第20話 寝床と食糧の確保

 ユスティーナがいる離宮を探し、ヴァスもカイラ山中をさ迷っていたのだという。おおまかな場所自体は知られていたが、王族の緊急避難先だ。まして現在、人目に触れれば何をされるか分からないユスティーナが身を寄せていることもあって、詳細な位置は秘されている。術による探査を防ぐ結界にも守られているため、近寄って確認するしか方法がない。そのためかヴァスは、山中の地理に詳しかった。


「……昔、来たこともあるしな」


 苦く独りごちるヴァスが見上げる先、高い木の上でユスティーナはせっせと寝床作りを進めている。


「もう切ってしまっている木材と蔦だから、地の術より水……いえ、創の術のほうがいいですね。よし、これで大丈夫」


 ヴァスが教えてくれた大木の上部には太い枝がしっかりと張り出していた。猫の姿のヴァスなら、このまま問題なく眠れるだけの場所があるが、人間二人の寝床となるともう少し床面積が必要だ。


 そこでユスティーナはその枝を基礎とし、小刀と風の術で倒木から切り出した板を蔦で縛り付ける。そして風の次に得意な創の術をかけてやれば、倒れてから年数が経ち、完全に干からびている倒木の板は無反応だったが、切ったばかりの蔦は残っていた生命力を強めた。しゅるしゅると伸び、互いに絡み合って板の固定を補強してくれた。


「強い女なのは分かっていたが、思っていたのと方向性が違うのだよな……仮にも姫君なのだから、戦場を離れれば宮殿で優雅に過ごしているものでは……? 猿の生まれ変わりの間違いでは……?」


 戦場でも味方とはぐれてしまい、単独で生き延びる術が必要になる時もあるが、それにしても慣れすぎている。どこまでオレの予想を裏切る気かと、遠い目をして見上げているヴァスの前に、ユスティーナは身軽に飛び降りてきた。


 着地直前で風の術を使っているため、見上げるほどの高さから飛んでも問題ない。ちなみに登る時は特に術の補助は使っていない。体型はまだふっくら気味だが、実戦用の刃物でやり合えるだけの運動能力を、彼女はすでに取り戻しているのだ。


 ふう、と軽く息をついておさげ髪を払うその姿。服装こそ質素だが、戦場で幾度も相まみえたものに近い。ヴァスにとってはもっとも身近な姿に戻ったユスティーナは、彼の視線に気付いて不思議そうに首を傾げた。敵意を込めてにらみ返してくるのでもなく、不快そうに顔を背けるのでもなく、ごく自然に。


「どうかしました?」

「……いや、別に」


 まあ、これはこれで。声に出さずにつぶやいたヴァスは、くいとあごをしゃくった。


「こちらに水場があったはずだ。行くぞ」

「はい、参りましょう!」


 寝床の確保の次は水の確保だ。ヴァスに従い、ユスティーナは張り切って歩き出した。


※※※


「待て、何か来るぞ」


 道なき道を歩き始めて十分ほど経ったか。ヴァスの警告、そして足元を伝わってくる地響きにユスティーナも構えを取った。


「猪、のようですね」

「丁度いい。これで食糧も確保できるな」


 臆病な上、あまり人に出会うことがない場所だからだろう。姿を見せる前から興奮しきっており、木々の隙間を縫って突進してくる猪を、ヴァスは恐れるどころか山の恵みだとばかりに歓迎する。彼は「右に跳べ!」とユスティーナに指示を出し、自分は矢をつがえた。


 言われるまま、大きく右に跳んだユスティーナを見て猪が方向転換する。自分に矢を向けている男を避けたのか、魔獣ではなさそうだが月の女神の生まれ変わりを恋う本能が働いたのか。何が理由かは不明だが、いずれにしろ予定外の事態にもヴァスは即座に対応した。


 ユスティーナに向かった猪が、ヴァスには無防備な側面を晒す。そこを狙って、彼は限界まで引き絞った矢を放った。


 王家に仕える兵士の武具とはいえ、かつてのヴァスが愛用していた、獣返りの全力に耐えるような大弓ではない。それでもその矢は、普通は正面から狙う猪の心臓を、横からの一撃で粉砕した。心臓を守る強靱な骨や筋肉をものともしないどころか、勢いが強すぎて何メートルか吹き飛ばされた猪が、どう、と土煙を上げながら倒れる。


「……す……」


 一応つがえていた矢をしまうのも忘れ、ユスティーナは満面の笑みを浮かべて叫んだ。


「すごい! 一撃! すごいすごいヴァスすごいですかっこいい……!!」


 童女のように喜ぶ様を見て、ヴァスは満更でもなさそうな表情を隠してうそぶいた。


「な、なんだ。オレ様の腕前など、貴様は知っているだろうが」

「そうですけど、だって今は、おおっぴらに褒められるんですもの……! やっぱりヴァスは、すばらしい戦士です!!」


 黒目がちな瞳をきらきらと輝かせ、ユスティーナは数年ぶりの想いを込めて尊敬する戦士を褒めまくる。


「この私を囮に使う人なんて、国王軍にはいなかったですもの! 私に復讐したいあなただからこそ、できる芸当ですね!!」

「やかましい! オレのほうに来てもちゃんと仕留められたわ!!」


 一応、庇ったつもりだったんだぞ……と、小さくつぶやくヴァスの気も知らず、興奮したユスティーナはその腕に触れた。警備兵の制服越し、伝わってくる感触にときめきを隠せない。


「おい、よ、よせ! べたべたするな!」

「ご、ごめんなさい! ああ、でもやっぱり、私とは筋肉の質から違いますね……逞しいのに、とってもしなやか。これが、獣の力を持つ者の肉体……」


 すぐに振り払われてしまったものの、ヴァスの髪に触れてみたいとは思ったことがなくても、生命力にあふれたその肉体の秘密を知りたいとはずっと願っていたのだ。どれだけ訓練したところで、根本から違う生命になることはできないだろう。ならばどうすれば、今度こそ彼に勝てる……?


「落ち着け! こいつをバラして食ったら、稽古は付けてやる」


 完全に戦士の頭で考え込んでいたユスティーナは、赤くなったヴァスにたしなめられて現実に引き戻された。


 馬鹿なことを考えてしまいました、と反省する。自分たちが戦うことなど二度とない。その権利をユスティーナは自ら捨てたのだ。ヴァスを罠にかけて殺そうとした報いを受け、一方的に殺害される未来のために山籠もりを始めたことを忘れたのか?


「ありがとう。余すところなく、活用させていただきます」


 表情を引き締めたユスティーナは、息絶えた猪に向かって静かに頭を下げた。カイラ山に住む獣は離宮の食卓にもよく上がる。どんな形であれ、いずれはこの猪を殺して食べることになったかもしれないが、奪った命に対する礼儀を忘れてはならない。山で生きる方法を教えてくれた師への礼儀でもある。


「──ところでお前、この後の処理はできるんだよな? 山籠もりは初めてではないのだし」


 その様を観察していたヴァスがおもむろに尋ねてきた。


「ええ、できますよ。まずは血抜きですね。内臓と血を抜いて、水の術で冷やせば、すぐにおいしく食べられるようになります」

「……本当に本当に山に籠もり慣れているんだな……」


 姫君というより猟師の発言である。猪を軽々と肩に担ぎ上げたヴァスは、ついでのように首を竦めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る