第58話 真の復讐

 こうしてナインの二度目の反乱は、マーバル王国を揺るがせる一大事になる前に幕を閉じた。独り、黙って立ち上がったユスティーナと、黙してその姿を見守るヴァスに、アルウィンは意を決したように切り出した。


「ユスティーナ。恥ずかしい限りだが、私はお前とその男が揃ってここにいる理由が、いまいち飲み込めていないんだ。イシュカは……私に、本当のことを話してくれていた様子がないし」


 ここに至る大筋はイシュカから聞いてはいる。ただしアルウィンも、イシュカが自分に対しても隠し事をしていると察している。特に愛する妹との、関係性について。


 立場上聞けなかった真実を、今なら聞くことができる。愛する兄の言わんとするところを察し、ユスティーナも心を決めた。


「ええ、国王陛下。もちろん、全てお話しします。このような時刻ですが、宮殿にお邪魔してもよろしいでしょうか? ヴァスも、一緒に」

「もちろんさ。さあ、早く。民をできるだけ早急に安心させてやりたいしね」


 ナインの攻撃が始まると事前に分かっていたのだ。ラージャ宮殿はここしばらく臨戦状態にあり、内部では現在も多くの人々が息を殺している。ナイン軍が潜んでいた付近の住人も同様だ。獅子に驚き、逃げ散った者たちの動きも気になる。


 今回の件にまつわる全ての情報を集めた上で、アルウィンはイシュカの手助けなしに、今後の方針を決めねばならない。無論ユスティーナは銀月の君として、この国を愛する者の一人として、情報提供を惜しむ気はない。


 ヴァスも同じ気持ちでいてくれたようだ。勝手に同行を申し出たユスティーナに文句を言わず、当たり前のように共に来てくれた。警備兵たちは動揺を見せたが、アルウィンの目配せによって渋々引き下がった。


 これならきっと、大丈夫。そう踏んだユスティーナは、何やら感慨深そうな眼でラージャ宮殿を眺め回しているヴァスに声をかけた。


「ヴァス。陛下とのお話が済んだら、あなたの髪、少しだけ触らせてくれませんか?」

「は、はあ? なんだ、急に」

「本当は、巨大な猫さんの姿の時にたてがみに飛び込ませてほしかったのですが……そこまで贅沢は言いませんから」


 激しい戦闘も終わって振り返れば、惜しいことをした気がする。あのふかふか具合、可能なら全身で堪能してみたかった。しみじみとつぶやくユスティーナを見るヴァスの表情が、次第に焦りを帯びていく。


「それは……当たり前だ! だが、どうした。どうして……そんな顔をしている? もう全て、終わったというのに」

「ええ。もうおしまい」


 ナインの二度目の反乱は終結した。存在の必要性がなくなったイシュカは世を去った。


 銀月の君も必要なくなった。


「髪を触らせてもらったら、あなたの望みを叶えます。イシュカ様がいない私と本気で戦いましょう、ヴァス。そこで私に復讐して、あなたは望みどおり、みんなに認められて幸せになるの」


 残っている問題はヴァスの復讐だけだ。彼の真の望みに応じ、今度こそ正しくユスティーナが負ければ、ヴァスが並ぶ者なき戦士であることが知れ渡るだろう。彼の努力は、ようやく報われるのだ。


※※※


 巨大なドームの上部にもうけられた明かり取りの窓越し、静かに地上を照らす月の位置は夜半に差し掛かったことを示している。


 ナインの反乱、銀月の君の幽閉と不幸な出来事が重なり、ここ一年ほどはラージャ宮殿でも大規模な宴は開かれていなかった。あらゆる物事が収まるべき時に収まった今夜、再開された舞踏会の場にどよめきが広がっていく。


「銀月の君だ!」

「ユスティーナ様……以前よりもお美しくなられたような」

「ほ、本当に、あの獣返りを伴って来られた……!」


 銀月の君、ユスティーナ。その象徴である純白に濃紺をあしらったドレスで現れた彼女は、不遜な金目の美青年と共に会場に姿を現した。見た目も性格も派手好きで悪名高い獣返り、ずっと王家と敵対していたあのヴァスと共に。


 国王の名で前もって知らされていたこととはいえ、半信半疑だった招待客たちは目の前の光景に興奮を隠せない。ナインが二度目の反乱を起こそうとしたが、ひそかに生き延びていたヴァスはユスティーナに協力し、かつての戦友と戦った。その功績を認められて領主に返り咲いた彼は、長く王国に蔓延し続けてきた獣たちの地位向上のため、今後も働くのだという。


 広く開示された物語はそれなりに美しくはあるが、おとぎ話のようにきれいに整いすぎている。何か裏があるに違いない。ユスティーナが懐柔されたと話す者、ヴァスが躾けられたと話す者、どちらも議論が白熱している。


「な……なんて、恥知らずな方。イシュカ様が天にお帰りになったと思ったら、長年争ってきた怨敵と手を結ぶなど! 銀月の君の名折れだわ」


 手にした扇をへし折りそうな勢いで歯噛みしているのは招待客の一人である令嬢、ウルールである。


 ナインの野望が二度にわたり挫かれ、それにより役目を終えたイシュカは消えたという話も同時に開示されていた。彼の運命はウルールも知っているが、残された銀月の君はその消滅に生涯殉じるべきではないか。それが、語り継がれてきた、ウルールが信じてきた神話というものではないか。


「そうよ。私は断じて認めない。月の女神の生まれ変わりの対は、常に太陽神と決まっているのだもの……!!」

「悪かったな」


 横合いから飛び込んできた声にぎょっとしたウルールを、獣の金目が貫いた。彼女のみならず、側にいた彼女の友人たちも、いきなりヴァスに睨み付けられて固まっている。


「ご機嫌よう、ウルール」


 苦笑気味にユスティーナが挨拶したところで、場の緊張感は収まるどころか高まる一方だ。危険を察知したウルールの友人たちは慌てて頭を下げたが、ウルールは果敢にユスティーナを睨み付けた。


「な、何がご機嫌ようなものですか。ふんッ、イシュカ様一筋という、数少ない美点を失われたとはね! どうせまた何か失敗して、完全にあの方に捨てられたのでしょう!?」

「……そうかもしれませんね」


 やけになったウルールが挑発しても、ユスティーナは乗ってこない。罵倒のお返しに身構えていたウルールは思惑が外れてしまうも、必死に挑発を繰り返す。


「し、しかも、イシュカ様の後釜が獣返りとはどういう了見なのです!? 憎み合っているとすら噂されていたのに、どうして……! おかわいそうに、イシュカ様……!!」

「……そうですね。あの方は、とても疲れているようだった」


 ユスティーナもまた、どこか疲労をにじませた声で同意を示した。落ち着いた穏やかな口調は、子供の頃から聞かされ、実物と出会うまで憧れていた銀月の君を思わせる。ウルールの声が震えを帯びた。


「な、何よ。やめなさいよ。前みたいに、嫌味たらしく言い返して来なさいよ……!」

「ウルール、あなたこそやめなさいって」

「ユスティーナ様、申し訳ありません。この子ってば一度はイシュカ様に家に来ていただけたものだから、何か勘違いしてしまっているようで……!」


 これ以上放っておけないと、ウルールの友人たちが必死に彼女を止める。それでもユスティーナは、以前までのような、そう命じられてきた時のような、高圧的な態度に出ることはなかった。


「構いませんよ。ウルールが言っていることは事実です。邪魔をしてしまってごめんなさい。ヴァス、行きましょう」

「ああ。少し外の空気を吸おう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る