第26話 復讐者は何を企む

 分かるはず、とはどういうことだろう。ユスティーナも知っている場所ということか。


 子供の頃、何度も山籠もりをしたのでカイラ山中の地理もある程度知ってはいるが、知っているからこそ分かる。離宮以外、この山に目的地となるような建物はない。厳しい自然しかない山だからこそ、世俗から逃れたい貴人にとっては便利であり、修行するにも適しているのである。


 しかし、あの古い木、あの大きな岩。見覚えがある。


 気が付くとユスティーナは、幼いあの日、ほとんど毎日のように訪れていた景色の中にいた。


「どうした」

「──いえ。問題ありません」


 突然足を止めたユスティーナをヴァスが顔だけ振り返る。お得意の何食わぬ表情を装い、歩き出したユスティーナを憎んでいる、復讐者。


 幸い彼も行く手に気を取られているようで、ユスティーナの不審な態度には気付かなかった様子だ。そうかとうなずき、正面に視線を戻した。


 ……どうだろう、とユスティーナは疑いを抱く。価値を取り戻す姿勢を認めてくれたのか、最近のヴァスはやけに優しい。しかしこの男とユスティーナは何年も罵り合い、命を狙い合ってきたのである。そしてヴァスは、口も回ることで有名だったのである。


『次があの男と君の、最後の戦いになるだろうね。絶対に勝たなければならないけれど、僕が見る限り、残念ながら君の勝算は低い。おかしいね、あんなに僕もドルグも鍛えてあげたのに』


 ナインの部下のうち、名のある者はほぼユスティーナが手にかけた。双子の祖父、師であったドルグさえも。しかしただ一人生き残り、その戦力だけでナインを支えているヴァスに対しては、勝利は難しいとイシュカは言った。


『君はやたらとあの男を褒めるよね。ならばあの、なりふり構わない戦い方を真似してみるのもいいんじゃないかな?』


 自分は虐げられてきた、と日頃から公言しているヴァスは、しばしば戦士の道に外れるような真似を平気でした。特に内乱が初陣だった名家の子息を大勢で取り囲み、殺したことは味方からの非難も激しかったようだ。


 一対多数であれば、どんな勇者でも大抵は、なす術もなく一方的に倒される。イシュカの言葉によって思い出した事実を元に、ユスティーナが立てた作戦を聞いて、婚約者はそれは美しく微笑んでくれたのだ。


「覚えていないか。この先に、小さな広場がある」


 物思いに浸っていたユスティーナを呼び覚ますヴァスの声。同時に視界が開け、明るい陽光が二人をひりひりと照らし始めた。


 覚えている。かつて落雷でもあったのか、そこだけぽかりと古い木がなくなった、天然の広場が近付いてきている。


「あ、あの。ごめんなさい。行きたくない……です」


 待ちきれないとばかりに速度を上げたヴァスの背を一応追いかけてはいるが、ユスティーナのつぶやきは弱々しくかすれていた。はっと足を止め、振り向いたヴァスの金目は、隠しきれない期待に燃えていた。


「行きたくない? なぜだ。……覚えているからか? あそこが、どういう場所か」

「覚えて……います。忘れたことなど、一度もない……! あっ」


 耐えきれず、吐き出すように叫んだユスティーナの右手をヴァスが掴んだ。その手はひどく熱く、彼の興奮が伝わってきた。


「そうか、覚えていたのか……! 貴様は実に性悪の女神だ、ユスティーナ。だが、許してやろう。お前はイシュカに操られ、本当の気持ちを封印されてきたのだから。本当は獣を、愛しているのだから……!!」


 嬉々として彼が叫ぶ意味不明な言葉の羅列の中で、イシュカの名だけがくっきりと浮き上がって聞こえた。喜びに満ちた復讐者に引きずられ、明るい光に満ちた広場に入りかけた次の瞬間、ユスティーナは思いきり彼の手を払った。


「だってここは、イシュカ様が迎えに来てくださったところだもの……!!」


 絶叫が青空に吸い込まれていく。変わりないその下でユスティーナはうつむき、肩で息をしていた。


 幼き頃よりカイラ山の離宮で暮らし、暇さえあれば山中を駆け回っていたユスティーナ。そんな彼女のお気に入りの場所が、この広場だった。猿と木登り競争をして、リスの忘れ物を探してやってと、ひとしきり遊び回ってから、一休みするのに丁度良かったのだ。


 五歳になったある日、いつものようにここまで来たユスティーナの前に、褐色の肌をした金髪の美青年が音もなく現れた。年の離れた兄アルウィンが弱気だがかなりの美形なので、美しい男は見慣れていた。そんな恵まれたユスティーナの目にも、彼の存在は光り輝いて見えた。


『やっと会えたね、僕の女神』


 陽光を背負い、薔薇色の笑みを浮かべ、彼はきょとんとしているユスティーナ──幼き銀月の君の手の甲に、再会の口付けを落としたのである。マーバル王国全土に広く知れ渡っている、甘く優しい思い出は、思い出すほどに現実との落差を深めた。


「……そうか。ここでイシュカとも会ったのか、お前は」


 夏の太陽の下、湿ったヴァスの声が二人の間を吹き抜けていく。先程まで太陽に負けないほどの輝きを放っていた瞳がユスティーナから逸れた。


「ならばそれ以外の記憶など、塗りつぶされて当然だな……」


 暗い赤毛ごと何かを振り払うようなしぐさをして、彼が戻ろう、と言いかけた矢先、ユスティーナがぱっと頭を上げた。


「えっ? 待って、ヴァス。誰か、来ます」


 探査の風に人の気配が引っかかったのだ。愚かな期待に気を取られていたヴァスも、獣の勘でそれに気付いた。二重の意味で不快そうに、彼は瞳をすがめた。


「なんだ。──もしや」

「イシュカ様……!?」


 衝動のまま、ユスティーナはヴァスの横をすり抜けて駆け出した。


 ここはイシュカとの思い出の地。創世の時代から数知れぬ回の転生を繰り返し、今生でも迎えに来てくれた太陽神が月の女神と再会した場所。


 ヴァスと再会してからは悪夢とも縁が切れているが、一番恐ろしい夢はもう一度イシュカが迎えに来てくれるものだった。喜びの涙を浮かべながら目覚めれば、およそ銀月の君とは思えない姿になったユスティーナは一人、豪華な寝台の上に置き去りにされている。そんな朝の朝食が、普段に増してすさまじい量になったのは言うまでもない。


 だが、本当にイシュカが帰ってきてくれたのなら。自分たちは再び、やり直せるのかもしれない。ヴァスに鍛えられて弓の腕も上がった。創の術の腕前は落ちていないことも確認済みだ。二度目の奇跡を予感し、輝くユスティーナの目に映ったのは意外な人物だった。


「ユスティーナ!? それに、なっ、ヴァス……!?」


 木立を潜って現れたのは金茶色の髪をした、ヴァスと同じぐらい背の高い青年だった。長く旅をしてきたのか、かなりくたびれた格好をしているが、上着を押し上げる肉体はたくましい。精悍な顔の中、髪と同じ色の目を驚きに見開いている彼の名を、ユスティーナもヴァスも知っていた。


「ローゼ!?」

「ローゼだと!?」


 互いの名を呼びながら、三人はしばし次の言葉を失っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る