第12話 俺を何だと思ってるんだ


-2024年1月21日(現在) 湘南重工ダンジョン研究部-


「昨夜の異常値、これはやはり……」


 徹夜でデータと向かい合っていた陰野学が、何杯目かも分からないコーヒーを胃に流し込む。

 ようやく仕事に一段落ついて家に帰れそうだと思った矢先、全国に送った試作DE計測器で一斉に異常値が計測されてしまい、彼はまた会社で夜を明かす羽目になった。


「急がないと……」


 昨夜、南方で何かが起きたのは確実だ。対処が遅れれば人命が失われるかもしれない。防衛大臣からも報告を急かされている。

 痛む胃を抑えながら、陰野学はレポートを作り出した。


「陰野くん、おはよう。調子はどうだね」

「ぶっ!? わ、鷲田大臣! おはようございます!」


 アポも取らずに訪れた防衛大臣を見て、彼は思わずコーヒーを吹き出した。


「あ、あのですね、一国の大臣が何回もこんなところに顔を出すのは、いろいろと問題なんじゃないでしょうか?」

「うむ。その通りだ。近いうちに政府系のダンジョン研究所が設立されるのだが、どうだろう、DE研究室長の席に興味はあるかね? 是非とも君にお願いしたい」

「う……」


 陰野学は痛む胃を抑えた。とっくにストレスは許容限界だ。


「か、考えておきます……」


 実際のところ、彼は何も考えないようにしている。自己の精神を守るためだ。


「よい返事を期待している。さて、昨夜のDE反応についてだが」

「は、はい。各地の自衛隊基地に送った試作DE測定器のデータを、地震計データと同じように処理することで、DE反応の中心地は特定できました」

「場所は?」

「四矢島、です」

「やはり」


 鷲田大臣は自らのスマートフォンを一瞥した。

 陰野学の息子が四矢島に渡っている、という報告がある。


「陰野くん。聞いておかねばならない事がある。君の息子はどういう人間だ?」

「歩が何か? ……いい子ですよ? プレッシャーには弱いけど、コツコツ努力のできる人間ですし、嘘やごまかしもしない正直すぎるぐらいの優しい子で」

「悪事に手を出したことは?」

「僕の知るかぎり、一度も無いですね」

「……なるほど」


 鷲田大臣が手を顎に当てて考え込む。


「レポートは急がなくてもよさそうだ。それより陰野くん、少し仕事を休んで息子とキャッチボールでもするのはどうだ? あの年頃の子はね、外からでは平気に見えても、意外と深刻な悩み事を抱えているものだから……」

「は、はい?」

「……いや、忘れてくれ。私に親子関係のアドバイスなど出来るはずがないな」


 鷲田が唐突に研究室を去る。


「僕の息子が、何か……?」


 残された陰野学は困惑するばかりであった。

 レポートを急げと言われたり、いや急がず息子と顔を合わせろと言われたり、振り回されるにも程がある。はやく戻ってきてくれ平穏な日常、と彼は願った。



- - -



 無事に帰りの船へ乗り込んだ俺たちは、相変わらず無言でスマホをいじっていた。

 たまーに血矢が俺を見てニヤニヤする事を除けば、とても平穏な船旅だ。

 乗客も俺と血矢の二人だけ。快適だけど経営が心配になる。


「ん?」


 ふいに窓の外を見ると、海面すれすれを低空飛行するヘリが見えた。

 四矢島のほうに向かっている。


「そういえば血矢、ダンジョン潰したって報告はしたんだっけ?」

「してない」

「今、自衛隊っぽいヘリが四矢島に向かってたけど」

「……あれだけ力を放てば、気付かれるのも無理はない」

「え? 俺なんかやっちゃったっけ?」


 うーん? あんまり覚えてないぞ?


「ふふ……陰野は追い詰められると本性が出るタイプかもね……キレると記憶も飛ぶ」

「俺そんなイキりオタクみたいな生態してないと思う」

「ぷ」

「いま何で笑われたの? 自分のほうがよっぽど厨二病患者のくせに!」


 なんなんだよ。もー。


 そんなこんなで数時間後。

 水中翼船は横浜の大桟橋まで無事に到着した。


「血矢の家も鎌倉だよな?」

「そう。二人で横須賀線乗ろう」

「大船まで東海道のほうがよくないか? 遠回りだし」

「乗り換え面倒」


 タラップを渡り、客船ターミナルへ足を踏み入れた瞬間、俺たちは黒服の男たちに取り囲まれた。待ち伏せされてた、か。


「陰野歩、だね」

「……はい」


 はあ。いつかこういう時が来るとは覚悟してたけど。

 思ったより早かったな。さすが国家権力。


「一緒に来てもらおう」

「私は?」

「血矢ヨモギ。君にも事情だけは聞かせてもらう。すぐに帰れるから心配しなくていい」


 ヨモギ? そんな名前だったのか。かわいい名前じゃん。

 物騒すぎる名字よりヨモギって呼びたいけど、本人は名字の方が好きそうだな……。


「だって。またね、陰野」

「あ、ああ。また」


 あいつ平然としすぎだろ。もう少し動揺とかするもんじゃないの?

 俺なんか内心めっちゃビクビクなのに。


「どこまで連れてかれるんです?」


 黒服は答えない。駐車場まで歩かされ、黒い高級車の後席に乗せられる。


「来たか」


 厳格そうな初老の男性が、俺の隣に座っていた。


「……鷲田防衛大臣……!?」

「数時間ほど付き合ってもらうぞ。事情も必要性も、お互い承知のはずだ」


 リムジンが滑らかに走り出す。

 運転手は防音のヘッドセットを被っていた。俺たちの会話は聞こえないってわけか。


「単刀直入に聞こう。君が例の未来人か?」


 頭が痛んだ。


「……未来の記憶は残ってます」

「君が各所に送りつけた文書の内容は、すべて真実なのだね?」

「文章?」


 えーっと?

 ……あ、ああ。そういえば、初日にそんな事をやったっけ。


「実は、あんまり内容を覚えてないんですけど……」

「何? それでは困る。思い出してくれないか。日本がどのように滅びたのかだけでも」

「……う……」


 痩せ細った人々が食料を巡って殺し合っている景色がフラッシュバックした。


「……シーレーン、がトドメでした。世界中が混乱してサプライチェーンが崩壊し、全世界的な食料不足が起こり、その弱点を知性型ダンジョンコアが狙って……物流の要所になる海峡を抑えられ……直接的な周辺海域の封鎖があって……」

「海上封鎖を行っていたのはどの国だ?」

「国じゃない。ダンジョンです。海中ダンジョンを拠点に水棲の魔物が現れるようになって、一気に人類は……噂だと、一年で十億人以上が……うぐ……」


 鷲田大臣が息を呑んだ。


「歩くんは……そんな世界で生き延びていたのか?」

「……探索者の需要があったので、何とか……」

「……筆舌に尽くしがたい。君のような若人が、それほどの地獄を……」


 鷲田大臣が水を差し出してくれた。冷たくて、美味い。

 これが飲めなくて死んでいった人が、どれだけ居たことか。


「その……カウンセリングが必要ではないか? いい医師を紹介しよう」

「要らない、です。思い出そうとしない限り、意識に浮かんでこないので……」


 鷲田大臣が絶句した。


「君、それは……重篤なトラウマの症状ではないのか? PTSDを抱えた軍人が、そういう症状を見せることがある。やはり投薬を含めて治療を」

「要らない!」


 冗談じゃない。投薬だって?


「忘れたいけど、薬で忘れさせられるのは嫌だ。死んでいった仲間たちのことを覚えてるのは、もう、この世で俺だけなんだ。そんな治療は要らない」

「忘れさせられるわけではないと思うが……なら、是非精神科医への相談だけでも」

「それ以上言ったら、俺はこのドアを吹き飛ばして出ていきますよ」


 苦虫を噛み潰したような顔で、鷲田大臣が頷いた。


「……いいだろう。つまり、人類が備えるべき相手は水中の魔物ということだな?」

「はい。水中の魔物を殺せるDE兵器を開発してください。数年以内に量産して配備できれば、各国の艦隊やタンカーが全滅せずに済むかもしれない」

「だが、地上のほうは備えずともいいのか? そちらも大勢の犠牲が出るのだろう?」

「正確な情報と適切な攻略法を知った上で、ダンジョン素材で作った装備があれば、かなり犠牲は抑えられます。ゼロにはなりませんが……」


 前回よりはずっとマシになるはずだ。


「情報があっても、やはり自衛隊や警察の戦力だけで対処は不可能なのか?」

「ダンジョン相手に数を増やしても無駄です。天才探索者を何人見つけられるかが鍵なので、間口は広くないと。最優先でダンジョンを民間解放するべきですよ」

「そうか……分かった。何とかしてみよう」

「出来るんですか?」


 驚きだ。常識的に考えて、よっぽど被害が出ないと無理だと思ってた。


「君が広めた”予言”の内容は、既に要人の間で広まっている。みな半信半疑だが、部分的に正しかったことは疑いようがない。……一年だ。一年あれば、すべてを整備してみせる」

「もし俺が名乗り出て、力をもって情報が真実だと示したら、もっと早くなりますか?」

「世界中の人々から救世主として崇められた状態で、君は正気を保てるのか?」


 首を振る。無理だ。今はまだ正気だけど、そうなったらダメかも。

 俺、結局、小市民だから。そういう超絶の大活躍は妄想の中だけでいいや。


「……偽善かもしれないが……歩くんに今以上の重圧を掛けるのは気が引ける。それに、昨夜の四矢島で検出された莫大なDEを考えれば、君は切り札になる存在だ。なるべく守っておきたい。”知性型ダンジョンコア”とやらに君を暗殺されては困る」

「昨夜? 何があったんですか?」

「あ、歩くん……」


 すごい顔された。


「う、うむ……そうだな……話題を変えよう。レベルアップとやらでDE関係の能力が増強されるそうだが、レベルアップの詳細な条件は分からないのか?」

「いえ、まったく。経験則として、限界ギリギリの勝負をすると発生しやすいことが分かってたぐらいで、法則や原理は解明できてなかったと思います」

「むう……限界ギリギリ、か」

「民間に解放すれば、勝手にレベルアップする人が出ますよ。放っといても危険に飛び込むような人ほど強くなるので。逆に、準備を整えて安全に戦うまともな軍人はレベルアップしにくかったと思います」

「だからこそ民間解放、というわけか。理屈はよく分かった」


 鷲田大臣は深くため息をつき、頭を抱えた。


「……犠牲者が出るのは仕方あるまい。私が責任を持つしかないようだ」


 ボコボコに叩かれて不祥事で退陣してた事しか覚えてないけど、意外とまともな人なんだな。

 政治家なんてそんなもんか。立派な人でも叩かれるし、酷い悪人でも褒められるし。


「あの」

「うむ?」

「できれば、ダンジョンに潜る許可を貰えませんか? 特例で」

「いや……君にそこまで働いてもらう必要はない。我々が経験を積むためにも、可能な限り自力でダンジョンを攻略していくべきだ」

「そういうのじゃなくて、単に潜って活躍したいだけなんです」

「活躍?」

「はい。ずっと地道な下積みだけで何者にもなれなかった俺に、ようやく回ってきたチャンスなんです。なにがなんでも活躍して一流探索者になりたい」

「……駄目だ。君に必要なのは、何よりも休息だ。戦場から離れて、いったん平和な日常を送りなさい。本格的にダンジョンが脅威になるのはまだ先の話なのだから、一年ぐらい休んでから動いても遅くないだろう?」


 確かに。しばらくトレーニングに集中するのも悪くない、けど。


「大臣」

「なんだね」

「自衛隊が俺を止められると思いますか」


 全力で殺気を放つ。鷲田大臣がたじろいた。

 運転手が急ブレーキを踏み、高級車が路肩にガクンと停車する。


「今の俺、けっこう強いですよ。銃弾ぐらいじゃ止まらない。許可が貰えないなら、押し通ることだって出来る」

「……」


 鷲田大臣がだらだらと汗を流しながら深く呼吸する音だけが、車内に響いている。


「落ち着きなさい。君は平穏に高校生としての生活を送っているじゃないか。なかなかに楽しそうな様子だと聞いているぞ。幸せな日常を壊したくはないだろう?」


 俺を監視してたな。当然か。


「だいたい、自衛隊と戦って犯罪者になれば活躍どころではないぞ? 自分が何を望んでいるのか、そのために歩むべき道が何なのか、君はちゃんと分かっているのか?」

「心配しなくても、本気じゃないですよ?」


 自衛隊に喧嘩売るわけないし。小市民だし俺。

 ここまで焦られるとはなあ。どんだけ狂犬だと思われてるんだ?


「ただ、ちょっと反応を見ておきたくて。行き先も知らさずに車に乗せられて、行き先が人体実験場だったら嫌じゃないですか。最初から俺を殺すような計画があったら、雰囲気がピリついた瞬間に狙撃手が狙ってきたり、前後の車から護衛が降りて銃を向けてきたりするかな、と」

「……馬鹿な事を言うな。護衛も狙撃手もいない。歩くんを殺すなんて論外だ。君がどれだけ殺伐とした世界で生きてきたのか想像もつかないが、平和な日本でそんな心配をする必要はない」

「よかったです。こんな高級車のドアを壊すのは気がひけるんで」


 殺気を引っ込める。鷲田大臣がほっと息をついた。


「で、この車、どこに向かってるんですか?」

「湘南重工だ。歩くんのDEデータを取りたい。研究のためにね」

「先に言ってくれればいいのに」


 データぐらいなら協力するっての。俺を何だと思ってるんだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る