第46話 王として、兄として

 舞踏会などが執り行われている夜は、月さえ必要ないとでも言いたげなきらめく火灯りに取り囲まれているラージャ宮殿。だが本日は警護のために置かれた最低限の火だけを掲げ、闇の中で眠ったふりをしている。


「イシュカ、本当に大丈夫なのかい……?」


 ラージャ宮殿の最奥、国王の私室で不安そうにつぶやくのはアルウィンだ。ユスティーナの兄であり、マーバル王国の至尊の座を得て八年が経過している。


 臣下や国民の前では懸命に威厳を保っている彼だが、後見人的な立場のイシュカの前では不安を隠せない時もある。現在のように、目の前に戦火が迫っていればなおさらだ。


「もちろん。僕が今まで君の信頼を裏切ったことがあったかい? アルウィン」


 純金を紡いだような、陽光をより合わせたような金髪をさらりとかき上げ、イシュカは微笑んだ。


「それは……ない、けれど……」


 アルウィンは妹の美貌にもう少し繊細さを加えた印象を持つ、黒髪の青年である。特にこの一年、ナインの反乱、その終幕におけるユスティーナの卑劣な行為と婚約破棄、両者の事実上の幽閉という心労が積み重なった結果、一時期は妹とは逆に哀れなほどやせ衰えていた。


 現在は良くも悪くも落ち着いている。内乱によりごたついた国内を、彼は残った臣下たちの力を借りて必死に鎮めた。タルマガなどの近隣諸国が、この期に乗じて不穏な動きを見せないか眼を光らせ続けた。


 ユスティーナを見限ったイシュカが、自分の前からも去ってしまったのは辛い。しかし近頃は、彼らの手を借りねばならない事態は去ったのだと諦めが付いていた。


 ここから先は太陽神でも月の女神でもなく、国王であるアルウィンがこの国を守る。自分が立派に務めを果たし続ければ、いつか国民たちも従兄弟と妹を許してくれるかもしれない。


 そう決意していくらも経たないうちに、ナインがまた反乱を企てているという噂が流れ始めた。同じ噂を耳にしたようで、イシュカまでもラージャ宮殿に戻ってきた。そして彼はこうアルウィンに進言したのだ。


『まことに残念だがアルウィン、君の優しさは再び裏切られようとしている。分かっただろう? ナインに情けをかけたところで、同じ悲劇が繰り返されるだけだ。もう二度と愚かな真似をさせないよう、徹底的に教え込むしかないね』


 ナインの二度目の反乱を抑え込むのではなく、あえて好きにやらせてやろう。救えない彼の愚かさを今一度太陽の下にさらし、ついでに残党たちも呼び集めて一網打尽にしよう、と。


『で、では、ユスティーナを呼び戻すかい?』


 もしかするとイシュカは、銀月の君の活躍の場を再び用意するためにも、あえてナインに戦いを起こさせるつもりなのか。期待を抑えきれず尋ねたアルウィンに、イシュカは薄く笑ったのだ。


『おや、僕がいなくても立派にやっていた国王陛下らしくもない。兄の愛を優先し、民にかける迷惑を考えないとは』

『あっ、いえ、決して……いや、そうだ。申し訳ない、ユスティーナが哀れで、つい……』


 イシュカは、こんな嫌味を言う人だっただろうか? ……ユスティーナ相手にならば、とにかく。しどろもどろになりながら弁解するアルウィンに、イシュカは意味ありげな間を置いて続けた。


『でも、そうだね。彼女がきちんと反省しているのなら、僕も考えなくはないよ』

『本当か!』


 ぱっと輝いた、妹によく似た顔立ちをじっと見ながらイシュカはうなずいてくれた。


『そう。きちんと、反省しているのなら、ね』


 結局イシュカの提案を受け容れたアルウィンは、ナインの怪しい動きに気付かないふりをして時を過ごした。その間にナインは大胆にも湖の離宮を脱出し、ラージャ宮殿を焼き討ちする準備を着々と進めている。大胆すぎて兵を隠している場所が宮殿にかなり近く、気付かないふりに苦労するほどだった。


 イシュカの話によれば、ユスティーナがあのような手を使ってまで殺したはずのヴァスが生き延びているそうなのだ。彼の生存がナインの再起の理由でもあるらしい。


 では伏兵を使ってまでヴァスを始末しようとしたユスティーナは、無用な恥を掻いただけに終わったのか。妹を愛するアルウィンもさすがに疲労を覚えたが、イシュカも戻ってきてくれたのだ。こちらから何も言わずとも、ユスティーナがどう出るか、それを見定める機会をくれたのだと思おう。


 このように妹の未来については希望を見出したアルウィンだったが、その希望は従兄弟の愚かさを土台にしているのだった。 


「ナインは、どうしてこんなに私のことが嫌いなのだろうね。幽閉と言っても形だけだ。自由に外に出してはやれないが、ある程度の贅沢も許してやった。彼にさえその気があれば、臣下として呼び戻すことも……とそれとなく伝えはしたが、言うたびに勝者の傲慢だと罵られてしまうんだよね……」


 窓の向こう、夜闇に紛れてちらちら踊る火灯りを見つめてアルウィンはつぶやいた。ヴァスが間に合ったかどうかは知らないが、ナインはすぐにも仕掛けてくるつもりのようだ。


「傲慢と言われようと、序列は明確にする必要がある。そうでなくては国が乱れる。民が、苦しむ……」

「ああ、そうだよ、アルウィン。君の言うとおりだ。世界には決まりがある。それに従わなければ、しわ寄せはより弱いところへ行く」


 ナインに、ヴァスに強者の傲慢を振りかざすなと罵倒されるたび、ユスティーナも「知ったような口を、地位と力を生まれ持っているのはあなたたちもでしょう!」と叫び返して来た。イシュカの教育のたまものである。


 ずっと素直に言うことを聞いていれば良かったのに。冷めた思いを隠して、イシュカはアルウィンに言い聞かせた。


「前の時は、優しい君の意見を汲んだが……分かっただろう? ナインは生まれ付き、この国に害をもたらすよう運命付けられた存在なんだ。これ以上愚かな真似を繰り返させるのは、ナイン自身にとっても不幸なことだよ。終わらせてやらなければならない」


 穏やかに、それでいて有無を言わせぬ圧を秘めて言い切ったイシュカの瞳が底光りを帯びた。


「さあ、時は来た。僕が全て片付けてくるよ。君は何も心配せず、ここで終わりを待っていればいい」

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