第29話 閑話:キンバリー大尉の誤算
帝国海軍第一艦隊は新たに進路を西に取り、周辺を制している王国—―帝国基準だと武装した民間人程度—―を平らげるべく進軍を続けていた。
洋上にて物資の補給を受け、喫水線が僅かに下がるが、航行や戦闘に支障はない。
「間もなく敵防海識別圏に侵入します。提督、ご命令を」
「観測気球の報告を繰り返せ」
「ハッ。本日1010に帝国基準の絶対防衛線を威力偵察。結果洋上に敵影なし。我が艦隊に対し有効な打撃を与えうる可能性、これ皆無とのことです」
帝国海将イングリッド・ネルソンはマドロスパイプから、南国のフレーバー香る煙を吸い、くゆらせる。
「またか……また何もないのか」
「左様で。しかしこれこそが陛下のご加護ではないでしょうか。陛下に従いし我らだからこそ享受できるありがたき幸甚かと」
畏れ多いことを言う、とイングリッドは眉間にしわを寄せながらも、一定の理解は示した。南大陸に陛下がおわすのであれば、その遍く慈悲の光を受けられる。北大陸に国を構え、陛下に傅く我々の特権ととらえていいのかもしれないと。
「失礼するわ。軍議に陸兵の私が参加していいのかしら?」
「構わん。招聘したのは私だ。で、どう思うアニエス。忌憚のない意見を聞きたい」
「意見も何も……見たままでしょう。敵には海上の防衛圏という概念が無いと思うわ。流石に例のアノ国とは違うとは思いたいけれど」
あに臭いがまだ鼻にこびりついているような気がして、二人同時にすすり上げる。それを見たほかの将兵も同様におぞ気を思い出したようだ。
「戦艦バルドルを中心に複縦陣を敷く。駆逐艦ヴィゾフニル、フレースヴェルグに伝令、掃海を行い揚陸艇が出撃できるように護衛せよと」
「艦砲射撃はしないの? 聖気はまだ捕えられていないのでしょう?」
「いや、計器に一部反応があった。この国か近くの場所に聖帝陛下がいらっしゃるか、近づかれている可能性がある。砲撃は陸上での作戦進行の度合いと、陛下の安全を考えたうえで、だ」
「そう、じゃあ私も出撃するわ。戦果を期待していて頂戴、イングリッド」
聖帝ローラント一世は、口伝、聖典、史書、叢書、童話、碑文。ありとあらゆる媒体でその足跡が記録されている。そして北大陸の魔力と科学の融合により、ローラント一世が常に発している聖なる気を感知できる『
聖帝ローラントの巡幸には常に聖櫃管理責任者が同行し、必ず行方を掴むことができるよう徹底的に守護されていた。
だが何者かにその聖櫃が破壊された。犯人は不明だが、聖帝が行方不明となった時期と重なることから、南大陸人かそれに手を貸した者の愚行とみなされている。
――
駆逐艦ヴィゾフニルから上陸に支障なしとの報を受け、イングリッドは即座に海兵隊を出撃させる。海兵と名がついているが、正式には近衛騎士団と同様皇帝直下の部隊だ。現在は一時的に指揮権を海将が貸与されているに過ぎない。
揚陸艇ボズフⅢを先頭に、次々と揚陸艦から海兵隊が進撃を開始していた。
「行くぞ。今度の敵が弓や石ばかり使ってくるとは限らねえ! 全てが俺たちと同等かそれ以上の相手だと思え! ビビッてケツまくったらその場でブチ殺すぞ!!」
「サー・イエッサー!」
敵前揚陸部隊指揮官、ウィリアム・キンバリー大尉は艦艇の床に噛んでいたガムを捨て、一人ひとりの肩を叩いて激励していく。
「俺たちがトチれば陛下の御命が無いと思え! 諸君、この俺が許可する。今日死ね! 戦って死ね! 一人でも多く殺してから死ね!」
「Oou! Haa!」
接岸するや否や、帝国最新式連発銃『
グリーン・ハウンド・セクター。各チームが集結する地点の名称だ。
――
カモメが飛ぶのんびりとした姿と、小波が寄せて返す海辺が良く見える。ダグラム王国一の良き任務地とされているカナリス砦には、長年の忠勤を認められた老齢の騎士、オーギュストが城代を務めていた。
「オーギュスト様! て、敵襲です!」
「なんだと? このカナリスにか? ここはどこの国とも接していない、安全な後方地帯のはずだ。いや、お前がそういうのであれば緊急事態なのだろう。すぐに全兵士に防衛準備を急がせろ。報告は歩きながら聞く」
副官であるボーデンは海から見たこともない形の船に乗り、不思議な形状の棒を持った兵士らしき者たちが、次々に上陸してきたと述べる。現在カナリス砦を中心とした市街の外にある、果樹園に向かっているとのことだ。
「どこの部族か。大方丸木舟かなにかで収穫物でも奪いに来たのだろう。ふむ、市街地の門を固く閉じ、他の個所から攻撃されないように徹底せよ。飢えた野蛮人相手と直接対峙せぬよう適当に収穫させればよろしい」
「町に来た場合には……」
「その場合には容赦はいらん。即座に弓で撃退せよ」
「承知いたしました」
――
「全上陸艇無事に到着。これより敵城砦の確保作戦に移る」
「HQ了解。グリーン・ハウンド・セクターを確保せよ」
「アルファ1了解」
各小隊からの返答を受け、イングリッドは艦艇を単縦陣に組みなおし、砲撃援護の依頼に備えた。
「大尉、さっきから全然敵が出てきませんが」
「黙ってついてこい。狙撃される可能性を忘れるな」
「大尉、もうすぐセクターです。後続も襲撃はない模様、どうされますか?」
「ビビる場面じゃねえのはわかってる。だが俺なら砦から攻撃の届かないセクターにこそ爆薬を仕掛けておくがな。さて……」
「大尉、ブラボーが突撃していきました。応戦無し!」
「マジかよ」
いやいや、おかしいだろう。キンバリー大尉は双眼鏡を使い、付近を探る。それこそ目を皿のようにして敵の動向を観察した。
「大尉、城壁の上で誰かリンゴ食ってますね。ああ、指揮官らしき……爺、いえ騎士、ですかね。なんか笑ってます」
「狙撃用意。随分余裕じゃねえか、爺さん」
――
「はっはっは。なんだあの動きは。怯えながらここまで来おったわ。さて、そろそろこちらも防御に移らなくてはな。弓兵準備! おっと」
その時、オーギュストは口にしていたリンゴを手から落としてしまった。
――シュカッ!
高速で飛来した『何か』が、つい今しがたまでオーギュストの頭があった場所を通過し、後ろにある旗指物をなぎ倒した。
「オーギュスト様、お怪我は!?」
「何だ今のは……投石か? 構わぬ、一斉射撃開始! 海に追い散らしてくれるぞ、騎士団出撃準備も急がせろ!」
「ハッ」
オーギュストが指揮するのは、僅か200名の軽装歩兵と数名の軽騎兵だ。
海岸沿いでの防備と、他領に直ぐに援軍に行けるよう、武装を軽くしている。
そもそもカナリス砦は安全地帯とみなされており、オーギュストの騎士団はいわば老いた者の道楽に近い編成だ。
頭:銅で補強された額当。
胴:皮鎧
足:なめし皮の靴
防御:木と銅の盾
武器:鉄剣、鉄の槍、木製の弓、投石
指揮官であるオーギュストと副官のボーデン、以下隊長格の者は鉄製の防具が多く見られ、発明されたばかりの騎乗道具である鐙をつけている。
「うむ、壮観である。よし、敵が矢玉で怯んでいる今が頃合いだ。開門! 全軍出撃せよ!」
「おおおおっ!」
意気揚々とした雄叫びは木霊し、大地を震わせる。老いたとはいえ戦場で武功を挙げてきたオーギュストは血気盛んなままである。彼は小部族を追い散らした後に、どのように本拠地を攻めるかを算段していた。
「可哀そうな蛮族どもめ。腹を空かせて出てきたのが運の尽きよ。よし、敵を捕獲して奴隷にするのだ。陛下への献上品にする!」
「ははは、まさか騎士団全員でかかるとは思ってもいないでしょうね。奴らの慌てふためく姿が想像できますな」
「わっはっは!」
――
「狙撃失敗!」
双眼鏡で見ていたキンバリー大尉は狙撃手のヘルメットを殴ると、渋々アルファチームを前進させる。
だが先手を取られた。
「うお、あぶねっ!」
近くにいたホイス上等兵の足元に木の矢が突き刺さった。
高所から打ち下ろされた矢の貫通力は鉄板をも貫くらしいが、果たして木製でも可能なのだろうかと、キンバリーは考える。
その間に王国軍は戦闘準備を終え、出撃を開始した
「大尉、なんかわらわら出てきましたよ。ひぇ、見てください。あの槍とか骨董品として値が付くんじゃないですかね」
「騎兵か。帝国では一部マスコットとして残ってるが、果たして……」
戦鐘が大きく鳴り響く。
「チッ、先行したブラボーを援護する。アルファチーム前進! 俺に続け!」
実はこれ、突撃してたらもっと楽に片付いたんじゃないかな。
キンバリーは自らの失策を頭を振って消し去り、果樹園の柔らかい土を蹴った。
――
今ここに両軍の激突が始まる。
さて、勝利の女神はどちらに口づけをするのか。
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