第38話 お前を殺す日

「ですが、ヴァス。私が長くないからこそ、あなたには本当に求めるものを得てほしいのです。復讐の機会は、一度しかないのですよ」


 最大限、ヴァスの望みを叶えてやりたいとは考えているが、さすがに一回しか殺されてやれない。世界にまた何事か起これば、イシュカと共に転生する定めではあるものの、そう簡単に復活はできないだろう。


 そもそも現在、ヴァスは復讐を第一に考えているのだろうか。ユスティーナの希望も入っているのかもしれないが、どうにも最近の彼は迷っているように見えてならないのだ。


「ほしいものがあるのなら、私を殺す前に言ってくださいね。事前に用意が必要なものですと、間に合わないかもしれません」


 ユスティーナへの復讐は第一ではなかろうが、ヴァスの新しい人生の第一歩にはなるだろう。その先で彼が得られる幸福の足がかりになりたいと、熱心に訴えるユスティーナからヴァスは堪えきれなくなったように眼を逸らした。


「そ、そうだな……、ぬ」


 逸らした先にとある人影を見付けたヴァスが口ごもる。噛み合わない二人に素知らぬ顔で近付いてきたのは、馬番も板に付いてきたローゼだった。


「ユスティーナ、今手を止めてるなら丁度いい。乳白茶の配達だぜ」

「あら、おいしそう! ありがとう、ローゼ。いただきます」


 茶菓子として添えられた、グラジャブンの甘い香りが疲れた体にはありがたい。過酷な山籠もり計画こそ取りやめたが、食事量自体は最盛期の半分の半分、要するにごく一般的な量にまで戻している。ヴァスとの訓練で消費する分を計算すれば、これぐらいは大丈夫とマリエルが保証してくれたのだ。


「そりゃ良かった。ヴァス、運ぶのを手伝えよ」


 ユスティーナが手にしていた弓を置いてくる間にと、ローゼはさり気なくヴァスを呼び立てた。そして、渋々近付いてきた彼に陰で凄んだ。


「オイコラ。月を砕くのなんのと格好付けておいて、もう五日目だが?」

「……勘違いするな、相応しい時期を待っているだけだ。ここであれを殺せば、すぐに気付かれる。逃げ道をきちんと用意してだな……」


 小さな卓の上に手際良くローゼが持ってきた茶器を並べながら、ヴァスは弁解するのだが、大見得を切ったあの夜の迫力は微塵もない。やっぱり牙を抜かれてんじゃねえかと、茶を注ぎつつローゼはせっついた。


「ぐずぐずしてたら、ナイン様が再起の時期を逃しちまうだろうが! 下手すりゃイシュカに勘付かれて、俺たちが駆けつける前に全部台無しになっちまうかもしれないんだぞ。てめえ、まさか、それが狙いじゃないだろうな……!?」


 ごにょごにょと言い合いをしている間にユスティーナが近付いてきたので、ローゼは舌打ちを隠して去ろうとした。


「……また夜にな、ヴァス。じゃあユスティーナ、俺は仕事に戻るぜ」

「え? 行ってしまうの? ローゼ。あなたも一緒に飲みましょうよ。あなたの分のカップもありますし」


 並べられた茶器は三つある。ヴァスへの文句に注意を奪われていたローゼは今気付いた顔になり、うえ、と情けない音を出した。


「お前、なんで俺の分も並べたんだよ!」

「持ってきたのは貴様だろうが!」


 責任を押し付け合う二人。ヴァスのほうが五歳ほどは年上だと思うのだが、序列を重んじる性格のローゼも、彼には遠慮している風がない。男同士だからかもしれないが、隔てのないやり取りがユスティーナには少し羨ましかった。


「ローゼはもうすっかり、ここに馴染んだみたいね。本当に嬉しいです!」


 結局ユスティーナの望みどおり、ヴァスもローゼも一緒に茶を飲むことになった。にこにことカップを傾けながら、ユスティーナは幼馴染みに語りかける。


「……そうかよ」


 そわそわと膝を揺らしながら、ローゼは生返事をするばかり。ヴァスもだが、最近の彼はよくこんな反応をする。


「でも、ねえ、ローゼ。あなたも本当は、無理をしていない?」


 おもむろにユスティーナが切り出した途端にローゼだけではなく、ヴァスも口に含んだ茶を噴き出しそうな表情になった。双方に壁を感じる頻度が高くなっているせいか、揃った態度に嫉妬すら覚えてしまいそうだ。


 贅沢になってしまったねと、頭の中でイシュカがささやく。ユスティーナの至らなさを突き付ける声さえ、彼が去ってからの日々が重なったせいか、最近は遠く聞こえる。そうですね、とあるがままの心でうなずけるぐらいに。


 ヴァスにもローゼにも憎まれていることは理解している。そんな二人が師匠として、御者として、側にいて優しくしてくれているのだ。それでも足りないなど、我ながらわがままになってしまったものだと、ユスティーナは自分を戒めた。


「帰ってきてくれたのは嬉しいです。昔と同じように接してくれるのも、嬉しいです。私がいなくなった後も、ローゼにはここで幸せに暮らし続けてほしい」


 浅い夢を切り捨てるように断じたユスティーナは、逸らされたローゼの視線を追って彼と眼を合わせる。磨いた黒曜石のごとき、艶々した大きな瞳。頬の丸さが薄れた分、一層目立つその眼に魅入られたようにローゼは動きを止めた。


「だから、ヴァスが復讐を終える前に、何か私に言いたいことがあれば言ってください。欲しいものがあるのなら、可能な限り用意します。……ここでの暮らしが嫌なら、王家とは関係のない働き口を探します」

「……別に、ここが嫌ってわけじゃ……」


 愛らしい唇が開閉する様を見ないようにしながら、ローゼはうつむき加減につぶやく。


「そう? ならいいのだけれど。秘密は守るから、本当に何かあれば早めに言ってね。あなたは時々、戻ってきたことを後悔しているように見えるから」


 グラジャブンに手を伸ばしながらユスティーナが駄目押しすると、二人の男はまたしても茶を噴く寸前の表情になってしまった。


※※※


 その日の夜、再びローゼの部屋を訪れたヴァスは、入室するなり決意表明をした。


「貴様の言いたいことは分かっている。決行は明日の夜だ。準備をしておけ」

「お、おう! 今からでもいいぐらいだぜ、俺は!!」

「無論だ。オレとて今からでもいいのだ、本当はな! あえての明日だ!!」


 互いの強気な発言と競り合うようにしながら、彼らは決行の日を決めた。

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