第6話 それは些細な違和感から始まった 6

「あれ?杉江が居ない」


 起きたら杉江が居なかった。寝ている間にもう出てしまったのだろうか。


「なんだ、起こしてくれたらよかったのに」


 朝ごはんを用意するつもりでいたので拍子抜けしてしまった。私は仕方なしに身支度を整えて事務所に向うことにした。


 事務所に着くと杉江がもう来ていた。


「先に出るなら出るって言ってくれないと」


「えっ?」


 杉江が不思議そうな顔で私を見る。


「何を言っているのですか?」


「いや、昨日うちに来て泊っていったのに朝起きたら居なかったじゃないか」


「泊った?私が?」


「泊って無い?」


「家で寝ましたたけど?」


「じゃあ昨夜電話は掛けて」


「ません」


 何が何だか判らなかった。全部夢だったのか。それにしてはリアルな夢だった。ちゃんと色も付いていた。


「悪い、変な事言ってしまったみたいだ。忘れてほしい」


 私はそう取り繕ったが、まだ信じられなかった。本当に昨日杉江は来なかったのか。昨日の出来事は全部無かったのか。あの魚男も?何がなんだか判らなかった。


 就業時間も終わりかけた頃。今日はそれまでボオーっとしていた。窓側の席なので西日が眩しい。その所為もあって頭がボオーとしているのだ。ふと窓の外を見た時、視界の端に異様なものが入り込んできた。魚男だ。目を擦って見直してみた。やはり昨日の魚男に間違いない。こっちを見ている。と言うか、私を見ている。視線が離せなかった。すぐに杉江に話しかける。


「杉江、昨日の奴だ」


「昨日の奴?」


「ほら、あそこでこっちを見ている。お前がダゴン秘密教団の関係者だと言った奴だ」


「待て待て、なんでその名前を知っているんだ?」


「昨日杉江が教えてくれたんじゃないか」


「昨日?そういえば朝そんなことを言っていましたね」


「昨日杉江が泊りに来て話してくれたんだよ」


 私は昨日の出来事を話した。あの言葉も。


「判りました。あなたがそんなことを知っているとは思えなかったし、今までそんな話をしたこともなかったからあなたの知識ではないだろうという事は理解できます。となると私が伝えたという事も確かに想像出来きますけど私にはその記憶が全くありません。昨日あなたの部屋に行ってもいないし、その魚男の話も聞いていないしダゴン秘密教団の話をあなたに話してはいない。でもあなたは私からその話を聞いたという。これはどういうことなのでしょう」


「それより、あいつ」


「そうですね。まだこっちを見ているみたいです。あれはインスマス面(づら)ですね」


「インス?」


「インスマスですよ。インスマス面(づら)っていう独特な魚類に似た顔の人間のことです。でも日本で見たことはなかったのですが」


「えっ、日本じゃない所で見たことがあるのですか?」


「あ、まあ、そうです、見たことはあります」


 杉江は何故だか少し濁した。都合の悪いことがあるのだろうか。


「とりあえず裏口から出ましょう」


 杉江は私を送り出して自分は魚男の様子を見に行ってくれた。駅前のスタバでまっていると杉江がやってきた。


「あいつ、ずっとあの場所から離れないで私たちの事務所を見ていましたよ。間違いなくインスマス面(づら)でした。あなたが言っていたダゴン秘密教団の関係者でしょうね」


「そうですか。でもダゴン秘密教団っていったい何者なんですか?どうも普通に宗教には思えないのですが」


「普通の宗教じゃないのは確かですね。ある目的のために組織された集団で宗教とは本来ちょっと違います。クトゥルーの復活を目論む深き者どもやインスマス面(づら)、その子孫たちの集団なのです。本来はアメリカのマサチューセッツ州インスマスにしかいない筈なんですが」


「アメリカ?あれはアメリカ人だったのですか。魚類の要素が強すぎて何人なのかわかりませんでした」


「アメリカ人と言うか人間とそれ以外のものの間に産まれた、ということは間違いありません」


「そんなことがありえるんですか?人間以外っていったい」


 杉江によると深き者どもというインスマス面(づら)よりも魚類に近いクトゥルーの眷属がいて、深き者どもと人間との間にインスマス面(づら)が産まれるらしい。クトゥルーの眷属の子孫なのだから当然クトゥルーの復活を画策しているのだ。


「でも結局なんで私のところに来るのかが判らないよ」


「問題はそこですね」


「杉江にもわからないのか?」


「さっぱり」


 杉江に判らないのなら私に判る筈がない。


「もう少し私の方でも調べてみますよ。今日は部屋に戻ったら誰が来ても開けちゃ駄目ですよ」


「判っている」


 私は言いつけ通り部屋に戻ってから一歩も出なかった。その日は誰も訪ねても来なかった。

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