せて、情けないことに震えた唇の先を尖らせながらふたりの距離をゆっくり縮めた。


 長いまつげが下がりきって瞳が隠される瞬間を、バクバクと鼓動を激しくさせて見つめる。


 私を受け入れる準備を終わらせた彼女の顔へと近付いて、こちらもギュッと目を強く閉じた。


 遠くから、車の走ってくる音が聞こえる。


「……残念」


 念願のキスが出来る前に、次第に大きくなってきたバスのエンジン音に阻まれて、


「バス、来ちゃった」


 未だ目を閉じた私を残して、高橋はスッと立ち上がった。


 …あとちょっとだったのに。私のバカ。


 意気地のない自分を心の中で責めながら私も立ち上がって、ちょうど停まったバスに乗り込む。


 もう何も気にした様子さえない高橋の後に続いて、一緒に一番奥の席についた。…車内には、チラホラと人が座っていた。


「……今日さ」


 座ってすぐ、高橋が顔を俯かせて口を開く。


「うち、親…いないんだよね」

「へ…?」


 スマホでもいじろうと思っていた私は、その言葉に大きな期待を抱くと同時に動揺して、手に持っていた文明の利器を落としかけた。


「あ……そ、そうなんだ」


 だけどここで食いついちゃったらキモいかな?とか考えて、慌てて平静を取り繕う。


 会話が終わって、気まずさに耐えかねて画面に視線を落とした。相手もそれ以上は何も言ってこなかった。


 気持ちを落ち着かせるために、動画でも見ようとイヤホンを取り出して差し込んだ後で、片側だけ耳に付ける。その間、高橋は謎に私の方をじっと見ていた。


「……それ、なに見てるの?」

「あー…最近ハマッてる声優さん」

「声優?」

「うん。たかはし………あ。高橋と名前同じだ」

「ふぅん…下の名前も?」

「いや、名字だけ」

「どんな人?」

「この人なんだけど…」


 言いながら動画を見せたら、どうしてか怪訝に眉をひそめて睨まれた。


「熟女好きなの?」

「な、なんで」

「だってこの人…おばさんじゃん」

「失礼な。確かにベテラン声優さんだから年齢はあれだけど……綺麗な人でしょ?」

「まぁ……かなりの美人さんだね。こういうのがいいの?」

「見た目も声も中身も…けっこう好きかな」

「……やっぱり熟女好きなんだ」

「う、うぅん……言われてみれば、確かに?」


 思い返してみればそうかも、と否定せずにいたらものすごくムッとした表情に変わった高橋が、勝手に動画の停止ボタンを押した。


「あ…なんで止めちゃうの」

「ここに若くて可愛い女いるんだから、いいじゃん。こんなの見なくて」

「こんなのって……この人からしか得られないものがあるんだよ」

「言い方キモい」

「それはごめん。でもほんとのことだから」

「…わたしとこの人、どっちが好きなの」

「そんなメンヘラ彼女みたいなこと…」

「どっち」

「……高橋」

「どっちの?」

「…目の前にいる方の」

「ならそっちの“たかはし”はもう禁止」

「えぇ…?」


 私のスマホなのに没収されて、制服のポケットにしまわれちゃったのを見て困惑する。


 彼女はいつもこうだ。


 友達に対しても嫉妬深くて、束縛も激しい。だけど悔しいことに、そういうところも嫌じゃない……むしろ好きだから許してしまう。


 もうこんなの付き合ってるみたいなもんじゃない?とか思いつつ、臆病が災いして「付き合おう」なんて言えない。


 相手もきっと私を好きで、


「…今日、うち来てよ」


 だからこんなにも拗ねた可愛い顔をして、無自覚のお誘いをしてくる。


 親のいない家、雨の降る夜。


 好きな相手とふたりきり。


 …そんなの、期待しちゃうんだけどな。


「高橋……それ、どういうつもりで言ってるの」


 顔を覗き込んで聞いてみれば、フイとつれない仕草で逸らされた。


「知らない。…自分で考えて」


 さらに期待は膨れ上がる。


 よく見たら耳は赤く染まっていて、うるさくなっていく胸の鼓動を耳の奥で感じた。


 ふたりの思いを昂ぶらせた状態で、バスが停まる。


「…着いたよ」

「一緒に降りて」

「…うん」


 一度も目を合わせようとしないまま手を引かれて、車内から降りてすぐ、すっかり忘れていたどしゃ降りの雨に体中を打たれた。


 傘も差さずに大慌てで高橋の家まで駆ける。


 会話をする暇もなく玄関先へ飛び込んで、たった数分なのにずぶ濡れになった自分の服に気分は激萎えした。


「はぁー…最悪。お風呂入ろ?」

「ん?え…?」

「行こ」


 え、一緒に入ろうとしてる?


 下がった気分は再び、心臓が送り出した熱い血液のおかげも相まって体温と共に上がって、連れられるがまま廊下を進んで脱衣所へ入った。


「タオル用意するね」

「あ、はい…」


 勢いで来ちゃったけど……ほ、ほんとに一緒に入るのかな。


 棚からタオルを取り出す後ろ姿を眺めて、透けた布の奥に見えるブラの色にもまた心音は激しく昂って落ち着かなくなる。


 ま、まさかの赤……けっこう派手なんだ。なんてドキドキしていたら、入る準備が整ったらしい高橋が脈絡もなく制服のボタンを数個外して、裾を掴んで大胆に持ち上げた。


 現れた白い背中に、心臓がバクン、と怖いくらい大きく跳ねる。


 ふ、服…脱い……ど、どうしよう。


 刺激が強すぎるからなるべく見ないように視線を落として、次々に肌色面積を増やしていく高橋に、雨だけじゃない水分で皮膚の上を濡らした。


「…なにしてんの。脱がないの?」

「っあ……さ、先に、入ってて」


 全裸になってタオルを巻いた高橋を見れるわけもなくて、何度も瞬きを繰り返しては、壁の一点だけを凝視する。


 高橋は肩を竦ませてため息をついた後で、さっさと浴室へ入っていった。


 いなくなってからようやく、全身の強張りを解いて水分を含んだ、肌にひっつく制服を四苦八苦しながら脱いだ。


 シャワーの音が響く浴室の扉を開ければ、真っ先に飛び込んできた無防備な背中にまた鼓動を荒れさせて、ぎこちない足取りで独特な質感の床へ進む。


「あ。来た……寒いでしょ?シャワー使っていいよ」

「う…うん、ありがと」


 天井の方を見上げて顔を逸らしつつ渡されたそれを受け取って、身を縮こませながら体にお湯をかけていく。


 高橋はその間、ボディーソープを手に取って軽く体を洗っていた。


「夜ご飯、どうする?」

「あ……ど、どうしようね」

「適当にカップ麺とかでいい?」

「う、うん。なんでも…」


 まるで普段通りな口調で話しかけてくる相手に、僅かばかり悔しさを抱くものの……何か言えるわけもなく。むしろ変に意識しすぎてたまに声が裏返った。…は、恥ずかしい。


「…ねぇ、シャワー貸して」

「あ、は…はい」

「……さっきから、なんでこっち見ないの?」


 目をギュッと閉じて持っていた物を渡したら、不満げな声が聞こえてきた。


 うっすらと瞼を開けてみれば……視界には、可愛らしい顔と、その下にある線の細い首や鎖骨、程よく膨らんだ胸がタオルで隠されてて、だけど先端がピンと張ってて…動揺しすぎて目を泳がせる。


「あ…た、高橋……た、立ってるよ」

「何が?」

「え、な…何って、ち……ちく…」

「そんなとこ見るなんて…変態だね」


 鼻を鳴らして笑った高橋は、タオルの端に指先をひっかけた。


「…見る?」


 つい、横目でチラリと覗いてしまう。それがまた彼女を喜ばせるひとつだったんだろう、口角が愛らしくつり上がったのを見て、やらかしたと気付く。


「ちゃんと見るんだ……えっち」


 一気に、羞恥が全身から頭までを包み込んだ。


「っご…ごめん!」


 あまりの恥ずかしさに耐えきれずに、体を流す事しかしてないのに、そんなのも気にせず浴室を飛び出した。


 濡れた肌を雑に拭いて、服をどうしようかと迷っていたら、


「そこにあるやつ、着ていいよ」


 後ろから声をかけられて、いつの間にか用意してくれていたらしいパジャマたち一式に着替えた。…下着はさすがに新品だった。


 高橋がいつも着てる服……無意識で匂いを嗅ごうとしていた自分に気が付いて、あまりに変態すぎる行為に誰よりも自分自身がドン引きして秒でやめた。


 こんな調子で私…大丈夫かな。


「ご飯食べよ?」

「あ、うん…」

「んふふ、ふたりきりだね。うれしいな」


 私の腕に抱きついてきて、るんるんで脱衣所から連れ出した高橋の可愛すぎる行動に、さらに狂った鼓動で…心配は増した。


 今日、変なことしないでいられる自信ない…


 こんなにもかわいい高橋と、ふたりきりなんて。


 意気地のない私でも間違いを犯してしまいそうな予感しかしなかった。



 


















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