お菓子のお姫様

今朝見た夢は甘いはずだった。


 すべてがお菓子でできている王国がありました。その国の家はみんな、クッキーやウエハースを組み飴でつないで、外側には砂糖を塗って作られていました。家具も同じようにお菓子で作られ、人々は朝も昼も、そして夜もお菓子を食べて暮らしていました。

 そんなお菓子の国のお姫様は、お菓子が大嫌いでした。

 朝ごはんのコンポートも、昼のケーキバイキングも、お茶の時間も夜だって、とにかくお菓子を見ようともしません。

 しかし、そのために体の弱くなってしまったお姫様は、お菓子のように見せかけられたベッドで、一日中本を読み、物思いにふけっていました。本当はお菓子に見たてたベッドや家具さえ嫌でしたが、姫の不健康を悲しむ王様との話し合いの末(父である慈悲深い王様に頼みこまれたので)、頑なにお菓子を拒むお姫様も妥協したのでした。


 王様がいつものように、姫を案じてお城の中の教会で独り祈っていた夜のことです。

 王様が祈りを終えて立ち上がり、ちょうど振り返ったとき教会の扉が音も無く開きました。何事かと王様が目を凝らすと、そこにフードを深く被り足の先までマントで覆った人が立っていました。

「突然の来訪にこのような格好、重なる無礼をどうかお許しください」

 その人は言いました。王様は注意深く声を聞いていましたが、それでもその人の性別さえ判断するのが難しいようでした。

 その人は名前も言わずに、そこに立ったまま淡々と話し出しました。

「お姫様の事で参りました。聡明な王様は薄々お気づきかもしれません」

「なんだ」

 王様は答えました。

「お菓子をお食べにならないお姫様の体は、もうずいぶん前から腐り始めています」

 突然聞かされた、あまりの事に王様は愕然としました。しかしその人に言われたように、王様自身がずっと感じてた事でした。

 お菓子を中心としてすべてが成り立っているこの世界で、何を考えてか、それを口にしないお姫様の身体が正常を保っているはずはありません。現にお姫様は布団から起き上がって何かすれば、ほどなく眩暈が起きてしまうほど弱っているのです。

 しかしこんな怪しげな人の言葉を、王が鵜呑みにするわけには行きません。

「なぜ医者でも無いどころか、いま初めて会ったお前にそのような事が言えるのだ!」

 王様は声を震わせて言いました。

 その人が何も答えないので、王様は腕を組んで上目にその人を睨みます。

 しばらく互いに見つめ合っていたように思いますが、マントにくるまれたその人は結局なにも言わずに一つ頭を下げて姿を消しました。

 人の気配が無くなると、王様はその不思議な光景に目もくれず、臣下を集めて愛娘を救うための会議を始めました。

 数ヶ月後、お姫様に縁談が持ち上がりました。お相手は隣の国の第二王子様です。

 王様は社交界で彼に会ったとき、お姫様の話しをしました。優しい王子様は王様の話しを熱心に聞き、お姫様の命を助けるために助けが必要だと聞かされると王様の手を強く握りました。

「思慮深いお姫様には、きっと何かお考えがあるのでしょう。でも弱った命を放ってはおけません。私がお姫様の助けになれるのでしたら、どうかお姫様に会わせて下さい」

 そう熱く宣言して、今回お見合いの約束を取り付けたのでした。


 その日、王子様はお姫様の寝室に通されました。

「はじめまして。お加減はいかがですか」

 王子様は親しみを込めてお姫様に笑顔を向けました。

「はじめまして。遠路はるばるお越し下さり、ありがとうございます。わたしは起きあがるとどうも具合が悪いので、このままで失礼いたします。王子様もさぞお疲れでしょうから、どうぞお座り下さい」

 お姫様は表情をピクリとも動かさないまま挨拶をして、王子様にチーズタルトの形をした椅子を勧めました。

 王子様はお姫様の丁寧な言葉の裏に冷たい心を感じて、なんと可哀想な人だろうと思い、お姫様を憐れみました。

「可哀想なお姫様。どうしてそうも頑なにお菓子を食べる事を拒まれるのですか」

 いくらか他愛のない話しをした後に、王子様はきり出しました。

 お姫様は王子様から目をそらせてそっと息を吐きましたが、何も言いません。

 王子様は椅子から少し、身を乗り出しました。

「お姫様。あなたはご自身が多くの人から愛され、そして心配されている事をご存知でしょう。どうしても苦手だったら、何かお好きな物と一緒に食べてみましょう。私が、あなたが好きになるような料理人を探します。あなたと一緒に、あなたがお菓子を食べられるように考えていきます」

 王子様はお姫様の反応が良くないと見ても、一生懸命に色んな提案をしました。

 お姫様は俯きがちに一点をじっと見つめていて、そしてぽつりと言いました。

「それでも、わたしは食べたくないのです」

  王子様は、お姫様の心を動かせずに意気消沈しました。

「……気難しいお姫様。それほどにわたしの言葉が聴きたくないのでしたら、今日は帰ります」

 それ以降も王子様は何度か手紙をよこしましたが、お姫様は捨てることは無くてもお読みになる事もありませんでした。

 数日後、お姫様の友人が訪ねてきました。

 お姫様はやっぱりベッドの中のまま、友人はベッドの際に腰掛けて世間話に混ぜてこのあいだ尋ねてきた王子様の話しをしました。

 友人は熱心にお姫様に語りかけた王子に同情的でした。

「あなた本当に偏屈で強情よね。少しくらい話しを合わせて食べればいいじゃないの。あんたの為に色々知恵を絞ってくれたんでしょうよ」

「そこが嫌なのよ。私のため私のためって、初めて会った人に言われてもね」

「私が言っても聞かないくせに」

 友人はそう言って出されたお茶に口をつけました。

 それからそう経たない内、お姫様にまた縁談が持ち上がりました。

 お相手は、社交会に出てる人も話しにしか聞かないような遠い国の王子様でした。

 その王子様は簡潔な挨拶をし、静かに腰を折りました。

 なんとなく声を掛けづらいその静かな様子のために、お姫様はただ黙って王子様を見つめていました。

 顔を上げた王子様と目が合いました。

 色素の薄い灰色の瞳は中心の黒眼をきつく絞って、お姫様はその視線に突き刺されるような思いになりました。

「あなたが何にそんなにこだわってるのか、わたしにはわかりません」

 王子様は、その冷たい印象とは変わって、ゆっくりと優しい口調で話しました。

「あなたの身体の事はきっとあなたが一番わかるでしょうから、食べるか食べないか、自分で決めなさい。食べないでもし死んでしまったとしてもあなたの選択です」

「……何がおっしゃりたいのでしょうか」

 無遠慮な発言であるにも関わらず、お姫様は異国の王子の声に聴き惚れました。

「……もしあなたがこの婚約をうける気になったら、私はあなたがどこに進もうと、側にいて見守りましょう」

 王子様はその場に立ったまま、あくまで静かに、淡々と言いました。

 それから二人は多く言葉を交わすこと無く別れました。

 独りになったあと、そっけない態度の王子様の言葉が不思議とお姫様の心に深く響き、お姫様はベッドの上でしばらく考え事をしました。

 もうずいぶん前から体の衰えは感じていたし、特にここ数カ月は多くの人から心配されては居たのですが、さっきの王子の発言で初めて死を意識したような気すらしました。本当に、死に近づいているのかもしれない。そうは思って居たけれど、お姫様はまだ二十歳になったばかりでした。きっとまだ大丈夫だろう、まだ生きる時間はある、やり直すまでの時間は残されていると、お姫様はぼんやり納得してまた布団の中に戻ろうとしました。

 すると突然部屋の中が真っ暗になりました。

 窓からさす光も無く、電気を消すより暗い部屋は明らかに異様です。

 お姫様は体を起こして身をかがめ、耳をすましました。

 するとどこからともなく声が聞こえました。

「姫よ。お前はもう気が付いているはずだ」

 決然と語るその声は空気も揺るがす地響きのようでもあり、耳をくすぐるそよ風のようでもありました。

「なんのことです」

「お前の体は内側からどんどん腐り、死んで行っている。物心ついてほどなく菓子を食べ無くなったお前の体は、六歳の頃からその身をそぎ始め、今となっては、たとえ生活を改めても手遅れなのだ」

 お姫様は何も言いませんでした。

 不思議だと思う事はなにもありませんでした。灰色の目をした王子の言うとおり、自分の体のことは察していたのです。生を受けてまだ20年と言えど、その年月は十分に長く、過去を振り返れば色んなことがありました。半生以上をこのベッドの上で過ごしていますが、それでも優しい父や愉快な友人のおかげで、思い出すことは沢山あります。

 お姫様はそれだけの生を、生きる糧無しに過ごしてきたのです。

 当然の報いだとお姫様は思いました。自分の体のことを初めて理解し納得したお姫様は景色の戻った部屋の中、己の全てが壊れてしまったように思いました。

 そして、お姫様は彼女の死を暗に宣言した王子の優しい声を思い出していたのでした。

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