第36話 俗物よりも

『起きているな。開けろ』

「……そういや一方的にだが念波を投げかけられるんだったな、獣返り」


 昼間、隙を見て打ち合わせておいたとおりに訪れたヴァスを、ローゼはすばやく部屋の中に入れた。親子二人が暮らしていたため、自分に割り当てられたより少し広い室内を軽く見回してからヴァスは口火を切った。


「話がある、と言っていたな」

「ああ。だが、俺が何を話す気か、お前も大体分かってるんじゃないか?」


 試すような問いかけに、ヴァスはさらりと応じる。 


「オレがここにいると、貴様は知っていた風だったからな」


 朝方ヴァスと再会した際、ローゼは「本当に生きてたのかよ」とぼやいたのだ。ヴァスはユスティーナに殺されたものと思っているのなら、出てこない言い方だ。再会の喜びに気を取られていたユスティーナは気付かなかったようだが。


「ふん、耳聡い野郎だ。まず、お前が多分分かっていない情報をやろう。ナイン様が、再起される」

「なに」


 つまらなさそうに吐き捨てたローゼが投げ寄越してきた情報に、ヴァスは大きく目を見開いた。


「本当か、それは」

「ああ、一部では噂になり始めている。幸いここには、まだ情報が届いていないようだがな。内乱再びとなれば、銀月の君にお呼びがかからないはずがないが、ナイン様がうまくやっているんだろう」


 やっと驚いたかと、ローゼは薄く笑った。


 マリエルなどの反応から、離宮内の状況は確認済みだ。ナインの動きが怪しいとなれば、ユスティーナものんきに山籠もりなどするはずがないと、ヴァスもローゼの言葉を認めた。


「それで、ナインを見限ったお前はどうするんだ? お前があいつをどうしようもない俗物だと考えているのは、事実だろうが」


 その上で真意を問えば、ローゼは屈託のない笑顔が似合う顔に暗い影を落とす。


「そうだ。向こうも俺のことはたかが御者のガキ、大して役に立たないのだから、親父の分も恩返しなどできるものかという態度だったからな」


 昼間ナインについて語った言葉に嘘はない。ローゼは彼に一定の恩義は感じている。


 ただしそれ以上に、恩着せがましい嫌なやつだと思っている。


「だが、こうも言っただろう。俺は王家への当てつけでナイン様に味方した。ナイン様はろくでなしだが、あの人に世話にならざるを得なかったのは、何の罪もない俺たち親子を追い払った、イシュカとユスティーナのやつのせいだ!」


 ナインのことは嫌いだが、イシュカ、そしてユスティーナへの憎悪がそれを上回るのだ。ヴァスもそうだろうと、暗く燃える眼が言っている。


 現在は少し事情が違うが、ローゼ父子がここを追い出された時とはつまり、アルウィンが玉座を得た時である。その立役者となった運命の恋人たちに、文句を言える者はいなかった。


 王となったアルウィンさえ、すまなさそうな眼をしながらもイシュカの命令に従った。マリエルも双子の侍女たちも気の毒そうにはしてくれたが、召使いの身で同じ召使いに情けをかけてくれなどと、口に出せるはずがない。


 唯一止められるとしたら、身分差はあれ幼馴染みも同然のユスティーナだったはずだ。しかし彼女はお前のせいだとローゼに責められても、青い顔をして黙り込んでいるばかりだった。出会った頃のおてんばぶりは見る影もなく、イシュカの操り人形になってしまっていた。


「今さら反省して見せたって、遅いんだよ。とうとうイシュカに捨てられたからって、媚びてきやがって……」


 離れた直後は銀月の君としてもてはやされていたユスティーナだったが、耳に入る噂はどんどんひどいものになっていった。イシュカという太陽を笠に着て、我が物顔に振る舞う月の女神の生まれ変わり。かつての彼女を知っているからこそ、聞くに堪えない。


 もっともユスティーナのほうは、ローゼのことなど思い出しもしないだろう。ナインにも復讐の時だ、とささやかれたローゼは内乱に参加した。


 そしてユスティーナと再会し、想像していた以上の屈辱を味わわされたのだ。不快な思い出に奥歯を噛み締めたローゼは、ヴァスに念を押す。


「お前も復讐しに来てるんだよな、ヴァス。えらく手間暇掛けて、ここの連中に取り入っているようだが……それにしたって、馴染みすぎじゃねえか。お前まさか、ここの連中に情が移ったんじゃねえだろうな?」

「馬鹿にするな、貴様ではあるまいし」


 腹を探られたヴァスは軽く一蹴し、逆にローゼにかまをかけた。


「お前こそ、粋がって話を持ちかけてはきたが、ユスティーナの態度に一々反応しているではないか。そんなことで本当に、復讐など遂げられるのか?」

「はぁ? 馬鹿を言うな、あんなだらしない体型になったやつ……」

「ほう? だらしなくなかったら、違ったのか」


 間髪を容れず追及され、ローゼは思わず言葉を濁した。


「……そりゃ顔は今でも最高に可愛いし、性格だって……子供の頃に戻ったような感じは、しなくもねえよ」


 首から下の肉は取れきっていないが、高貴な美貌は昔のまま、いや昔以上に美しい。見え見えの媚びではあろうが、ローゼに謝りたかった、帰ってきてくれて嬉しいと喜ばれて、不覚にも心が弾んだのはヴァスに見抜かれたとおりだ。


「だが、いきなりここを追い出されたせいで、親父は肩身が狭い中で死んじまったんだ。それに……ユスティーナは多分今でも、イシュカのことが好き、だろ」

「──そのようだな」


 吐き出すようなローゼの言葉に、ヴァスも冷めた声で同意した。


 昨日の夜まで、都合のいい誤解をしていたのは確かである。彼女はイシュカに操られていただけに過ぎない。本心では獣を、獣返りを、愛してくれているのだと。


 そんな妄想は思い出の場所にて、はかなく砕け散った。イシュカとの思い出ばかりに気を取られ、ヴァスとの出会いなど思い出す様子がない、残酷な月の女神に無残にも踏みにじられた。


 猫の姿のヴァスに優しくしてくれただけではなく、人間の姿に戻ったヴァスにも自分は間違っていたと謝ってくれた。すごいすごいと腕前を褒め、向こうから触れてきさえした。……婚約するかとまで、軽々と彼女は口にした。


 一度は敵に回ったとはいえ、元は幼馴染みであるローゼとヴァスは立場が違う。ユスティーナが自分に媚びている、とは思っていない。ヴァスに悪いと考えていたのも、尊敬してくれていたのも事実なのだろう。


 それだけなのだ。 


 相手に、されていないのだ。

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