小説を読むと小説を書けなくなる。

残機弐号

21世紀の高慢と偏見

 小説を読むと小説を書けなくなる。


 そんなことない、という人もいるかもしれないけれど、私の場合はそういうところがある。影響されすぎてしまうのだ。高校のころは三島由紀夫に影響されて倒錯した気持ち悪い文章を書いていたし、大学のころは村上春樹を読んで自分の作品の主人公にやたらと「やれやれ」を言わせていた。こっぱずかしい。だから、ここ数年はあまり人の小説を読まないようにして、小説と縁もゆかりもない本を読むようにしている。


 最近読んで面白かったのはピケティの『21世紀の資本』だ。数年前にブームになった経済学書です。この本は19世紀あたりから現在にかけて世界の主要国で資本や所得がどんな風に推移してきているかを丁寧に示してくれている。「r > gなので格差は必然的に拡大する」という主張が有名だけど、分厚い本なので、それ以外にもたくさん楽しい話題が盛り込まれている。そのひとつが、資本と小説の関係だ。


 経済学なんて小説と関係ないでしょ? と思われそうだけど、実はかなり関係がある。というのは、経済のあり方は小説における人間の描き方に密接にリンクしてるからだ。


 本書の中で、ピケティは19世紀の小説を何度も引き合いに出す。とくに何度も言及されるのがジェーン・オースティンの『高慢と偏見』だ。この小説の登場人物はみんな働かない。女性たちは刺繍や庭の手入ればかりしているし、男どもは馬に乗ったり本を読んだりしているだけだ。働け。いや、働いたら負けだ。なぜならわれわれは不労所得者だからだ。


 今の時代、社会における人間の価値の大部分は「仕事ができるかどうか」で決まる。もちろん、優しさとかセンスの良さとかも大事だ。だけど、優しくても仕事でヘマばかりやらかしている人は蔑まれるものだろう。きちんと労働して、任せられた仕事をきちんとこなし、できれば期待以上の成果を上げる人こそが今の時代のヒーローだ。だから、現代の小説にせよアニメにせよドラマにせよ、主人公はだいたいの場合、なんらかの高い能力を持っている。「鬼を倒せる力」「高校生なのにプロ並みのギターの腕前」「異世界転生により身についたチート能力」…。仕事ができる奴だからこそ評価される。仕事ができない奴は脇役に回されるか、日常系や純文学系みたいな特殊なジャンルに追いやられることになる。


 しかし、19世紀はそうではなかった。資産をたくさん持っていることがまず大事だ。プラスαで社交界で上品に振る舞うための会話技術、ファッションセンス、ピアノや歌の腕前などがあれば言うことない。『高慢と偏見』の主人公であるエリザベスとダーシーのふたりは、頭は良いけれど、とくに仕事ができるわけではない(というかそもそも仕事をしていない)。資産の点でいうと、エリザベスよりダーシーの方が圧倒的に裕福だ。エリザベスの家は上流階級ではあるけれど、「上の下」といったところで、それに対しダーシーは「上の上」だ。だから、本当言えばこのふたりは釣り合わない。だけど、ダーシーは高慢かつ口下手で、社交能力にちょっと難がある。逆にエリザベスは高度な会話技術でダーシーの高慢さをぐいぐいなじる。なじられることでダーシーはハッと目覚めて改心する。私は高慢でした。そしてダーシーは人が変わったように優しくなり、エリザベスはダーシーに対する自分の偏見に気づく。そして最終的にふたりは結ばれる。つまり、エリザベスは資産ではダーシーに負けてるけれど、「プラスα」の社交能力でダーシーと釣り合うことができたのだ。


 ただ、いずれにしてもふたりとも働いてない。イチャイチャしてないで働け。いや、働いたら負けだ。われわれは働かずにイチャイチャするのだ!


 今の時代にこんな作品書いたら炎上する。ピケティによると19世紀の格差というのは今の時代とは比べものにならないくらいえげつないものだった。再び格差が拡大しつつある今の時代に『高慢と偏見』みたいな不労所得者たちしか出てこない作品を書いたら、多くの人々の反感を買うだろう。読んだことないけど、『高慢と偏見とゾンビ』というパロディ作品が人気を博したのは、登場人物たちの武力が高いからではないだろうか? こんなに華麗にゾンビを倒せる武力の持ち主たちなら少々贅沢な暮らしをしていても納得いく。つまり、ゾンビを倒せる上流階級の人々は「仕事ができる」のだ。


 こんな風に、資本のあり方によって、小説に登場する人物たちのあり方も大きく規定されてしまう。さて、ピケティによると、これからは労働所得と資本所得の両面での格差がどんどん拡大していくという。労働所得の格差はとくにアメリカでひどいことになっている。資本所得の格差は世界中で絶賛拡大中だ。となると、再び19世紀的な資本の時代に戻ることで、また『高慢と偏見』みたいな作品が生み出されるようになるのだろうか?


 たぶんそれは無いと思う。というのは、19世紀の貧しい人々の多くは文字が読めなかったけれど、今の時代は識字率が当時よりずっと高まっているから。19世紀の貧困者たちは、『高慢と偏見』なんていう小説の存在自体知らなかったろう。21世紀に『高慢と偏見』は書けない。文字を読める幅広い層の人たちから不満が生まれるだろうから。イチャイチャしてないで働け、と。

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