第60話 お前はオレの

 ちなみにローゼが現在どこにいるのか、ユスティーナにも分からない。アルウィンは彼を咎めようとはしなかったが、ローゼがナインと通じ、王家に二度も牙を剥こうとしたのは事実なのだ。何よりローゼ自身が「見聞を広めたいんですよ。それに、いろいろと居心地も悪いんでね」と笑って旅立ってしまった。


 彼の言う居心地の悪さの一部が、失恋の痛みであることにヴァスは気付いている。気付いているが、恋敵を応援してやるほど彼は優しい男ではない。だいいちこちらも、遠回しは一切通じないと分かった仇敵を仕留めるのに忙しいのである。


「仕方がないだろうが。オレにとってのお前は、神話の時代より恋い焦がれた女神なのだ。それはお前の一部に過ぎず、大半の部分は高慢と謙遜が複雑怪奇に絡み合った、この上なく面倒な女だということが分かっても……いや、だからこそ……」

「え、えええ……」


 真正面から突き付けられた言葉をやり過ごす術は奪われている。ユスティーナは意味のないつぶやきを零しながら、じりじり後ずさるしかない。


 自分が非常にもてること、それ自体はユスティーナは大いに自覚している。だがそれは、銀月の君として以外の部分の否定と合体している。


 そう誘導してきたイシュカが去っても、幼い頃から魂に染み込まされた感覚はなかなか消えない。ヴァスからの憎悪も侮蔑も受け入れられるが、愛していると言われてもすぐには飲み込めない。


 ただのユスティーナなんか、そもそも誰にも必要とされていないはずなのに。


「しゅ、趣味が悪いのはお友達だけにしてください。前からあなたはすてきな人でしたが、今なら大抵の女性は……ひぃっ」


 なぜこの期に及んで、あのヴァスが自分などを求めてくるのだ。やっぱりこれが、彼の復讐なのでは?


 ぐるぐる堂々巡りを繰り返す思考は、背中が壁に当たる感覚で止まった。知らぬ間に壁際に追い詰められていたのだ。巧みに警備兵からも遠ざけられてしまったと気付いた時には、もう遅かった。


 どん、と鈍い音があたりに響く。すかさずヴァスが突き出してきた彼の両手が、ユスティーナをその間に閉じ込めた。元から猫背気味の男が、さらにぐっと背を丸めて顔を近付けてくる。


「盟友殿以上に、オレはしつこい男でな。向こうは玉座を諦めたらしいが、オレはお前を諦める気はないぞ。何千何百年と振られ続けてきた記録に、今さら何年足そうが大した痛手ではない」


 趣味が悪いお友達ことヴァスの盟友、ナインは、ローゼの馬車で一度は逃げ出したものの、最後には自分の足で湖の離宮に戻ったという。曰く、「ここで税金を無駄遣いさせることこそが、もっとも効率が良い嫌がらせだと分かった」とのことだった。


 ヴァスが彼の顔を見に行く様子は現状ない。それでいいのだろう、とユスティーナも思っていたが、自分に迫ってくるぐらいならナインに会いに行ってほしい。内乱を起こす気さえないならば、彼との友情を温め直すほうがまだ建設的だと思う。


「だ……けど、私はいまだにあなたと初めて出会った時のことを思い出せない薄情者ですし、卑怯な手を使ってあなたを殺そうとしたんですよ……?」


 カイラ山中の森の中での出会いについて、ヴァスは詳細に教えてくれたのだが、ユスティーナは結局何一つ思い出せなかった。あそこについてはイシュカが迎えに来てくれた場所、そしてローゼと再会した場所という印象が強すぎるのだ。


 理由あってのこととはいえ、ヴァスとの思い出を共有できないことは申し訳なく思っている。しかも共有できたとしても、中身は「わたしとつりあう人としか、けっこんできないの」である。


 すでに出会っていたイシュカに、「僕以外の男の人に、結婚を申し込まれたらこう言うんだよ」と教えられていた台詞なのだ。まだ本性を見せていなかったものの、ユスティーナが多くの男性を惹き付ける未来を知っているイシュカは、悪い虫が付かないよう早々に仕込んでおいたのである。


「……いまだに広場での出会いを思い出さないことについては、正直はらわたが煮えている」


 ちかりと金の瞳を瞬かせたヴァスは、怒りと憎しみを消すことなく、悪辣な笑みへと変えた。


「それさえも、構わんさ。また太ってもいい。嫌われてもいい。ああ、いっそ本当に、侍女たちや兄にさえ愛想を尽かされるような存在になるがいい」


 生きたクリームの山になっていた姿まで見た上で、こうして迫っているのだ。むしろもっともっと、この腕の中だけに堕ちてこいと獣返りは囁く。


「そうなればもう、オレにすがらざるを得んさ。そうだろう? 我が女神よ。今となっては双子どもも、オレの味方だからなぁ」


 イシュカが去り、ローゼが旅に出た今、サラもリラもヴァスを応援してくれている。「悲しいですけどユスティーナ様に付き合えるのは、もうあれしか残ってないんですよ」「性格以外に問題のない者同士、お似合いですよ」と本日の舞踏会の準備中も、散々言われたのだ。


「あ、あ、悪趣味、です……あなた、悪趣味だし卑怯です……!」


 じたばた身もだえるユスティーナを見下ろしてにやにやしていたヴァスが、ふと表情を引き締めた。


「悪趣味ついでだ。足を見せろ」

「へ?」

「見たい」

「ぎにゃっ!?」


 言うなりヴァスがドレスの裾をめくり上げ始めたので、ユスティーナは彼女のほうが猫のような悲鳴を上げてしまった。


「だ、誰かっ、んむむむ」


 最早、どこから見ても暴漢に襲われている図である。引っくり返った声で助けを求めようとしたユスティーナの口をヴァスが覆う。月明かりの下に、白い肌がさらされる。


 とんでもない暴挙に出たヴァスだったが、その動きは極めて慎重だった。左足のふくらはぎまでを露わにしたところで、彼の手は完全に止まった。薄い傷痕が幾筋も残った肌を見る、そのまなざしに邪な感情は一切感じられない。


「あっ……」


 ユスティーナが手ずから刻んできた「反省」の跡。それに青ざめる暇もなく、ひざまずいたヴァスの唇が、膝小僧にそっと口付けを落として離れていった。


「痛かったな。独りで、よく耐えた」


 すっと立ち上がったヴァスの手が、今は降ろしているユスティーナの髪を優しく梳く。そのまま抱き寄せられたユスティーナは逆らうことなく、うん、と子供のようにうなずいた。


「い、痛かった」


 お前の努力も、オレは分かってやれる。いつかヴァスに言われた際に、突然堰を切った涙が再びあふれ出した。


 憐れまれたいわけではない。私はかわいそうなんかじゃない。


 決してそういうわけではないが、ただユスティーナも、心の底では認めてほしかったのだ。自分でさえ当たり前の責務だと、眼を逸らして通り過ぎていた努力を。称賛の輪の中で孤立し、枯れ葉さえ口にして耐えてきた過程を。


「わたし、本当は、ずっと、ずっと、痛かったの……! 痛かったけど、が、が、がんばったの……!!」

「……そうだな。もう、知っている」


 生まれつき太陽の恵みを浴びている銀月の君。世界一幸福な少女として崇められ、それゆえに妬まれ蔑まれてさえいた姫君。背に回った彼女の手に、双子が腕によりをかけて整えてくれた赤毛をぐいぐい引っ張られながら、ヴァスはその耳元に誓う。


「もうお前の命は狙わない。ゆえにオレの復讐は終わらない」


 愛憎渦巻く月の女神の生まれ変わりをこの手にかける。真の復讐よりも甘美なものを、ヴァスはついに抱き締め、同じだけの強さで抱き返された。


「終わらないから、ずっと側にいる。そういえばお前、気軽に婚約を申し込んでくれたことがあったな。ならお返しだ、オレと婚約しろ。いいな?」


 泣きじゃくりながらうなずくユスティーナの黒髪を、根に持つ性格の仇敵の指と月光が、飽きることなく撫で続けてくれた。


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隠れ束縛系婚約者に捨てられましたが、殺したはずの仇敵が復讐しに来たので良かった! 小野上明夜 @onogami

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